貧する黒猫探偵の営業活動

閑古鳥

 閑古鳥かんこどりが鳴いている――閑古鳥ってどんな鳥だろう。


 そんな益体やくたいもない想像を膨らませていると、眼球の裏がむずむずしてきて、タキシードは大きな欠伸あくびをした。上下の小さな白い牙が、ピンク色の口蓋の中でよく映えた。


 エイジャが、猫目を光らせて欠伸をするタキシードの隣に音もなく現れた。それは華奢な見た目からは想像もできない俊敏しゅんびんな動きだった。


 彼女はにやりと口角をつり上げると、その白い指をワニのように大きく開いたタキシードの口に、彼に感づかれないように、静かに差し込んだ。するとタキシードが欠伸の終わりにエイジャの指に噛みつくような格好となり、何が起こったかせないタキシードは「あが、あが」とベロを駆使してその指を吐き出すほかなかった。


「――ちょ、エイジャ!」


「うふふのふー」


 ここはタキシード探偵事務所。夕刻だ。今日も客は来なかった。


 タキシードは大きく溜息をついてから、机の上で開いていた本に再び目を落とし、肉球で器用にページをめくった。


 探偵事務所は立地的に恵まれない場所にあった。これは探偵という職業柄、素顔を広めたくないので郊外の人口密度が低い場所を選んだという理由などによる。それゆえ、客足は普段から当然少なく、タキシード探偵事務所を訪れる者は主に別口の代理人エージェントによる紹介でやって来る人たちばかりだった。


 しかし最近はそちらの客足も途絶えている。


 タキシードをからかって満足したのか、エイジャは椅子に座って「はぁ」と机に頬杖を突いた。クーッと彼女の磁器のように綺麗なお腹が鳴ったのはその瞬間だった。


 タキシード探偵事務所の建屋たてやは二世帯住宅の造りとなっている。二人はその片方を自宅に使用し、もう片方を事務所として使用していた。


 ここが郊外の、そのまた端という辺鄙へんぴな場所であるためか、この家は平屋でありながらも庭付きで、一般的な住宅の基準と比べても土地の広さ的にはかなり恵まれていた。二人暮らしには広すぎるほどだ。


 しかしその分、家賃もそれなりの重みがあるわけで。


あにぃ、お腹すいたよ……」


 とにかく、家賃を払った直後はこうなる。


 この場合、選択肢はそう多くない。大家さんに“たかり”に行くのは最後の手段だ。これをやるとタキシードのメンタルがやられてしまう。


 ご近所さんにたかりに行くのも、タキシードの人としてのプライドがずたずたになるのでおすすめできない。


 もう成長期は終わっていると思うが、妹を飢えさせるわけにはいかない。いざとなればそういった手段もやぶさかではないが、まだ他に手立ては残されている。


 営業活動だ。


 タキシードは本から目を上げ、窓の外を見た。

 

 ――そろそろ夜だ。外に出てもいいだろう。


「エイジャ、バワーズのとこ行くで」


「はぁーい」


 伏し目がちに、ふらふらと燃料切れ寸前のような動きで立ち上がるエイジャ。まだ大丈夫そうだ。本当にやばいと目の光が消えるのですぐに分かる。エイジャは並ならぬ優れた身体能力の持ち主なのだが、その分燃費が悪い。大排気量・高出力スペックなのだ。


 とはいえもうすぐ街は夜に沈む。シャキッとさせねば。


「――とりあえず、飴ちゃん食べぇ」


 タキシードが何処からともなく琥珀色の飴玉――琥珀アンバー欠片かけらを咥えて取り出した。それを見たエイジャが、目を輝かせつつひな鳥のようにあーんと口を開けて待ち構える。


 タキシードは小さく嘆息して、バッサバッサと部屋の中を飛んでエイジャの上まで行くと、咥えた飴玉を彼女の口に投下した。


 落ちてくる飴を器用に口でパクリとキャッチしたエイジャは、そのまま両手を上に伸ばして空中のタキシードを抱えて降ろし、そのふわふわのお腹に顔をうずめた。


 ――また妙な甘え方を考え出して……。


 タキシードはエイジャのガス欠対策に、小さな琥珀アンバーの欠片を常に隠し持っている。琥珀アンバーはべとつかないので身体のどこかに忍ばせるのは容易だった。だがそれも、もう残り少ない。早く、金を、稼ぐぞ。


 しばらくの間、ゴリゴリとエイジャが琥珀アンバーを噛み砕く振動と、スースーする鼻息をお腹に感じていたタキシードだったが、ついにはぞわぞわと背筋を走り回る悪寒に耐えきれなくなり、「こしょい! エイジャ、こしょばい!」と抗議の声を上げて彼女の頭を猫パンチして応戦し始めた。

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