チキチキ空中レース

 タキシードは猛然と空をかけた。妹のささやかな尊厳を背負って。


 こうしてタキシードと鳥のチキチキ空中レースが始まった。


 鳥は速かった。後ろ姿から察するに、大きなツバメに近い鳥だろう。


 薄紫色の空は雲ひとつない快晴。陽は落ち始めていたが、それでも真っ黒いタキシードと大型ツバメの追いかけっこは南バミューダの空でめちゃくちゃ目立っていた。


 ツバメが力強く翼を打つたびに、その身体がぴょんぴょんと空気中を跳ねるようにして加速した。それは野生が練り上げたスピード狂の飛翔はしりだった。かたやタキシードはひたすら頑張ってバサバサと力任せに羽ばたくしかない。この飛び方だと燃費の観点で完全に負けており、このままでは振り切られるのも時間の問題かと思われた。


 しかし妹の笑顔を思い浮かべ、歯を食いしばってツバメに追いすがる内に、タキシードは宿敵ライバルの優れた動きを徐々に取り込んで、やがて似たような飛び方が出来るようになった。翼を折りたたみ気味にするのがコツだった。そこから彼の追跡は安定し始めた。


(これが知性ってもんや!)


 だがツバメも負けてはいない。空で振り切れないと判断するやいなや、急降下してタキシードを空に置き去りにする。タキシードも翼を畳んで直滑降ちょっかっこう。急加速して迫る地面に恐れを抱く暇もなかった。


 ツバメは信じられないほど滑らかな軌跡を描いて道すれすれの低空軌道に進入した。タキシードも習ってその旋回軌跡をなぞったが、しかしそれは体重ウェイトの観点でタキシードには再現不可能な飛び方だった。激しい慣性Gに負けて曲がり切れそうにない。石畳が高速で流れるヤスリと化してタキシードの真下に迫る。


 空から落ちてきた黒猫が地面に叩き付けられる、その寸前、ギャリッという耳障りな音が立った。それはタキシードが器用にも石畳を蹴り、猫の瞬発力を利用して自身の軌道をねじ曲げてツバメに食らいついた音だった。ツバメがちらりと後ろを振り返ったように見えた。


 ごうごうと風を着る音がうるさかった。髭が空気に引っ張られて痛む。


 これほどの高速飛行をした経験がないタキシードは、猫の目がこの風圧に耐えられるような構造になっていない事を思い知らされた。だがしかし、彼は目を細めつつ、宿敵ライバル尾羽テールランプを見失うものかと遮二無二しゃにむに、街の中を羽ばたいた。


 ツバメの飛び方は軽妙だった。蛇のように地を這い、仕事を終えて家路につき始めた人々の股を潜って街中を逃げる。タキシードはその少し上を飛んでツバメの姿を視界に捕らえ続ける。


「うおぉなんだ⁉」


「鳥?」


「ツバメ?」


「カラスだ!」


 ――おのれ……っ!


 タキシードには噴飯ふんぱんものの雑言ぞうごんだったが、今は仕返ししている暇がない。パンツを、取り返すのだ。


 ツバメがカクリと曲がって路地に入った。右へ左へと細い道を逃げ回る。だがそれは悪手あくしゅだった。ツバメは知らなかったのだ。タキシードが南バミューダの小道マスターであることを。


 むしろ路地に入ったことで、タキシードははツバメの動きを読み易くなっていた。ツバメは細い路地を繰り返し急旋回して逃げるが、壁をキックできるタキシードにとって路地はなんの障害にもならなかった。


 路地に入ってからは追跡に余裕が出てきたタキシードだったが、それでもツバメは速かった。文字通り飛燕ひえんとなって南バミューダの街を逃げ惑う。タキシードには、ツバメに追いつく決定打が欠けていた。やはり大空に最適化されたしゅに、空ではかなわない。嗅覚では犬に及ばないのと同じように。


 だがタキシードは猫だ(スフィンクスだ)。夜目がある。その一点において大きく鳥を上回っていた。


 この追いかけっこ、タキシードが追いつく必要はない。


 鳥目とりめが命取りだ。やがて光を失った空を飛べないツバメは地に降りるしかない。上空には闇黒くらやみが染み始めていた。かれさえしなければ、そこで捕まえれば良いのだ。


 ツバメがパァンと空気を叩いて垂直に跳ね上がり、薄暗い空に向かってまっすぐに飛翔した。再び空に逃げたようだ。大空で決着をつける気だろう。


「こなくそ……逃がすかっ‼」


 タキシードも地面を蹴って真上に飛び上がった。


 ツバメと黒猫の影法師が、薄暗い空に浮かんでいた。

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