黒猫の夢

 ほどなくして乱行は試合終了と相成あいなった。


 助っ人を得たアメリは無敵だった。アメリ側の完勝だ。


 男達が互いを支え合いながら口々に「くたばれ!」などと呪いの文句をこぼしながら路地から出ていく。「誰かー誰かー!」と喚きながら数人に抱えられていったリーダーは……しばらくすれば復帰するだろう。そんな様子には目もくれず、アメリとハンクは盛り上がっていた。


「ハニー……君の悲鳴が、僕の心に聞こえたような気がしたんだ……僕たちを結ぶ心の糸が、君の声を僕に届けてくれたのさ」


「ああ……ハンク……」


(嘘や。絶対出てくるタイミング待っとったろ)


 そんなやりとりを、しらけた顔で眺めるタキシード。おそらくは、ハンクは毎晩アメリを尾行・観察の上、最高の登場タイミングを見計らっていたのだ。


 この妙ちきりんな出来事を偶然では終わらせない探偵タキシード、意地の推理だ。


 と、おもむろにハンクがアメリの後ろに回り込み、アメリはいとおしげに首を回して彼の姿を追った。ハンクがアメリを後ろから抱きしめ、反対にアメリがハンクの顔を見上げる。それは不思議と絵になっていた。二人はそのまま至近距離で見つめ合って、ああ、これからちちくり合いが始まるんだろうな、そうタキシードが胸中で嘆息をついた瞬間。


「――どっせぇぇええええい‼」


 ハンクはアメリの腹を両手で抱え、そのまま背中を反らせつつ、背後にうっちゃって彼女を首から床に落とした――ジャーマンスープレックスだ! 少しだけ興奮したタキシードが駆け寄ってスリーカウント取ろうとするも、落下点の紫水晶アメシストの石畳が砕けていることに気が付いて逆にドン引きした。


「どうだいっ! あの日、君に喰らったスープレックスだ‼」


 ハンクが立ち上がると、宙に浮いていたアメリの脚がゴシャァ……という音を立てて地面に落ちた。直後にシンッと周囲に沈黙が来て、すぐさまアメリの上体が跳ね起きる。


「――いっ……たいわね、なにするんですのよっ‼」


 アメリは立ち上がりざまにハンクのほほった。宝石甲冑の手甲てっこうで打たれたわけで、ハンクの頭部が金属バットで打たれた軟式ボールのように軽々しく弾かれた。しかし、ハンクはたたらを踏んで踏みとどまると、「そんなぁ」と急にナヨナヨした声を出して眉をへの字に曲げて見せた――二人とも、タフだな。


 兜を外し、肩を怒らせて路地から歩き去る女アメリと、追う男ハンク。


 猫の夜目よめは、薄暗い路地から出ていくアメリが「しょうがないですわね」と言いつつ口を緩ませたのを見た。


 ――に理解しがたきは女心か。


「……まぁ、悪いようにはならんやろ」


 そんな珍妙ちんみょうなやりとりさえも、タキシードにとっては羨ましい。


 タキシードは彼女が欲しかった。猫の、じゃない。人間の、だ。


 自分の身体が猫に近いことは理解しているし、受け入れてもいるが、タキシードの精神は人間そのもの。ぶっちゃけメス猫相手だとたかぶらないのだ。その交尾、ちょっと無理がある。


 これも性と身体の不一致――性同一性障害とでも言うべきか。


 タキシードは〈幽霊石メタモルフォシス〉という宝石を追っている。これは以前出会った珍しいエルフの女に教えてもらったことなのだが、幽霊石メタモルフォシスは〈降霊術ネクロマンシー〉における究極のアミナ媒体であり、肉に宿るアミナを別の肉に移したりもできるらしい。要するに、人型になれる可能性があるということだ。


 しかし、それは宝石の中でも〈黎明石れいめいせき〉の格を上回る超超希少品でもある。というか、もはやお話しの中だけの存在であり、空から落ちてきたわけでもないのに〈超越器オーバーファクト〉を冠されるほどだ。そう簡単に見つかるものでもない。タキシードはもう長くバミューダで探しているが、いまだに噂すら耳にしない。


 だがタキシードは確信している。幽霊石メタモルフォシスは、る。


 根拠は英雄譚えいゆうたんだ。幽霊石メタモルフォシスを扱う、かつての降霊術ネクロマンシー一派があったという話が存在している。譚詩たんしを馬鹿にすることなかれ。譚詩はおとぎ話ではない。それは過去を伝える数少ない、確かな歴史なのだ。


 しかし今日も収穫はなかった。


 タキシードは「はぁ」と嘆息を漏らし、リア充爆発しろなどとこの世の全てを軽く呪いながら、バサァっと羽ばたいて夜空に溶けていった。

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