対決

「逃げるで!」


「えっ! ぶちのめさないの⁉」


 やる気満々のエイジャにタキシードが吠える。


「ここは狭すぎる! あの動き見ろ、めちゃくちゃ不利やぞ!」


「ドカンしちゃおうよ!」


「あかん! こんなところでドカンしたらワシら生き埋めやぞ‼ チュー五郎、待避や! どこでもいいから一番近い地上に案内せいっ!」


 タキシードの声にチュー五郎が走った。その小さな後ろ姿を追って二人も走る。その背後からはカチカチ、カチカチと、大量の金属針が石を突くような音が追いかけてくる。


「――おいエイジャ、先にお前を硬くするからワシを抱き上げろっ!」


 切羽詰まったタキシードの言葉に、エイジャは振り返らずに「いい」とだけ返した。


 しばらく無言でチュー五郎を追いかけて走る二人。そしてタキシードは、おもむろにエイジャの足に身体を寄せようとした。しかしエイジャは素早く加速して彼を置き去りにする。


「――おい」


「大丈夫です。お構いなく」


「……」


「……」


 タキシードがくわっとなって叫ぶ。


「――いや、今わがまま言うなやアホ‼」


「いやーっ! ばっちいもん‼」


 ぎゃあぎゃあ言い合いながら、チュー五郎を追って曲がり角を折れた時、タキシードの鼻が外気を感じ取った。すぐに、視界が開けた。


「――っ! ……ここは」


 外に飛び出したタキシードは、周囲一面が水で覆われている事に愕然がくぜんとなった。ここは恐らくバミューダ海の小さな島だ。逃げ道がない。そしてすぐに、この島に見覚えがあることに気が付いた。


 タキシードは何はともあれ、妹の安全を確保しに動いた。


「――エイジャ、じっとしとけ」


「いいって! 大丈夫だからっ‼」


「我慢せい‼」


 タキシードがそう言ってエイジャの足にまとわりついた。「ひー」と漏らすエイジャの背中を悪寒が駆け上がっていき、すぐにそれを追って地面から立ち上った光の粒子が、彼女の身体に光の膜を構築した。


 時刻は夕方頃だろうと思われた。そうしてタキシードが周囲をキョロキョロ観察していると、カチカチ音が急激に大きくなった。小島にぽっかり空いた洞窟から、あのグロテスクが飛び出してきた。


 天井と壁を失ったことで、グロテスクの姿は足が大量に生えたザトウムシのような形に変貌した。機動性はやや失われた様子だが、その危険性はいささかも衰えていないように見える。


 陽光の元で見るそれは、下水のすいを凝縮した不浄の権化ごんげに見えた。そのヘドロの胴体から覗いた宝石達が放つ輝きが、まるで泥沼に沈みゆく客船の灯りのように悲壮だった。


 そんなヘドロから覗いた無数の宝石の中に、タキシードは表面に筋が走った石が混じっている事に気が付いた――拳大の黒い宝石の表面に浮いているのは、一条のキャッツアイ……いや、二条の十字クロスだ。


「ううぅ……殴りたくない……っ!」


「ワシも触りたくない……」


 猫の宿命か、綺麗好きの二人の目には、あのグロテスクが天敵に映っていた。敵は全方位に鋭い針を伸ばすのでタキシードは近づく事もできない。タキシードもグロテスクをたおす力があるのだが、その力を行使するには身体に触れる必要があるのだ。


「……兄ぃ、もうあいつ吹っ飛ばしちゃうよ⁉」


「――あ、あ、あ、まて! ちょいまち‼」


 タキシードは慌ててエイジャを止めた。


「何でっ⁉」


「ここには知り合いが住んどるんや。ドカンしたらあいつらまでってしまうわ――っ!」


 その時、タキシードの脳裏に閃きが走った。


「――エイジャ、ちょっとの間、逃げ回っとけ」


 そう言ってタキシードは飛び立った。


「ああっ! 自分ばっか、ずるいずるい‼」


 空に舞い上がったタキシードが、「今のお前なら平気やー!」と言い残して木の上に消えていくのを見送ったエイジャが、一人でグロテスクと対峙した。


「うへぇ……っ!」


 眉を顰めたエイジャの喉に、凄まじい速度で黒い針が伸びてきた。


 しかし彼女は両手で持った六尺棒を器用に扱って、それを払い除けると、続く二撃目、三撃目も綺麗にかわして見せた。


 グロテスクの突進を警戒していたエイジャだったが、下水の外に出たグロテスクの動きは、エイジャの目にはかなりトロく映った。針の速度と鋭さは危険極まりないが、十分な空間が確保された今、彼女は難なくそのすべてをなすことができた。


「ふっ! ――はぁあああ‼」


 随時ずいじエイジャが反撃も試みたものの、グロテスクの針の領域が広すぎて彼女のスイングはヘドロの本体に届かなかった。一撃浴びせるためには、被弾を覚悟で前に出るしかなく、そしてタキシードの光の膜に包まれた彼女には、それは可能なことだったのだが、しかし生理的嫌悪感に押されてエイジャの腰は引けていた。


 それでも彼女の一撃は速く、重い。


 金属製の六尺棒は襲い来る針をことごとくへし折り、本体を支える足の役割を果たしていた無数の針も、氷柱つららを払うように軽々といだ。だがしかし、グロテスクは何本針を折られても、本体から新たな針を次々と伸ばして元の姿に戻ってしまうのだった。


 必殺の決め手をタキシードに禁じられたエイジャは、徐々に後退せざるを得なかった。そこまで広くない小島だ。彼女はやがて湖畔に追い詰められる形となった。


 エイジャの長い尻尾が湖面に触れた。


「――あ、兄ぃ……まだかなぁ~⁇」


 六尺棒をくるくる身体の前で回して、迫り来る針を弾き飛ばすエイジャが、頬をひくつかせながらタキシードを呼んだ。


 その直後、空から翼をはためかせてタキシードが舞い降りてきた。


「えいひゃ!」


 タキシードは宝石を咥えていた。強い煌めきファイアを放つ、黄色い宝石だ。


「あ、ほーれっ!」


 タキシードが空中でポイッとその宝石をほうって叫ぶ。


「やつの腹! 黒い宝石にぶちかませ‼」


 エイジャの猫の瞳孔がキュッと細くすぼまり、紫紺しこんの瞳にキラリと光が走る。


 彼女の腰を入れたフルスイングが見事、黄色い宝石を芯で捉えた。


 弾丸となった宝石は、グロテスクの十字筋が浮かぶ黒い宝石に突き刺さり、そして、直後に閃光が周囲を真っ白く染め上げた。


 大気をやぶる激しい炸裂音がエイジャの耳をつんざいた。


 彼女の視界が徐々に回復してくると、グロテスクの本体は穴だらけになっており、その穴からはシュゥゥという音と共に白い煙が吹き出していた。


 ゴロゴロ……と晴れた空に雷鳴が渡り、風に乗ってきたオゾン臭がエイジャの鼻を突いた。


 グロテスクの針がボロボロと崩れ始め、それに支えられていた本体が地面に力なく落ちた。ヘドロの塊は岩の上に落とした金魚鉢のように砕け散り、中から汚泥おでいが飛び散った。

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