徘徊する者
鼻をつまんだエイジャが頼りない明かりを掲げて闇を払い、下水道を歩く。
彼女が手にしたのは水銀灯。ちょっと珍しいタイプのランタンだ。普通は
宝石は、種類によっては、この水銀灯の光に反応して
そういった理由から、水銀灯は旅人や〈星追い〉達が宝石を探すためによく使う道具として知られている。
探偵事務所に金がないのは、こういったタキシードの、何かの役に立つかも知れない精神も大きな理由なのだが、彼は自分のことは棚に上げている。
そんな水銀灯が作り出す光の領域から外れないように、タキシードとチュー五郎が足早にエイジャに続いた。
「特になんもないなぁ」
タキシードがぼやいた。
チュー五郎との約束で、下水を徘徊する敵対的な何かを排除するのが先なのだが、何かというだけでは、これまた霧を掴むような話な訳で。
「むーん、ぞの何がが出る場所ば決まっでないの?」
エイジャが鼻をつまんだまま振り返った。彼女は尻尾を高く上げて下につかないようにしている。タキシードにはその気持ちがよく分かった。正直ゲロ吐きそう。
「徘徊っちゅーくらいでな、場所は決まってないそうや。あとな、エイジャ。鼻は諦めて離した方がええよ。それだといつまで経っても慣れへんから」
「慣れだぐない!」
エイジャの悲鳴が下水道に響いたが、鼻が詰まった間抜けな声音だったので、ちょっと笑えた。
ふとその時、タキシードの素晴らしい耳が、水っぽい音をエイジャの悲鳴の奥に聞いた。
「――ちょいまち」
タキシードがエイジャの前に出て耳をぴんと立てた。エイジャも水銀灯のランタンを腰に付け、背中の六尺棒に手を伸ばして、いつでも抜けるよう油断なく周囲に注意を払った。チュー五郎はエイジャの後ろでびくついていた。
――ン……ターン……
下水道は所々に地上から弱々しい光が落ちていた。緩やかにカーブした薄暗い下水道の奥から、湿っぽい音が徐々に近づいてくるのが、エイジャの耳にもはっきり聞こえるようになった。
――ターン……ビターン……
「何の音? 兄ぃ……?」
「……わからん」
やがて下水道の見切れた奥の影から、両手に何かを持った人影が現れた。
タキシードは困惑した。
人間に見えた。服も着ている。だが、その人影は両手にだらりとぶら下げた何かを、ビターン、ビターンと壁に叩きつけながらこちらに歩いてくる。
ビターン……ビターン……
「……いったい何をしとんのあいつ? ……シンプルに怖えぇ……っ⁉」
「止まって!」
エイジャが六尺棒を抜き、ランタンを高く掲げてタキシードの前に出た。
すると闇から浮かび上がったのは、一人の男だった。
「うおお⁉ お前ら、こんなところで一体何を……?」
ぽかんとした表情で見返してくる男は、両手にぬるりとてらついて黒く光る、太くて長い何かを持っていた。
「それはこっちの台詞よ。あなた、何をしてるの?」
エイジャが強い口調でランタンを前に出した。すると、男は戸惑ったように両手を持ち上げて見せた。
「何って……ナマズ漁だが?」
「ナマズ」
「ほら、こいつだ」
男が持っていたのは、確かにナマズだった。
「じゃあ、さっきからビターン、ビターンっていう音は……」
「ああ、それはナマズを
「えっ、自分、下水で取ったナマズ食うん……?」
げぇっと舌を出して、うっかり声を出してしまったタキシード。
「! そっちの猫は、喋るのか……?」
男の驚いた様子を見たエイジャが、嘆息して六尺棒を背中に仕舞った。タキシードが「あ」と間抜けな声を上げる。
「しもた……まぁええか。で、自分それ食うん?」
「――いやいや、まさか。こんなもん食べたら、さすがに病気になっちまうぜ」
ガハハハと笑った男は、そのナマズは狩りの餌にするものだと言った。男は
「はぁ。釣り餌みたいなもんか」
「ふはは。まぁ、近いな。……で? 喋る猫と美人の嬢ちゃんが、こんなところで何してるんだ?」
男は当然の疑問を口にした。さすがにチュー五郎は仲間と思わなかったようだ。
「私達は探偵で、この下水の調査をしているんです」
「探偵?」と素っ頓狂な声を上げたおじさん。
「そりゃまたご苦労なことだ……まぁ、嬢ちゃんは強そうだから心配なさそうだが、近頃はグロテスクが出るって言う物騒な噂もある。東バミューダでは騎士団が動いているって話だ。あんまりこの下水道もうろつかない方がいいぜ。……ああ、遅くなったが俺はケーニセグだ」
「エイジャです。兄のタキシード」
エイジャがそう言ってタキシードに視線を送った。一瞬、卵を割ったら黄身がふたつ出てきた、みたいな顔になって二人を見比べたケーニセグを、タキシードは見逃さなかった。
「――ケーニセグさん、何かあればタキシード探偵事務所を、よろしくおねがいしまーす!」
突拍子もなく笑顔で営業トークを始めたエイジャに苦笑いしたケーニセグは、「おお、そんときはぜひ頼む。じゃあな」と言いながら、その場から歩み去って行った。
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