思わぬ遭遇

「えっ、もう一回っ⁉」


 猫は液体。誰がそう言ったのかは分からないが、言い得て妙。タキシードは衝撃的な事実を告げられて、エイジャの腕の中でドロリ、魂が抜けた感じで溶けていた。


 予防接種は二回。承服しょうふくしがたい話だった。


「ま、前は……っ! 前は一回やったやんかっ!」


 タキシードが涙目で大きく開けた口から、ちっちゃな白い牙が覗いた。


「それがね、最近は予防接種技術が進歩したらしくて、二回になったんだって」


「嘘やろ……なんで技術が進歩して回数増えてんの⁉ 一歩後退しとるやんけ!」


 タキシードの涙の抗議はもっともに聞こえた。だが、最近の動物病院関係者の会合で「あれ? 二回打った動物の方が病気にならないじゃん」的な話になっており、今では予防摂取は二回が主流になっていた。


「もぅ……わがまま言わないで。兄ぃは自分の怪我や病気は治せないでしょ?」


「そうやけど……そうやけどさぁ……」


 タキシードの不思議パワーは他人を癒やせるが、自分は癒やせない。それゆえ、エイジャがタキシードに過保護気味になるのも頷ける話だった。


「どうしてそんなに病院が嫌いかなぁ」


「……エイジャ、あそこには、なんかおるんや……穏やかではない何かが……それにほら、今だって、あの病院で注射を打たれた獣たちの怨嗟えんさの声が聞こえてくるやろ? ワシのええ耳には聞こえてんねんで」


 そう言って、なぁと力なく鳴いたタキシード。完全に自失状態。困ったように溜息をついたエイジャは、タキシードを持ち上げて目線を合わせると、ツンッと鼻を当てて、ふっとその表情を緩める。


「――今日は兄ぃの好きな〈にゃおちゅーる〉を買って帰ろ」


「……」


「そうだ、帰ったら私の尻尾で遊んであげる」


「……ほんま?」


「うん」


 タキシードはじっとエイジャの紫紺の目を見つめてから、彼女の鼻頭をザリッっと舐めた。エイジャは平静を取り戻した彼をケージに入れ、昼の街を歩く。


 昼のバミューダも、夜ほどではないにしてもキラキラ輝いていた。バミューダの建物は水晶クォーツ無色カラーレス風信子石ジルコンなどを積んだ宝石造りが一般的だ。しかしそのままだと中が透けて見えてしまうため、目隠しと断熱の目的で内壁ないへきには木材が使われていた。裕福な家は、外壁もタイルや木材で化粧張りにするのだが、庶民の家の外壁はそのまま宝石剥き出しとなっているのが普通であり、おかげてこうして通りはピカピカだった。


 二人が昼食を取れる場所を探して街をさ迷い歩いていると、街の中心から伸びる大きな通りに面したオープンカフェに、なんかすげぇのが座っているのを、ケージの中からタキシードが見つけた。


 光が乱暴に散る街中にあって、その姿は更に暴力的な光を振り撒いていた。


 あれは全身宝石甲冑――戦闘狂ウォーモンガーアメリ。見紛みまごうはずもない。隣には、やけにガタイの良い金髪の彼氏ハンクも居る。


 アメリは兜を外していたが、それでもその存在感はすごい。ハンクも首が見えないほどの恵まれた体躯の持ち主であり、二人が小さなテーブルを挟んで座っている姿は遠くからでもよく目立っていた。ひと言で言って異様だ。完全に浮いてる。


「――あれ、アメリさんじゃない?」


 エイジャも気付いたようだ。エイジャは一度だけアメリが夜の街に走り去る後ろ姿を見たことがある。


 タキシードはアメリに近づくことを躊躇ちゅうちょした。以前会った時も感じたが、彼女からは、ティーカップの代わりにたおした敵の頭蓋骨で優雅にアフタヌーンティーを楽しむような、そんな暴力性を感じるのだ。


「……近づかんとこう。な、エイジャ。ワシ、今日は疲れとるし――」


「――こんにちわ、アメリさんっ」


「あああああああああああ」


 エイジャが手を振りながら二人に近づいていき、ケージに入ったタキシードも否応なしに連れられていった。

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