レース会場
「――お前さん、それでいいんか……?」
カリフィクは若干同情めいた声で言った。彼の視線の先には、ケージに入れられて大人しくエイジャに運ばれるタキシードの憮然とした顔が。
「なんも言うな、じいさん。なんも」
バミューダレースは三つのクラスに分かれている。下からG3、G2、G1レースと呼ばれる。
最も一般的なレースはG3レースだ。これは各市街地を結ぶ街道沿いに敷設された小コースを周回するレースで、頻繁に行われている。さほど大きくない掛け金が動く庶民的なレースだ。
その上にあるのがG2レース。これはG3コースを拡張したコースとなり、季節の変わり目に開催される。G3レースの上位陣が出場し、個人戦としてはこのレースが最もレベルの高いレースとなる。掛け金も大きく、必ずこのレースで丸裸になる者が出てくるのが恒例だった。
最高峰のG1レースは南、北、東の三つの市街地を結ぶ、バミューダ海沿いの街道を完全封鎖して作られる長大なコースを使った大レースで、三角湖を何周もする長時間耐久レースだ。レースは夜明けのノイバラの刻から翌朝まで続くため、チームを組んだ交代自由の団体戦となっている。バミューダの街道を封鎖してしまうのでしょっちゅうは開催できず、基本的に年一回行われる特別なレースとあって、G1の日はバミューダ中がお祭り騒ぎになる。
もうすぐ
三人が向かう定食屋さんはそんな海岸沿いで、漁師飯を提供する店だった。
タキシードは今日はシンプルに〈アジフライ〉にした。下処理がしっかりしており、大きな骨はなく、臭みもなくて美味だった。タルタルソースに自家製ピクルスを使っているのが特徴的。
食後にタキシードが顔をゴシゴシ、手をペロペロ。顔を洗っている間中、カリフィクは今日のレースの概要を、頼んでもいないのにペラペラと説明していた。
「――で、じゃな。今回は騎士団系の選手じゃなくてじゃな、
カリフィクがそう言って出走者名簿を指差した。
「ワシはやらんで。ゼニを運に任せたりはせんのや」
「わしがこんだけ解説してやっとるのに、強情な猫め! 観念して単勝券くらい買ってこい! 肝っ玉の小さい奴じゃ! ちなみに初心者に連単券はおすすめせん!」
「ワシ、真面目に観戦だけしたいんやけど……なに笑っとるの、エイジャ?」
「――ふふふ。二人でわしわし言ってておもしろいなぁって思って」
タキシードは小さく息を付いて定食屋の外を見た。
「――お、あいつ」
タキシードは遠くで出走準備をしていた一団の中に、つい先日見たばかりの顔を見つけた。
「ブリランテ、やったっけか……」
ブリランテ。騎士団のリーブス所属だ。先日の入団試験でアメリに負けたらしいが、いい勝負だったと聞いている。おかげで彼は負けたにもかかわらず騎士団落ちはしなかったそうだ。
――アメリといい勝負をしたのなら、結構強いのではないか?
「兄ぃ、あの人、リーブスだよね? あの人にする?」
「ほう、エイジャちゃん知り合いかの?」
カリフィクに先日の話をすると、カリフィクはカッカして首を横に振った。
「だめじゃだめじゃ! 入団試験直後なんぞ、コンディションが最悪に決まってる。見ろ、あの男、身体をひねる度にわずかに顔を歪ませておる。どこか痛めてるに違いないわ」
「あ、そっか。なるほどー」
「それにリーブスの下っ端なんぞ勝てっこないぞ。G2ならサイドシューツを狙えるくらいの奴でなけりゃ」
感心した声を上げるエイジャに、カリフィクは得意げに腕を組んで見せた。
バミューダレースはコースを規定の回数周回し、一番早くゴールすれば勝ちだ。しかし、途中で選手同士の喧嘩が許されている。腕っ節の良さは重要なファクターだった。
足の速さも当然大事なのだが、コースが周回なので、振り切ったとしても油断はできない。待ち伏せの上、リタイア狙いの急襲は普通の戦略。酷いのになると、術を使ってコースに落とし穴を掘る、壁を作りまくる、コースを泥沼に沈めるなど、わりと何でもありだ。それ故に盛り上がる。武器の使用は認められていないが、間接的な術による妨害は素手の一種とみなされる。
「兄ぃ、面白そうだよ! やってみよう!」
エイジャの猫耳がピクピク、好奇心に揺れていた。
「おおー、そう来なくてはなぁ! どれ、このわしがもう少し買い方を指南してしんぜよう」
「いや……はぁ、もう」
エイジャがすっかりやる気になってしまったので、結局タキシードも渋々付き合うことになった。
選手は出走前にパドックと呼ばれる場所でウォームアップをし、そこでついでにコンディションのお披露目をされる。三人はそんなパドックを直接見て選手を目利きすることにした。
――誰でもいいか。
エイジャとは対照的に、まったくやる気の出ないタキシード。すると、
黒髪の女だ。運動に邪魔にならないように髪をくくっていたが、頭の上から丸い耳が覗いていた。エイジャもそうだが、頭に動物の耳が付いている人間は獣人の先祖返りの可能性が高い。タキシードの中で仲間意識が芽生える。
(しっかし、ずいぶんと
その女は、一度も親に殴られたこともないような空気を
――気になる……。
結局、タキシードはその女の単勝券を買った。半分応援のつもりだった。エイジャも自分の目で見て選手を選んだようだった。ゴリラみたいな男だった。一瞬シャバーニ君かと思ってドキッとしたほどだ。
カリフィクもパドックを直接見て選んだ二人の結論に茶々を入れるつもりはないらしく、何も言わなかった。曰く、結局最後は自分の目を信じて買うのがいいんじゃ。それなら負けても楽しめる。だとのことだ。バミューダレースの権威が、若者を慈しむような目で妙なこだわりを見せた。
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