グロテスク

「おおおおおおっ!」


 リーダー格の男が気を吐いて桃色の紐人間に斬りかかったが、緑地の剣は紐状の身体に引っかかって止まってしまった。あれは見た目以上に硬いようだ。男はそのまま体重をかけて刃を進めようと試みたが、グロテスクが振るった腕に打ち払われて後続の仲間に受け止められる形となった。


「うぉ――大丈夫かクレーメンス⁉」


「――くっそ……全員で囲んで始末するぞ‼ 女はほっとけ!」


 強盗が各々獲物をたずさえてグロテスクを囲んだ。それを眺めながらタキシードがワイトスパルナの足元で逡巡しゅんじゅんする――強盗を“強くする”のは駄目だ、グロテスクを始末した後、次にその強化された身体で襲い掛かられると手に負えない。ワイトスパルナを使おう。こいつは見るからに奇人変人の類いだが、長身でしっかりした体格をしており、悪党でもなさそうだ。


「――おい、キザ怪盗。自分、あのグロテスク抑えられるか?」


「ふむ、どうかな……相打ち覚悟ならたおせそうだが」


 ちらりとワイトスパルナの蝶々に隠された目が足元のタキシードに向いた。


「よっしゃ、ちょいまち」


 タキシードが尻尾を立ててワイトスパルナの足に身体を絡みつけた。すると直後にワイトスパルナの足元からキラキラとした光の粒子が立ち上り、彼の白い礼服を液体のように這い上がっていく。


「む、これは?」


「――出来たで。これで自分、相打ち覚悟でカチこんでも滅多なことで怪我はせん。ちょっとすまんが、ワシを信じてあのグロテスクの動きを止めてくれんか」


「不思議な黒猫くんだ……ふっ、いいだろう。任せたまえ!」


 そう言い終わる頃に、ワイトスパルナの全身が光の膜で覆われた。彼が手に持ったタンバリンを構えると、その円周に規則的に取り付けられた小さな円盤がシャラアアッと音を立てて一斉に回転を始める。それらは小さな丸鋸まるのこに似て、とても危険そうだった。


 押され始めていた強盗達の脇をすり抜けて、ワイトスパルナがその長身を肩からグロテスクにぶち当てた。勢いをそのままに肘を突き出して紐人間を壁に押し付け、逆の手に持った丸鋸まるのこタンバリンを、みぞおちをえぐるように押し当てる。するとそれはブチブチと音を立てながら紐人間の胴体に飲み込まれていった。


 千切れた紐の断面が、獰猛なヒルのように意思を持ってワイトスパルナの身体に食い付いていたが、彼がまとう薄い光の膜がその全てを紙一枚の薄さで防いでいた。


「なんとおぞましい……めっせよ!」


 気合と共にワイトスパルナの全身が張り詰める。


 彼の持ったタンバリンが更にグロテスクの奥にめり込んだ時と、紐人形の槍腕が跳ねて彼のうなじを狙ったのはほとんど同時だった。


 だがしかし、その槍腕は間一髪のところで後ろから閃いた緑色の剣によって壁に縫い付けられた。リーダー格の男が、後ろから体重を乗せて放った突きだった。


「やっちまえっ、怪盗野郎‼」


「そのままっ、そのままやで‼」


 タキシードが、いつの間にかグロテスクの頭の上に乗っかっていた。彼の目が暗赤色に妖しく輝き、尻尾がすらすらと空間に不可思議な紋様を描く。


 その直後、グロテスクの全身が潰れた。


 水圧に耐えかねて圧壊あっかいしたガラス瓶のように、バグンッと音を立てて内側に向かってぜたのだ。


 グロテスクは肉の塊と化して自らの体液の水溜まりに落ちた。


 そのあまりにも不可解な現象に一同ギョッとしたが、タキシードがシタッと床に降りてから「まだおるかもしれへんで!」と発した警告に、その場の全員が気を引き締めた。


 さぁっと静寂が降りてきた。


 ワイトスパルナと盗賊どもが改めて睨み合う。


 激しい雨の音だけが聞こえる中、最初に動いたのはワイトスパルナだった。


「――素晴らしい力だ、黒猫くん。では私はこれで失礼するよ!」


「一応、これで貸し借りは帳消しやからな」


 タキシードの言葉に、ワイトスパルナがピシッと二本指を額に当てた敬礼めいた謎のポーズで答え、蝶々の下に覗いた口元に微笑を浮かべながら窓から飛び出していった。


「――あっ! 女が居ねぇ!」


「もういい! あいつを追うぞ‼」


 強盗達も、大声を上げながら慌ただしく階段を駆け下りていった。


 タキシードは窓枠から強盗達が庭を駆けていった姿を確認してから、「もうええよ」と部屋に向かって声を掛けた。直後、「っはぁ!」と大きく息を吸い込む声が聞こえ、部屋の中にミシェルが現れた。彼女は、先ほどから座っていた位置から動いていなかった。


 ワイトスパルナは、タキシードがこっそりミシェルの姿を“隠した”ことを確認して、この場を去った。彼はこの場にミシェルを助けに来たのだろう。タキシードもミシェルを助けるつもりだったので立場としてはイーブンなのだが、これでグロテスクの一撃をかばってもらった借りを強引に返したことにした。


 タキシードはミシェルに怪我がない事を確認してから、「おたくら、もう出てきても平気やで」とセーフルームに声を掛けた。ガチャガチャ、ガラガラと音が立ち、その扉が開かれる。


「ミシェルさん!」


 いの一番に飛び出したのはジュニア。その後ろから夫妻が出てきて部屋の様子――グロテスクの跡を見て唖然あぜんとし、すぐに妻カレンがミシェルのところに行き、ドレアスがその場で立ち尽くした。


「ドレアス、あのぴかぴかタンバリンは駄目やったわ」


 セーフルーム組三人が、ついに喋る黒猫ことタキシードとご対面。全員が驚いて停止した。


「あなたは――」


 何か言おうとしたドレアスを遮ってタキシードがまくし立てる。


「タキシード探偵事務所、所長のタキシードや……自分、いざこざがあるの隠しとったな? もうこれは事件や、警察に連絡しいや。何かあってからだと、遅いで……雰囲気で察していると思うけど、グロテスクまで出たんや。もう観念せい。今回はたまたま助けたけど、ウチらは用心棒ちゃうからな。なんなら調査は継続するけど、それ以上のことはできん。警察に協力して事件解決みたいなこともするけど、あくまでも警察経由や。ウチには色々権限的なものがない。グロテスクが出たこと言えば、騎士団も動くやろ……あと、ワイトスパルナって誰?」


 ドレアスは黙り、答えなかった。


 この家は、色々と禁制きんせいを扱っているだろう。あの奇天烈きてれつな男ワイトスパルナが持っていたタンバリンが恐らく星遺物オーパーツだ。星遺物オーパーツの流通には届けが必要なのだ。強力すぎて危険だからだ。星遺物オーパーツを無許可で扱っていたことがバレると、バミューダでの立場が悪くなり、最悪、居住権を失うかも知れない。


 家を見られたくないので警察にも相談できない。しかしついに妻と子供にまで危険が及んだ。守るべき富と、守るべき家族。そのふたつが不可分であると思い込み、板挟みで苦悩する夫。過ぎたものを持つと、こうしてドツボにはまる。きっと彼は警察に届け出ない。タキシードはこれまでにも似たような人間を見てきた。守るべきものを見失った人間特有の、曇った目だ。


 まともな依頼に合わせた探偵タキシードの、珍しく生真面目な推理だ。


 ――に哀れなのは子供の方よ。親のごうを背負わされて、この先も生きていく。彼が独り立ちする時には、その呪縛から逃れられるだけの強さが身についているのだろうか。


 だが、それを言えばタキシードが背負う業も負けていない。理不尽さ加減ではむしろ勝っているとすら思う。タキシードの場合、誰も悪くないのだ。


 自分とジュニアの境遇を照らし合わせ、なんだか疲れてしまったタキシード。


「――じゃ、調査料金は事務所まで届けてな……ほなさいなら」


 タキシードは部屋を横切って階段へ向かう途中、グロテスクの肉の中に鈍い光を見つけた。そこには宝石が落ちていた。タキシードはそれを拾おうとしたが、グロい体液まみれのそれをくわえる自分を想像して怖気おぞけが走り、やめた。


「――あ、あの。タキシードさん」


「ん?」


 階段に足をかけたタキシードが振り返った。


「ありがとうございました」


 座ったままぴょこりと頭を下げたミシェル。


「……お大事にな」

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