現場突入

「――ちょっとまったあああっ‼」


 屋根を蹴って音もなく夜空を滑空したタキシードは、勢いのままキャロルが開けた窓に突っ込んだ。


 窓から外を眺めていたキャロルの目には、空に漂う闇黒くらやみが、真っ黒い毛むくじゃらな手を伸ばして顔面をつかみに来たように見えた。直後、白い三角形と青いふたつのリングが見えたと思ったら、キャロルの視界はふわふわの感覚と共に閉ざされた。


 タキシードがキャロルの顔にお腹をボスンとぶつけ、彼女を床に押し倒す形で浮気現場への突入を成功させる。


「――きゃっ!」


「――な、なんだっ⁉ グロテスクか‼」


「――わ、ワシは探偵! 探偵タキシードやっ‼」


 思ったのとは違う、やや間抜けな着地になって動揺する心を早口で誤魔化したタキシード。浮気男は腰を上げつつ、部屋の脇に置いた彼の獲物――大きな赤いなたを取りに行った姿勢で停止した。よく見るとこの男、上半身は服を着ているが下半身がパンツ一丁ではないか。ぜんぜん下心を隠していなかった。清々すがすがしい奴め。


「……猫? 翼がある……?」


 男が混乱している隙に、タキシードがキャロルの顔からどいて確認すると、彼女の口の左端にほくろがあるのを確認できた。キャロルで間違いないだろう。そして、キャロルのおっぱいは大きかった――この特徴は聞いていないぞ、ジョンソン。


「ねーちゃんがキャロルやな? ワシはな、旦那のジョンソンに雇われて自分を探しに来たんや」


「えっ……ジョンソンが……?」


 その後、タキシードがジョンソンの様子をキャロルに伝えると、キャロルは少し戸惑いながらも話に応じてくれた。


 キャロルは夫に奮起してほしかったらしい。曰く、寂しかった。もっと求めてほしい。怒ってほしかった。大見得おおみえを切った手前、帰るに帰れない。ジョンソンは普段からあの感じの通り。なよくて、へにゃちんで、要するに“足りて”いない。そういうことだ。


 旦那の注目を引くという大義名分を掲げているが、結局は自分のエゴを正当化する論理だった。動機がアメリのそれに似ている。〈ペディグリオン〉出身のタキシードには、こういった性に奔放ほんぽうな考え方が理解できない。


(もー、こんなんばっか。バミューダの女達、どうかしとるわ)


 強い生殖本能が過剰な行動に走らせるのか。ロザリアンはそういった人間ばかりなのだが、この国の貴族はこんな庶民が相手にならないほどに性欲お化けらしい。この国を巡回する騎士団――〈茨の騎士団ワイルドソーン〉の真の目的も、国中から有望な結婚相手(猛者)を青田買いすることだという噂が、まことしやかにささやがれている。恐ろしいことだ。


 タキシードは大きく嘆息すると、窓から身を乗り出して「なおーん」と夜空に向かって吠えた。どら声気味で。


「――まぁ、旦那も悩んどったよ。今呼んだから、話うてみ?」


 タキシードはキャロルを椅子に座らせた。すると、後ろから声が掛かる。


「君……ひょっとして噂の猫じゃないのか? 翼の黒猫」


「おお、多分そうやな……噂ってなんや? いよいよワシも有名人やな」


 しばらくパンツ姿で成り行きを見守っていた浮気男だったが、タキシードが振り向くといつの間にか彼はちゃっかりズボンを穿いていた。旦那を呼んだと聞いた途端のことだった。この高い処世術レベル――さては相当社会で揉まれているな?


「ああ……色区に、癖の強い喋り方をする黒猫が夜な夜な出没するっていう噂が、最近流行はやっていてね」


「まあ、大まかには間違まちごうとらんな。猫ちゃうけど」


「うっかり口車に乗せられて暗がりに引き込まれると、闇に飲まれて二度と朝陽をおがめないとか」


「……へぇ、めっさ邪悪な感じやな」


 タキシードの髭がぴくりと揺れた。


「ところが、ばったり出くわしてしまってもミルクをおごれば助かるらしい。だから、色区に繰り出す連中はみんな必ずミルク代をポケットに残すんだそうだ」


「怪談みたいな話になっとるやん」


「あと、NGワードがあるらしくて、怒らせると逸物いちもつ噛み切られるとかなんとか」


「凶暴すぎるやろ。かじりたくないし、触りたくもないわっ! ……そんな話になっとるの?」


「ほかにもいろいろあるよ。ところで、NGワードってなんだい?」


「……さぁな」


 そんな話を浮気男としていると、エイジャがジョンソン連れて来た。

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