三浦慎吾は相方の想い人と対面する
今日はこのあと、林太郎の家に行く。
そう言ったマネージャーの弁に三浦慎吾は眉をひそめ、山田林太郎は口を尖らせた。
「なんだよ、それ。聞いてないし」
「だから今、言っただろ」
「でも、俺はともかく――」
「住子さんには連絡してあるぞ」
ぐぐっと、言葉と息を同時に飲みこんだような音が聞こえ、慎吾が隣の林太郎に目を向けると、じつに複雑そうな顔をしていた。
林太郎の住む家は、フォレストが所属するAZプロともかかわりがある、高層マンションの一室だ。社長の親族が経営する不動産会社が所有する物件のひとつであり、その中でもとりわけ高級な部類に振り分けられる場所だと聞いている。
この不動産会社が扱うのは、そうした高級マンションだけではない。比較的安価な物件も取り扱っていて、芸能人へも住居を斡旋しているのだとか。地方から上京してきたタレントの卵たちにとって、これほどありがたいことはないだろう。
ただ、それは同時に「事務所に管理されている」といえなくもない状態。窮屈に感じることもあるだろうが、林太郎の状況を考えると、破格の扱いだろう。
事務所の稼ぎ頭ともいえるフォレストのリンが、一般女性と交際し同居することを、事務所が容認して守っているということなのだから。
「べつに行くのはいいんですけど、なんでまた」
「おまえにも会わせておいたほうがいいと判断したからだ」
「――まあ、そうかもしれませんね」
大杉の弁に、慎吾は嘆息しながら頷きを返す。そして、未だ不服そうな林太郎に、呆れながら声をかけた。
「杉さんは間違ったこと言ってないと思うぞ。これも、おまえや彼女のことを考えてのことだろ」
「どーゆー意味だよ」
「もしもおまえになにかがあって、連絡がとれない状況になったとき。繋ぎ役がいたほうが便利だって話だよ」
たとえばこの先、ふたたび雑誌社等にかぎつけられたとして、林太郎が住子と連絡を絶たなければならなくなったとしたら。
あるいは、林太郎独自の仕事上のトラブルで、家に帰ることが難しい状況になったとしたら。
公衆の面前で林太郎と顔を合わせて、隣にいてなにかを話していても、周囲の誰もが不思議に思わない相手は、フォレストの相方であるシンだ。
電話やメールといった手段があるのだから、まったくの音信不通という事態にはならないだろう。それでも、たったひとりでマンションに残されて、メディアの不確かな情報を聞き続けるよりは、林太郎の身近な人間から直接話を聞けるほうが、ずっと安心できるのではないかと、そう思う。
――まあ、それは杉さんがやればいいって話ではあるんだけどな。
悪人ではないが、なにしろ彼は見た目が恐い。本人も自覚しており、その威圧感を有効に使っているから、そもそも変えるつもりはないのだろう。
そんな強面顔が、若い女性に対峙して事態を伝えたとしても、逆に相手を追いつめて怖がらせてしまうのではないかと、危惧している。
大杉は、あれでいてとても優しい男なのだ。
場所は聞いていたが、そこは思っていた以上にがっちりとした高級マンションだった。広々とした地下駐車場は閑散としており、出払っているのか、それとも自身で車を所持していないのか、判別がつかない。
ふたりの後を追ってエレベーターに乗り込むと、そのまま林太郎が住むフロアへ向かう。
階数表示を見ると、五階まではノンストップで到達するようになっている。これは、五階を境にして住民層が違うことの証だ。それなりの顧客に向けて、造りが異なっているのだろう。
――すごい気合いの入れようだよな。
慎吾は胸中で呟く。都内出身の慎吾は、事務所に所属したばかりのころは実家から通っていたし、最初にひとり暮らしを始めるにあたっては親の力を借りている。あれから二回ほど引っ越しをしているが、ここまで大きなマンションには住んだことはないし、そもそも選択肢に入れることすらない。
このクラスのマンションだと、家賃だって跳ね上がるはずだ。
事務所が用意したということは、いくらかの補填が入っているだろうから、林太郎自身が支払う金額は、普通に契約するよりは安く済んでいることが想像できる。
つまり、そういった投資をしてもかまわないと社長が判断するぐらい、林太郎に価値を見出している、ということだ。
人知れずちいさく息を吐く。
自分はなにができるのだろう。
フォレストが人気を得たのは、リンのおかげだ。シン単独では、ここまでの知名度は得ていない。楽曲は業界内で評価されるが、一般層にとって大事なものは、そこではない。大切なのは、見た目である。
メンズモデルのようなリンが、動き、笑い、声を発する。
それは目を引くし、耳を傾けるし、こころを捉える。
当然のように写真映えするし、まして映像においてもそれに引けを取らないのだから、もはや文句のつけようがない。
整った容姿で生きてきた林太郎は、芸能人でなかったとしても「見られる」ことに慣れているのだろう。デビュー当初からすでに、振る舞いにはゆるぎない自信が見受けられた。
素人とは思えないオーラ。圧倒的な存在感だった。
唯一の課題ともいえたメンタル的な問題も、ここ半年ほどで改善されている。浮ついた、どこか隙の多い性格だったが、地に足が着いたような雰囲気が感じられる。
山田住子。
林太郎に変化をもたらした、今から顔を合わせる相手にやや緊張しつつ、慎吾はもういちど息を吐いた。
まずは俺が入るから、中に入らずに待ってて。
林太郎はそう言ったが、玄関を開けたとたん、誰かが廊下を歩いてきた。現れたのは、林太郎のスマホ写真で見た女の子だ。
「こんばんは、お疲れさまです」
「住子ちゃん、部屋で待っててって言ったのに!」
「お客様がいらっしゃるのに出迎えもしないなんて、そんな失礼なことできるわけないでしょう」
「杉さんと慎吾はべつに客じゃないし」
「あなたにはそうかもしれないけど、私にとってはお客様よ」
林太郎に対して冷たく断じると、次にこちらに顔を向けて深々と頭を下げる。驚く慎吾の隣で、大杉がのんびりと声をかけた。
「夜分遅くにすまない。ふたりの都合を考えると、今日がいちばんよかったもんでな」
「いえ。私のほうは問題ありません。上がってください」
淡々と告げると、二人分のスリッパを出して並べ、壁際へ下がる。大杉につづいて上がり、軽く頭を下げて中へ進む。明かりのついた部屋はリビングで、慎吾は促されるままに一人掛けのソファーへ腰を下ろした。
林太郎はといえば、地続きになっているキッチンのほうへ行ったようで、なにか音が聞こえてくる。慎吾らを迎えいれたあとに入ってきた住子もまたそちらへ向かい、話しかける声が聞こえてきた。
「なにか飲むわよね。今の時間にコーヒーでもいいの?」
「水でいいよ、水で」
「バカなの? いいから、お客様用のカップ出して」
「へーい」
大杉はといえはそれらの会話を耳にしても、気にしたようすもない。手帳を見ながら、考えこんでいる。
では、あれは「いつものこと」なのだろう。
真面目で丁寧、優しくて、かわいい。
林太郎が口にする『住子ちゃん』と、あの女の子がイコールで結びつかない。だが、以前に一度だけ電話の受け答えを聞いたときには、なかなか手厳しいことを言う相手だと思ったものだ。あれは、自分という第三者に警戒していたわけではなく、ただ本当に、ああいう性格の女の子だということなのだろう。いま漏れ聞いた言葉のように。
林太郎の言い分は、つまるところ「惚れた欲目」というやつで――。
けれどたしかにあの林太郎には、これぐらいビシビシと上からものを言うタイプのほうが、合っているのかもしれない。
ふわりと漂ってきたコーヒーの香りとともに、林太郎と住子がやってきた。
真新しいカップとソーサーを二客、慎吾と大杉の前に置くと、自身らはいつも使っているのであろう揃いのマグカップを机に置く。菓子皿に盛られた焼き菓子は、手土産として持参したものだ。さっそく林太郎が手を伸ばし、そのさまに住子が眉を寄せた。
「お腹すいてるんだって」
「なにも食べてないの?」
「今日は食べた時間が早かったからさ」
「……言っておいてくれたらよかったのに」
「ありがとう、だいじょうぶだよ」
口を引き結んで不機嫌そうな顔をした住子に、林太郎は朗らかに笑みを向けた。
――なに言ってんだ、こいつ。
まるで噛み合っていない会話に呆れていると、住子がちいさく呟いた。
「……ごはん、余ってるから。あとで、おにぎり作る」
「べつにこれでいいのに」
「駄目。きちんとお米を食べなさい」
「ありがとう、住子ちゃん」
ふにゃりと顔をゆるませた林太郎を見て、住子がまた眉を寄せる。
一見すると不愉快そうに見えるが、向けるまなざしに宿るのは真逆の色だ。
住子ちゃんはすっげーかわいくて優しいの。
たしかに顔にはあんま出ないけど、そういうの上手じゃないだけで、ほんとはすっげーすっげー優しい女の子なんだよ。
自分のことより他の人のことばっか考えてさ、住子ちゃんは自分のことを大事にしないから、だから俺が、住子ちゃんのことを一番に大事にするんだ。
林太郎が豪語していた言葉を思い出す。
それは、スマホに保存されていた顔写真を見たとき。証明写真なみに堅苦しい顔をした彼女を見て、「真面目そうだな」とだけ返した自分に、林太郎が告げたものだ。
彼氏に対する表情じゃないだろうと思っていたし、ついさっきまでの態度もまた、随分と突き放したものだと感じていたが、そうではないのだとわかった。
壊滅的に、感情表現が下手なのだ。
例の週刊誌に書かれていた過去を照らし合わせて考えると、想像もつく。針のむしろのような環境で暮らしていれば、表情筋だって死ぬだろうし、自分自身に良い感情は抱けないにちがいない。
そんななかでも周囲にあたらず、自制して生きている彼女は、たしかに心根の優しい人物なのだろう。
――実際に会ってみないことには、わからないもんだな。
そう独りごちたとき、ふと大杉の言葉を思い出した。
おまえにも会わせておいたほうがいいと判断したからだ。
――やられた。
心のどこかで抱いていた、林太郎の彼女への偏見を見抜かれ、それを取り払うべく大杉が仕掛けたということか。
慎吾が考えたような事案もあるのだろうが、それ以前に、慎吾自身が相手のことを知り、協力してやろうと心から思わなければ、言葉が上滑りするだけだ。気持ちが伴わない言葉を伝えるだけなら、文字でじゅうぶんなのだから。
大杉に目を向けると、にやりと口元で笑みを返される。
――わかりましたよ、認めましょう。
慎吾にとって、自身を変えるキッカケになった大切な友人を任せる相手として、山田住子という人物を知るべく向き合ってみようではないか。
肩で大きく息を吐くと、改めて目前のふたりに目を向ける。
意識を変えてから見ると、林太郎に対して身体を引いている住子の態度も、単純に恥ずかしがっているように映るから不思議なものだ。
「林太郎、紹介してくれないなら、俺が勝手に自己紹介して話を進めるけど、それでもいいのか?」
「ダメに決まってるだろ! 慎吾は住子ちゃんと話すの禁止だからな」
「バカなの? なに失礼なこと言ってるのよ」
「たしかにバカだな。こいつ、キミが俺のファンだって言ったことで、ものすごく機嫌が悪かったよ」
驚いたように目を見開いた住子が慎吾を見つめ、次に隣の林太郎へ顔を向ける。
無言の圧力に負け、林太郎はぼそりと言葉を吐いた。
「……住子ちゃんは慎吾のファンだっていうし、慎吾だって住子ちゃんに会って話したらさ、住子ちゃんのこと好きになるかもしれないじゃん。住子ちゃんかわいいし。そうしたら、俺、勝ち目なくなるじゃんか」
「――バカなの?」
「アホだな」
住子が呆れたように呟き、慎吾も遠慮なく言葉を突きつけた。
そんなくだらないことを考えているとは思ってもみなかったが、そこでどうして、自分がフラれる考えに至るのか。自信家の林太郎にしては珍しい弱気っぷりに訊ねると、顔を伏せたまま、ぼそぼそと言葉をつづける。
「俺はしょせん顔だけだしさ、それしかないからビジュアル面では頑張るけど、フォレストがアーティストとして成功して評価をもらってるのは、慎吾のおかげだろ。フォレストもさ、俺がいなかったらもっと別の方向にも行けたと思うし、そのほうが慎吾の曲を生かせるだろうし、ってゆーか俺が相手じゃないほうがもっと早くやりたいことやれてたと思うし……」
じめじめと陰気な調子で呟く言葉は、意外なものに満ちていた。
フォレストに必要ない――邪魔なのは、自分のほうだと思っていたのに、林太郎がそんなふうに考えているとは想像すらしていなかった。
「……芸能界のことはよくわからないけど、山田くんもシンさんも、両方が揃ってフォレストでしょう? 方向性や雰囲気が違うふたりだからこそ、それぞれにファンがついて、いいなって思う人がいるんだと思う。どちらか片方がいらない、だなんて、そんなことは言っちゃ駄目でしょ。それはファンの人に失礼よ」
「うん……、そうだね」
住子の静かな言葉に顔をあげ、林太郎は弱々しい笑みを浮かべる。
明るく朗らかなフォレストのリンや、幅広い役柄をこなす若手俳優の山田林太郎、そして慎吾の知っている普段の林太郎とも違う、別の顔。
林太郎にとって、それを見せられる相手が住子なのだろう。
まあ、だからといって、目の前で見つめ合って「二人の世界」に入られても困るだけなのだが。
大杉のほうに目をやると、こちらはまた手帳を見ながらなにかを書き込んでいる。
慎吾の視線を感じたのか、顔をあげずにそっけなく答えた。
「いつものことだ、慣れろ」
――マネージャーって大変だな。
大杉の忍耐力に、慎吾は感嘆の息を漏らした。
その後、林太郎の意識をこちらに取り戻し、改めて住子と挨拶をかわし、慎吾が別名義で手がけた曲のひとつが住子がCDを所持する程度に好んでいることが発覚して林太郎がまたも不機嫌になり。
ぐるぐるとお腹を鳴らしたせいで住子が夜食を作り、「もし、よろしければ」とご馳走になるころには、住子の緊張も解けたのだろう。
林太郎の言葉に、ほんの少し口元をゆるませるようすが見て取れるようになった。
なるほど、たしかにかわいいのかもしれないな。
胸中で呟きながら、三浦慎吾は小さなおにぎりを頬張った。
山田くんは微笑みながら睦言を囁く 彩瀬あいり @ayase24
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