第27話 ちゃんと言わないと、だよな

 ドラマ『恋模様』はネット配信ということもあり、テレビのような放送枠にはとらわれない番組だ。

 とはいえ、それなりの区切りはつけており、人気投票がそれにあたるだろう。

 二月放送分までの作品でおこなわれた投票結果に、林太郎の胸は躍った。

 田坂かおりとともに演じた、落とし物を拾ったマンションの隣人物語が、一位を獲得したのである。

 それだけではなく、愛田美衣亜が出演した家庭教師の物語も七位に入っており、二作品が入賞を果たした結果だ。追加キャストとしての爪痕は、じゅうぶんに残せたという証ではないだろうか。

 このことは事務所でも話題となっており、社長からもお褒めの言葉を頂戴している。大杉には「恋愛系の芝居がよくなった」と言われ、満足そうな顔をされた。スタート当時の駄目出しを思うと、感慨深いものがある。

 それもこれも、ぜんぶ住子のおかげだと、林太郎は思った。

 彼女との出会いが、自分を変えたのだ。

(……ちゃんと言わないと、だよな)

 告白に失敗してから、数日が経過している。三月末におこなわれるツアー最後の東京公演をまえに、慌ただしい毎日を送っており、住子と顔を合わせる機会がなかった。

 会えないのは寂しいけれど、いざ告白をしなければと思うと、ドキドキがとまらなくなってしまううえ、いざとなると、まともに顔が見られるのかどうかさえ、わからないときている。重症だった。

 思いあぐねて慎吾に相談を持ちかけると、重苦しい溜息をつかれたあげく「知るか」と一言で終結されてしまったため、林太郎の悩みは尽きない状態である。

 ドラマの中でなら、いくらでも口にできた。

 練習でなら、何度だって告げられた。

 ファンの女の子たちにだって、惜しげもなく与えてきた「好き」という言葉を、本当の意味で考えたことはなかったのだと痛感する。

(……でも、好きなんだ。ちゃんと住子ちゃんに、好きって言いたい、けど)

 だけど、住子はどう思うのだろう。

 付き合っているふりをしている状態で「好きだ」と告げたところで、本当に本気の想いなのだと受け取ってくれるだろうか。

 いままでさんざん「練習だと思って」と言っておこなってきた行為となにが違うのだと言われたら、どうすればいいのだろう。

 練習なんて、言い出さなければよかった。

 だが、それがなければ、今のように住子と話をすることはなかったはずで――

「…………はあ」

 一向に前に進まない思考を抱え、林太郎は大きく肩を落とした。



  ◇



 週末である金曜日。会社でもほんのすこし浮ついた空気が流れているなか、住子はといえば、淡々と仕事をこなしていた。

 決算期の三月だが、住子の業務にはさほど影響しない。年度始まりとなる四月初旬のほうが、どちらかといえば慌ただしいだろう。

 日々と変わりのない仕事内容ということは、頭の片隅で別のことを考える余裕もあるということ。

 住子は、ここ最近の林太郎のことを思い返していた。

 地方公演から戻ってきて以来、どことなく様子がおかしいのだ。なにかを言いかけて黙り、目が合うと愛想笑いを浮かべる。よそよそしいかと思えば、じっとこちらを観察しているといったふうで、どうにも林太郎らしくない。

 らしくない、だなんて言葉を当てはめられるぐらい、彼の人となりを知ってしまっていることに、住子は戸惑いを覚える。

 正直なところ、恋愛感情というものに縁がなさすぎて、自分の気持ちが「恋」なのかどうか、定かではないのだ。異性とこんなにも近しい関係になったのは初めてだから、それを恋心だと勘違いしているのだといわれたら、頷いてしまうかもしれない。それぐらい、不安定ではっきりしない、曖昧な感情だった。

 だとしても、こんなふうな気持ちを知ったことを、悪いことだとは思わない。

 きっと自分は誰とも結婚なんてしないだろうけれど、一生のうちに一度ぐらいは、誰かを好きになれたことを、うれしいと感じている。

 心の中に抱えて生きていくことぐらいは、許されてもいいのではないだろうか。

 どうせ、実ることのない恋だ。ふつうに考えて、成就するわけがない。

 なにしろ、相手は山田林太郎だ。デリカシーに欠け、自由奔放にこちらを振りまわす。強引で、不遜で、子どもっぽくて――

(勘違いさせるって、ああいう人のことを言うのよね、きっと)

 ひょっとしたら、相手も自分のことを好きなのかもしれない、だなんて。

 たんなる友情を、恋愛感情に取り違えて玉砕する展開は、ありふれた物語のひとつだろう。

 芸能界に疎く、フォレストのことすら認識していなかった住子に興味を持ち、浮ついた心を向けないからこそ、練習相手に選ばれた。

 当の本人に宣言されていることだし、住子だってわかっている。

 わかっていても、林太郎が特別になってしまった。

 それが問題なのだ。



 己らしくない悩みを抱えて帰宅した住子を待っていたのは、想定外の事態だった。

 アパートへ向かう道が黄色いテープでふさがれている。その先にはパトカーが停まっており、ちらほらと警察官の姿も見えた。

 不審者の話が、頭をよぎる。

 まさか、本当になにかあったのだろうか。

 見張りとして立っていた警察官の傍へ向かい、声をかける。

「あの、この先のアパートに住んでいる者なんですけど、なにかあったんですか?」

「住人の方ですか。実は、火事がありまして」

「火事?」

「もう鎮火しています。火元の特定はまだですが」

 通してもらってアパートに近づくと、入口付近に数名が集まっていた。ゴミ捨てなどで見かけたことのある顔ぶれが並んでおり、そのなかには林田の姿もある。こちらに近づく住子に気づいた林田は、手をあげて歩み寄ってきた。

「山田さん、無事でよかったです」

「……どうなってるの?」

「よくわかんないっすよ。放火なのか、失火なのか」

 通報したのは通行人であり、幸いにも住人はみな出かけていたようだ。学生や社会人が大半のため、昼間は無人になることが多いのは、不幸中の幸いといえただろう。だが裏をかえせば、どういった経緯で火が回ったのかを含め、目撃者が皆無ということであり、犯人の特定がむずかしい。ここ最近、付近で頻発している小火ぼや騒ぎもあり、同一犯の可能性も視野に入れられるのだろう。

 黒い煤が壁を覆っており、地面は水たまりになっている。二階部分からも水が滴り、消火活動の名残が感じられた。

 この状態でアパートに留まる人はおらず、みなそれぞれ寝る場所を手配しはじめているそうだ。管理会社が宿泊先を手配してくれるわけでもないため、今からビジネスホテルを探すしかないのだろう。

 林田は彼女の家に泊めてもらうことにしたらしく、簡単にまとめた荷物を持って、アパートをあとにした。同じように荷をまとめ、去っていく人がいるなか、住子はどうすればいいかのわからず、立ち尽くしていた。

 いや、わかってはいるのだ。泊まる場所を探さなければならない、と。

 泊めてくれるような知り合いはいないのだから、自分で探さなければならない。

 当面の荷物だって必要だ。

 だけど、いったいどれぐらいの荷物が必要なのだろう。

 このアパートにふたたび住めるようになるには、どれぐらい時間がかかるのか。仮に数ヶ月かかるのだとすれば、ずっとホテル住まいになるのか。それとも仮の住居を探すのか。そうまでして、このアパートにこだわる必要はあるだろうか。

 ひとり暮らしをはじめてからずっと住んでいるため、なじみ深い場所ではあるけれど、古いし、隙間風はあるし、音は漏れるしで、決して居心地がいいわけではない。

 だが、もしここを離れてしまったとしたら、林太郎とのつながりが絶たれてしまう。隣人ではなくなった住子に、なんの価値があるのだろう。

 リンの芝居は、評判が上がってきている。ネットで見る意見でしかないけれど、たんなるアイドルではなく、役者として評価する声が増えてきているらしい。

 ならば、もう練習だってしなくていい。現に、最近はあまり「練習」という言葉を口にしなくなった。

 住子の出番は、もうないのかもしれない。いま、自分と林太郎を繋いでいるのは、隣人という立場だけだ。離れてしまえば顔を合わすこともなくなり、住子はただ、彼をテレビや雑誌のなかにいる人物として見つめ、生きていくことになる。


 ゆっくりと迫る薄闇のなか、住子の胸にも闇が侵食しはじめた。

 どろどろと、ねっとりした重くて暗いなにかが背中にのしかかり、住子を押しつぶしていく。ひんやりとした空気のなか、頭も身体もグラグラしてきて、うまく立っていられなくなる。

「住子ちゃん!」

 そんな闇を裂くように響いたのは、林太郎の声だった。肩を震わせ振り返ると、帽子を目深にかぶった男が走り寄ってきて、住子を掻き抱く。

 途端、温度が戻ってきた。触れた部分がじんわりと熱を持ち、背中にまわされた大きな腕からも、あたたかな熱が伝わってくる。

「……よかった、無事だった」

 熱い吐息とともに、林太郎の声が耳の中に滑りこんできた。大きな背を縮めるように、覆いかぶさるようにして、林太郎の顔がすぐ近くにあることを、住子は夢の中にいるような気持ちで受け止める。

 囁くような声は続いた。

 火事の一報が入ったこと。二階部分にも火があがっていると聞き、蒼然としたこと。住人の安否は不明であること――

「住子ちゃんになにかあったらどうしようって、俺、死ぬかと思った。よかった、ほんとによかった」

「……山田くん」

 こちらの存在を確かめるように、さらに強く抱きしめられる。林太郎の腕の中、彼の声が身体全体に響いてくるようで、顔が熱くなった。それでいて、どこか冷静な部分が住子に告げる。

 ここは屋外。暗くなってきたとはいえ、どこで誰が見ているかわからない。気づかれたらどうするのか。

「山田くん、離して」

「ごめん、苦しかった?」

 ゆるんだ腕から抜け出すと、一気に熱が引いていく。それがひどく寂しい気がして、住子は頭を振った。自分の心を奥深くに押しこんで、林太郎に問う。

「山田くんは大丈夫なの?」

「平気。住む部屋は杉さんが手配してくれたから、住子ちゃんも一緒に行こう」

「私も?」

「ひょっとして、ホテルとかもう取っちゃった?」

「それは、まだ、だけど……」

「ならよかった。着替えとか貴重品、取りに行こう」

 立っている警察官に一声かけ、林太郎とともに階段をあがる。水が染みたままの廊下は、雨が吹きこんだとしてもこんなふうにはならないだろうといった有様だった。

 扉の前に立つが、情けなく震える手のせいで、鍵穴にうまく差し込めない。すると林太郎が、住子の手から鍵を取り上げた。苦もなく鍵をまわし、扉を開く。放水がどの程度のものだったのかわからないけれど、玄関部分には水が染みた状態になっていた。

 実家に帰省するときに持っていく程度の荷物に加えて、印鑑や通帳類もひとつの袋へまとめておく。冷蔵庫の中身に関してはあとで考えるとして、玄関先で待つ林太郎のもとへ戻った。

 彼のほうは、いつのまにか荷物をまとめてある。仕事で日本各地へ行くことが多いせいか、大雑把な林太郎にしては、随分と旅慣れた印象だった。

 アパートからすこし離れたところに、大きめのワンボックスカーが停まっていた。林太郎が近づくと、運転席から出てきたのは見かけたことのある男性――フォレストのマネージャーだ。暗がりのなかで見ると、さらに迫力のある風貌をしていた。

 戸惑っているあいだに荷物は積まれ、住子自身も後部座席に座らされる。隣には、ぴったりと張りつくように林太郎が座り、車は静かに動きはじめた。




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