第26話 これは俺の気持ちだからさ

 地方公演を終えて東京へ戻ると、昼を過ぎていた。その日は他に仕事もなく、半日はオフとなる。

 空港で遅めの昼食を済ませたあと、林太郎は住子にメールを送った。

 世間は平日。住子とて就業中の時間だ。生真面目な彼女がメールを返信するのは、休憩時間か業務終了後になるだろう。

 いつもは遅い時間に訪ねていくけれど、今日は自分が住子を出迎える。

 そう考えると、心がふわふわと浮き上がった。

「林太郎」

「大丈夫。寄り道とかしないで、アパートでおとなしくしてるって」

 険のあるマネージャーの声にしっかりと頷き、途中の駅で彼らと別れた。


 ツアーや撮影で東京を離れることは多いけれど、帰宅を急く気持ちは初めてだ。ツアーを通じて得た高揚感とはちがう気持ちが、胸中を渦巻いている。ガラガラとキャリーケースを引きずりながら歩いていると、沿道の花屋が目に入った。

 三月も中旬。暦の上では春だ。

 まだ肌寒い空気のなか、それでも店頭で花弁を広げている花を見ると、季節の移り変わりを感じる。もちろん今の時代は、温室栽培で咲かせる花もあるだろうけれど、やはり春は鮮やかな色がよく似合う。

 店内にも広がる花畑を、ガラス窓越しになんとなく見ているなか、林太郎はある一点で目をとめる。名前は知らないけれど、黄色い花があった。

 幸いにも、客の姿はない。いまなら、気づかれて囲まれることもないだろう。

 林太郎は店内に足を踏み入れ、その花の前に立った。手書きのポップに、ミモザと書かれている。小さくて丸い、珠のような集合体が華やかだ。

 春らしい鮮やかな黄色は、やわらかく目に映る。

 それは、林太郎がイメージする住子そのものだ。

「すみません、これが欲しいんですけど」

「ありがとうございます。ご予算のほうはお決まりですか? 他のお花に希望があれば、合わせてお作りしますよ」

「いや、これがいいんです」

「かしこまりました。プレゼントですか?」

「ちょっと遅くなったんですけど、ホワイトデーってことで」

 思いつきが口をついて出たようなものだったが、悪くない考えだと思う。バレンタインデーにプリンを貰ったことだし、お返しをしなければならない。

 きっと住子は「べつにそういう意味じゃない」と言うのだろう。けれど林太郎にとってあれは、まぎれもなくバレンタインだった。好きな女の子から貰った、初めてのバレンタインプレゼントなのだから、きちんと気持ちを返したい。

「そうですか。では、小さめのブーケにしましょうか。もしよろしければ、メッセージカードをお書きになってお待ちください」

 女性店員はそう言って、林太郎をカウンターへ案内した。数種類のカードを並べ、好きなものを使ってくれと言うと、その場を離れる。なんとなく目で追っていくと、さきほど指定した花を吟味しながら抜き取りはじめた。

 林太郎は、目の前のカードへ向き直る。

 なにを書こう。

 どんな言葉を伝えればいいのだろう。

 愛の言葉は口に出して伝えてこそだが、シンプルに「愛するキミへ」と記すのもスマートでカッコいい男にみえる気がする。

(いや、住子ちゃんはそういうの、あんま思わないかもしれないけど)

 ふっと笑いが漏れたあと、林太郎は重大なことに気づいた。

「……俺、好きって言ってなくね?」

 住子への気持ちが、たんなる友情ではないのだと気づいたのは、一月にあった雑誌対談でのこと。

 そのあとでバレンタインのプレゼントを貰って、すっかりその気になっていたが、自分と住子は付き合っているふり・・をしているだけなのだ。

 いままでずっと、恋愛ドラマの練習として住子に愛の言葉を囁いてきたけれど、彼女自身にその言葉を向けたことはないことに、唐突に気づいてしまった。

(つまり、これってチャンスじゃねーの?)

 すなわち、告白する絶好のシチュエーション。

 バレンタインデーに女子が告白するように、ホワイトデーは男子が返事をする日なのだ。


 当日、住子から告白をされたわけでもないことに気づかないまま、林太郎は今日という日を「愛を告げる日」と定め、いそいそとメッセージカードへ住子の名前を書いたのである。



  ◆



 アパートへ戻り、キャリーケースの中から荷物を取り出す。洋服のいくつかは、ツアーの荷物にかこつけてトラックで運んでもらっているため、持ち帰ったものは多くはない。住子に注意をされるため、お土産も厳選して購入している。

 住子へ渡すものをまとめていると、床に置いてあるスマートフォンが振動した。住子からの返信が入ったようだ。

 ロックを解除して確認すると、引用返信で「わかりました」とだけ書かれている。

 なんともそっけない――けれど、住子らしい簡潔な言葉に、林太郎は口元をゆるめた。

 家の中を整えて、仕事から帰ってくる彼女を出迎える。出演している深夜ドラマの設定そのものだ。

 まるで予行演習をしていたかのようなシチュエーションに、林太郎はドラマに感謝した。

 いままではずっと、ドラマのために住子に付き合ってもらっていたけれど、今回ばかりは逆だ。ドラマで得た経験を、住子へ還元するのだ。

 林太郎が演じているのは、料理男子でもある。疲れて帰宅した年上のヒロインに尽くしつつ甘える、という役どころのため、家事を担当しているのはヒーローのほうなのだ。

 おかげで、包丁を持つ手もさまになってきた。プロ並とはいわないけれど、普段の食卓にのぼる程度には作れるのではないだろうかと思っている。忙しくて自炊はしないけれど、実家が商売をしていることもあり、姉とともに台所に立つ機会は多かった林太郎だ。

 奥さんの姓になりたいんなら、料理のひとつでもこなしておきなさい、とは姉の弁。

 いいように利用されたようなものであるが、素直な林太郎少年は、姉に言われるがまま包丁を握ったものである。


 "夕飯、俺が作ろうか?"

 住子にメールを送信しながら、頭のなかでメニューを考える。すると、すぐさま返信があった。

 "余計なことはしなくていい"

 厚意を無にするような言葉だったが、林太郎は笑みを浮かべる。

 これはおそらく「帰ってきたばかりで疲れているのだから、なにもしなくてよい」という、住子なりの気遣いなのだと受け取ったのだ。山田林太郎は、どこまでもポジティブな男である。

 ならば、どこかへ食べに行こうか。

 ディナー。デート。花を差し出して愛の告白――

(もしかしなくても、完璧じゃね?)

 問題は、今から予約が取れるかどうかだろう。林太郎はスマートフォンのブラウザを立ち上げた。

 グルメサイトを眺め、星の数、口コミ情報を見ていくが、住子がなにを食べたいかもわからない段階では、店の選びようがないことに気づいて、手を止める。どうせなら、彼女が望むものを食べに行きたい。

「メールしても、住子ちゃんのことだから行くの断りそうだよなあ……」

 スマホに保存してある写真を眺めながら、ごろりと床に転がる。大阪のあとには福岡公演があり、東京を空けた一週間のあいだに、慎吾に住子の写真を見せるはめになってしまったことを思い出す。画面に魅入るあまり、背後に立つ慎吾に気づかなかったのだ。

 なんていうか、真面目そうだな。

 かなり言葉を選んだであろう慎吾の弁に林太郎は反発し、いかに住子が優しくてかわいいのか、熱弁を奮ったものである。

(……住子ちゃんがかわいいのは、俺が知ってればいいし)

 負け惜しみのように独りごちながら、画面の中の住子を見つめていたが、いつのまにか寝落ちしていたらしい。握ったままだったスマホが振動したことで目を覚まし、慌てて時計を見ると、とっくに七時をまわっていた。

 届いたメールは住子からのもので、なにかあったのかと問うてきている。林太郎は慌てて土産品を手にとると、隣室へ向かった。


「住子ちゃん、ごめん」

 扉越しに声をかけると、鍵をあける音がして、扉が開く。

「大丈夫なの?」

「平気。気づいたら寝てたみたい」

「疲れてるなら――」

「だからこそ、住子ちゃんに会いたいんだろ」

「……バカなの?」

 引き結んだ口元、戸惑うように揺れる瞳。

 こんなにも雄弁な表情がわからないとは、慎吾はまったく見る目のない男だと思う林太郎だが、彼だって出会った当初は、似たような感想を抱いていたのだ。

 古くさい黒縁眼鏡をかけたお局様ポジション。友達とかいなさそうな、根暗なインドア派。

 そんなふうに感じていたのは、去年の春先。

 考えてみれば、あと数週間もすれば、住子に出会って一年が経つのだ。

(……そっか、もうちょっとなんだよなぁ)

 感慨に耽っていると、住子が眉を寄せた。

「あがらないの?」

「あがる。そうだ、夕飯、どっか食べに行く?」

「シチューでよければあるけど」

「マジで? 食べる」

 知った途端、鼻に香る匂いがあった。部屋の奥から漂う温かな空気に誘われて、林太郎は靴をぬいであがりこむ。覗き見た台所のコンロには、大きめの鍋が鎮座している。住子が普段、カレーを作るときに使っている鍋だった。

 ひょっとしたら、自分が帰る今日に合わせて、作って待っていてくれたのだろうか。

 斜めに切ったバゲットも用意してあり、あとはトースターで軽く焼き目をつけるだけの状態だ。

「座って待ってて」

「手伝うよ」

「寝落ちするぐらい疲れてる人が、なに言ってるの」

 そう言われてしまっては仕方がなく、準備されている座布団に座る。キビキビと動く住子を見ながら、林太郎は脳内でシミュレーションを開始した。

 やはりまずは夕飯を食べてからだろう。

 夜景の見えるレストランでムードを高める手法は、この部屋では使えない。ドラマと違ってロマンチックなBGMも流れないのだから、現実というのはかくも厳しいものだ。

「……なに難しい顔してるのよ」

「いや、ちょっと考えごとを」

 シチューを運んできた住子が訝しげに問いかけるのを笑顔でかわして、手を合わせた。

「いただきます」



 あらかた食べ終わったあと、お土産をひろげて説明し、林太郎はいざ今日の本題に入る。

 花屋で作ってもらったブーケを差し出すと、住子は目を見開いて驚いた。

「なに、これ」

「ホワイトデーだよ。遅くなってごめんね」

「……必要ない」

「言うと思った。でも、これは俺の気持ちだからさ」

「気持ち?」

 問われて、林太郎は口を開く。

 そのひとことを発しようとした瞬間、言葉につまった。

「――なによ」

「いや、えっと……」

 好きだよ。

 その簡単な言葉が出てこない。

 いままでたくさん口に乗せてきたはずのそれが、林太郎に重くのしかかった。

 心臓が痛い。凄腕のドラマーが、超絶技巧で心臓を打ち鳴らしているような感覚だった。痛いぐらいに収縮を繰り返し、林太郎は動揺する。

 こんなに緊張したのは、初めてだ。ファーストライブの前だって、ここまで緊張はしなかった。

(なんだよ、これ。ただ住子ちゃんに好きって言うだけなのに)

 確認するように住子を見ると、目が合った。途端に心臓が大きく跳ね上がり、顔に熱が集中する。冬なのに、熱い。さっき食べたシチューよりもずっと熱い気がして、林太郎は右手で目を覆った。

「ねえ、山田くん」

「な、なんだよ」

「やっぱり疲れてるんでしょう? 部屋に戻って、ちゃんと寝たほうがいいと思う」

 食器を片付けはじめた住子に追いすがる気持ちにはなれず、倒れこむように床に転がる。

 告白というものが、こんなにもハードルが高いとは知らなかった。

 横になった体勢のまま、台所で洗い物をする住子の背中を見つめ、林太郎は重い息を吐き出した。



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