第31話 おまえはどうしたい?

 林太郎の家へ住まいを移して、通勤にかかる時間が増えた。

 わかりやすい道を通ろうと思うと、駅までの距離も自然と長くなってしまう。歩き慣れてくれば近道も見出せるのだろうが、林太郎に「危ないから、人がたくさんいる道を通って」と念を押されている。

 練習でも偽装でもなく、正式な「彼氏彼女」という関係になって以降、林太郎は妙に過保護だった。

 本来の彼は、とても優しい人だと、住子は思う。友人として芝居の練習に付き合っていたときでさえ、とても気を使ってくれていた。それと同時に、遠慮なく強引に意見を押しつけてくることもあり、そういった二面性はいまも変わらないけれど、基本的に善性の人間だ。

 住子が本格的に部屋探しに乗りきれないのも、そのあたりに起因している。

 平日に仕事をしながら次の引っ越し先を探すというのは、なかなか難しい。現行、ホテル住まいなどという状況であれば、休暇を取るなりして本腰を入れるところだけれど、こうして住居があり、一緒に暮らす相手が家を空けることが多いとなれば、息がつまるということもない。

 おかげで、住子の「次の住まい探し」は遅々として進んでいなかった。

 アパートにあった家具は、林太郎の荷物とともに運ばれきて、住子が寝ている部屋に置かれている。ベッド以外のものが入ったことにより「部屋」の様相をていしてきた。カーテンがかかると、それはさらに顕著になる。フローリングの床にはアパートで使っていたキルトカーペットが敷かれ、使い古したローテーブルまで鎮座しているものだから、見た目だけなら完全に住子の部屋だった。

 リビングにかけるカーテンは、住子が選んだ。

 林太郎自身が店に買いに行くのはむずかしいこともあり、カタログを見ながら相談に乗るという流れで、選ばされたというのが正しいか。

 これではまるで、同棲ではないか。

 その単語が示すにはいささか家が豪華すぎるけれど、状況的にはそうとしか思えない。居候、間借りといった単語にそぐわない生活は、住子の心を惑わせている。



 マンション内へ入るには、いくつかの認証システムがある。カードキー、暗証番号の入力に加え、どうやらスマートフォン等のアプリでも開錠が可能であるらしく、ガラケー使いの住子にはハイテクすぎて、未だ理解が追いつかない。

 そのぶん、不審者の対策にはなっているのだろう。頭上にある監視カメラの存在も、いつのまにか慣れてしまった。

 住子自身は正面の扉から出入りをしているけれど、林太郎は地下の駐車場がメインだ。このマンションは、そういった「人目を忍ぶ」層にはうってつけで、姿を見られずに生活ができる。くわしくは知らないけれど、芸能人も多いのだろう。

(私みたいな一般人が出入りしてたら、逆にあやしくない?)

 そびえ立つマンションを見上げて、住子は大きく肩を落とす。あまりにも不似合いだ。地味なパンツスーツの社会人の住まいには程遠い。

 おまけに今の住子は、買い物袋を手に提げている。付近には食料品店が見当たらないため、一駅手前で降りて、買い物をして帰ってきたのだ。こういう高級マンションに住むような人は、宅配やネットスーパーなどを利用して、自らの足で買いに行くことはしないにちがいない。一玉まるごと買ったキャベツの重みを感じつつ、住子は入口に向かった。

 今から、林太郎のリクエストであるロールキャベツを作らなければならない。

 住子の引っ越しは、まだしばらく進みそうになかった。



   ◆



 大杉に連れられて事務所へ呼び出された林太郎は、机の上に広げられたゲラ刷りに愕然とする。

 それは近日発売される週刊誌の記事であり、写っているのは林太郎と住子だった。おそらく、いつだったかの夜、近所のコンビニまでふたりで出かけた時のものだろう。渋る住子を半ば強引に連れだして、人が少ないのをいいことに手をつないで歩いたことを覚えている。

 もっともそれは、すぐ住子によって振り払われたけれど、手をつなぐことが嫌なわけではなく、人に見られる可能性を考慮してのことだとわかっている。

 つまり、これは林太郎の失態だ。住子の気遣いを無にしたのだ。

 別の日に撮ったであろう写真には、住子が大きな袋をさげている姿が捉えられている。

 顔は隠されているし、それが山田住子という女性であることはわからない。だが、記事にはくだんの一般女性に関する話が掲載されており、その内容が問題だった。

 そこには、女性――住子の生い立ちが書かれている。いったい誰に聞いたのか、住子の母親がかなり男癖の悪い人物であったこと、高校生で妊娠をして未婚のまま子どもを産んだこと。生まれた子は、ほぼ祖父母によって育てられたことなどが、記されている。母親の学生時代の噂話や、住子自身の評判など、いったいどこまで本当なのかわからないようなことまで書かれており、林太郎はいきどおった。

「なんだよ、これ。なんでこんなことっ」

「それが向こうの仕事だからな」

「でも、住子ちゃんには関係――」

「なくはないだろう。おまえと付き合ってるかぎりは」

「――――っ」

 断じられて、言葉につまった。

 言い返すこともできず、ただ俯く林太郎の耳に、大きな溜息が聞こえる。

 顔をあげると、社長の渋面が見えた。どちらかといえば温和なところがあるAZプロの社長・門脇かどわきの見慣れない顔つきに、林太郎は背を縮こませる。

 これは、どう考えても自分が悪い。住子を家に置くことを許可してもらった際、さんざん「気をつけろ」と言われていたにもかかわらず、この失態だ。

 フォレストは、デビュー以来ずっとスキャンダルとは無縁だった。週刊誌にすっぱ抜かれるようなことは、一度もしていない。

 ファンとは常に一定の距離を置いてきたし、個人的にやり取りするようなことは避けてきた。住子は「ファン」ではなかったし、ただの隣人であり、芸能人の自分に関心を持っていなかったため、こういった事態を失念していた。

 ――いや、こんなふうになるとは思っていなかったのだ。

 好きになるなんて、思っていなかった。

 好きになって、相手も自分を好きだと言ってくれるだなんて、思ってもみなかったのだ。

 浅はかだったのは自分だけれど、たくさんのタレントを育ててきた芸能事務所の社長と敏腕マネージャーなら、こういった事態は想定していたのではないだろうか。

 彼らが思案しているのはこうして記事になったことであり、相手である住子の生い立ちについて眉をひそめているようにはみえない。林太郎は本人を知っているため、彼女に対する偏見はないけれど、世間一般的にみれば、かなり問題のある家庭環境のはずだ。だからこの記者も、リンの女性スキャンダルというよりは、相手側が問題のある人物であるような書き方をしているのだから。

 考えられることは、ひとつだった。

「……杉さん、住子ちゃんの家のこと、知ってた?」

「ここまで詳しくはないがな」

「なんで――」

「おまえが住む部屋の両隣、どんな奴が住んでるのかぐらい、ざっと調べるだろ」

 林太郎が引っ越しを余儀なくされた理由が理由だ。若い女性が暮らしていそうな場所は避けただろうし、事実あのアパートの主な住人は、単身者の男性だった。

 大杉は、203号室に住んでいる女性を調べ、身辺に特に問題はないと判断した。だから林太郎は引っ越しをしたし、今回の強引な同居も許容されたのだ。

 考えてみれば、当然だった。移動中、慎吾に対して住子の話をしているということは、運転席にいる大杉だって一部始終を耳にしているということであり、問題がない人物だと判断していたからこそ、咎められなかったのだと、今になって気づく。

「……俺、バカだな。杉さんの気遣い、全然わかってなかった」

「まあ、それがおまえのいいところであり、駄目なところだな」

「林太郎」

「はい」

 社長に声をかけられ、林太郎は姿勢を正す。まっすぐ射抜かれるような瞳から、視線をそらすような真似はできない。

 うしろめたいことなど、なにもないのだ。住子は真面目で――、度が過ぎるぐらいの生真面目さをもって生きている、誰よりも大切で、なによりも守りたい女の子。ここで自分が逃げるわけにはいかなかった。


「おまえはどうしたい?」

「記事を止めたいです」

「そうだな。となれば、なにか替わりを提供する必要がある。わかるな」

「――はい」

 向こうは紙面を用意している。それに替わるネタを出さなければ、引き下がってはくれないだろう。

 ネタといっても、事務所の誰かを犠牲にするわけにはいかない。今回のことは林太郎の軽率さが招いたことだし、週刊誌が出そうとしているのはリンにまつわる記事なのだ。慎吾にも迷惑はかけられないだろう。

 替わりになるかどうかはわからない。

 けれど、差し出せるものは、他に思いつかなかった。

「社長――」

 林太郎はそれを願い出て、社長は無言で頷いた。

 そして、週刊誌がリンにかかわる記事を公開した。


 人気アイドルデュオ『フォレスト』のリン。

 本名、山田林太郎。

 実家は、その筋では有名な、アンティーク家具や輸入品を取り扱う専門店。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る