第16話 大事だからだよ
全国五ヶ所を巡るツアーが開催されることは、シングルに封入されていたお知らせで、住子も知っていた。
『恋模様』の収録と並行して、ライブの準備もおこなわれているらしく、林太郎は前にも増して多忙だ。しかしそれでいて、とても楽しそうだった。
週末、住子が休日のときには部屋に来ることもあるが、それ以外の平日となると、ほとんど顔を合わさない。おかげで、おかずが余りがちで、冷凍室を圧迫している。
これまでそんなことはなかったことを考えると、やはりこれは林太郎の影響なのだろう。
そしてそれは、彼が己の生活に入りこみすぎていることを意味しており、住子は眉をひそめてしまう。
そのとき、携帯電話が震えた。メールが届いたらしい。
こまめに連絡を取る知人もおらず、着信はほぼない生活だったが、最近になって通話が増えたのは、これまた林太郎のせいである。
顔を合わせる時間が減った。
ツアーがはじまると忙しくなる。
年末年始にかけての特番があるため、収録も増える。
家へは寝るために帰ってくるような状態が続くであろうことを踏まえ、林太郎が「電話していい?」と、訊いてきたのだ。
山田林太郎の「〇〇してもいい?」は、問いかけのようでいて、確定の言葉だ。
彼の中では決定事項で、まず
学んでしまった住子は、了承しながらも、事前に確認を取ることを約束させた。
携帯電話を手に取って確認すると、案の定、林太郎からである。
件名に「電話していい?」とあり、本文は書かれていない。このメールは毎度のことで、慣れた様子で住子は返信する。
こちらもまた簡潔で、受け取ったメールを返信で使用し、本文中に可否を入れるだけ。
通話が不可能な状態であれば、そもそも返信もできないため、「返信がある」ことが「了承」の合図ではあるのだが、確証は大事だ。言った言わないにならないよう、業務上のやり取りは、口頭のあとにメール等の文章でも残しておくのが鉄則だろう。
ほどなくして、今度は電話に割り当ててある着信音が鳴った。
通話ボタンを押すと、林太郎の声が聞こえてくる。
「ちょっと意見を聞きたいんだけど、いい?」
「唐突に、なに」
「アップテンポの曲とバラード、どっちが好き?」
「……はあ?」
「曲順を決めかねてて、意見が割れてるんだよ」
ライブ開幕一番は盛り上がる曲で、続けてリズムの早い曲で加速する。何度か挟むMCあけに、じっくり聞かせるタイプの曲で緩急をつけるのが通例だが、敢えてそれを外すのはどうか、という話が出ているという。
ライブというものに行ったことがない住子には、いまひとつピンとこない感覚だが、物語における緩急に置きかえれば、わからなくもない理屈だ。加速してばかりいては、見ているほうも疲れるし、第一、演者だって疲れるのではないだろうか。
「うるさいのは、好きじゃない」
「わかった。女子意見ってことで、ちゃんと主張しておく」
「そもそも、私の意見なんてきいて、どうするのよ」
「大事だからだよ」
「――なにが大事なのよ」
「住子ちゃんが観て、楽しめなきゃ意味ないし」
フォレストというアーティストを知らない自分のような人が、ライブを通して、興味を持ってもらえるような会場を作りたいと、そういうことなのだろう。住子は納得する。
「ライブDVD出すから、楽しみにしててね」
「それ、はじまる前に言っちゃ駄目なことでしょ」
「――あ! でもまあ、みんな、たぶんそうだろうなーって思ってるだろうし」
「だからって、実際に口に出していいものじゃないでしょう」
「なんか住子ちゃん相手だと、ついぽろっと口がすべるんだよな」
「それは悪かったわね」
「いやいやちがうっしょ。気の置けない仲だって意味だし」
「バカなの? 芸能人がなに言ってるんだか」
電話口で笑うのは、住子の知っている「隣人の山田林太郎」だ。けれど、面と向かって話すときとはどこか違う気がするのは、声だけだから、だろうか。
もっといえば、姿の見えない状態で、片耳だけで捉える声。それは、耳の奥に入りこみ、心を震わせる。
そんなふうに考えて、住子は頭を振った。
「明日は時間取れそうなんだ。住子ちゃんの部屋、寄っていい?」
「べつに、かまわないけど」
「じゃあ、明日ね」
楽しげな声を最後に通話を終える。途切れた音声を境に、急に静けさが訪れた。防音にすぐれた部屋ではないため、どこかしらの生活音が聞こえるものだが、今日は不思議とおとなしい。
耳が寂しい気がして、住子はパソコンの電源を入れる。起動するまでの時間がひどくもどかしい。
ブラウザを開き、アクセスしたのは『恋模様』の配信ページだ。八月も後半となり、ドラマも夏を取り扱った内容となっている。
前回は、海を舞台にした三作だった。今週から公開がはじまったのは、林太郎が出演する夏祭りにまつわる作品。先月、「練習」した回である。
マウスを動かして、映像を再生させる。音声を漏らさないように密閉型のヘッドフォンをつけているため、左右に振られる人混みの音が生々しい。まるで本当にその場にいて、人々が通り過ぎていく感覚だ。
ディスプレイでは、林太郎扮する『夏彦』が、とうもろこしを食べている姿が映っている。あの日、林太郎がとうもろこしを選択したのは、夏彦が食べるからだったのだろうか。浴衣を着た菜摘が食べるのは、リンゴ飴。こちらはおよそ、住子とはかけはなれた姿だ。
いままでの練習でも、脚本に描かれている役柄に沿った行動をしたことはないし、完全な姿を求められたことはない。
台詞を受ける役が欲しいというだけであり、壁を相手にするよりは、実際の人間を相手にしたほうが、感覚がつかめるというだけだとわかっている。
だというのに、今日のそれは、胸がチクチクした。
ついさっき耳許で聞いていた声と同じものが、ヘッドフォンを通して耳の中へ滑り込む。
同じように、耳許で話しかけてくる。住子ではなく、他の誰かに対して。
ドラマは進み、菜摘は男に絡まれる。
屋台の混雑に辟易したため、夏彦が買い出しに行った際、一人となったときのことである。
よくあるシチュエーションだ。
ナンパ目的の男に声をかけられ、そこに颯爽と現れるヒーロー。
このドラマは、そんな「あるある」を見せることを目的として作られている。
けれど、映し出される林太郎の姿に、住子の心は澱んだ。
脚本なんてほぼ記憶していなかったけれど、あの日の練習は、本番に沿ったことをおこなっていたのだろうか。
人混みを見やり、端で待っているかと問うたのは、本番を見越しての発言だったのかもしれない。
絡んできた酔っぱらいは、ただの偶然だ。ああいった場では、たいして珍しいことではないし、林太郎が手配するなんてことはありえない。あのときの怒りは本物だった。
山田林太郎は、そこまで悪人ではないというか、小細工ができるような性格ではない。その程度には、信用している。
住子にとっては、久しぶりの夏祭りだけれど、林太郎にとっては夏祭りの「練習」だった。
ただ、それだけなのだ。
それだけのことが、なぜか気になる。
いままで、さんざんおこなってきたことなのに、なにを今更自覚しているのだろう。
悩む住子の耳には、なおもドラマの音声が入ってくる。物語は、トラブルを経た二人がようやく互いの気持ちを吐露し、木陰で寄り添うシーンとなっている。交わされるキスシーンからは目を逸らす。知った顔のラブシーンなんて、お芝居だとしても居たたまれない。次に顔を合わすとき、どんな顔をすればいいのか、わからなくなる。
以前なら気にもしなかったことを、こんなにも意識するようになったのは、いつからだろう。
俳優業をやっているのだと知り、出演作を気にかけるようになり、過去の作品を借りてみたりするようになった。最初のころはたどたどしかった芝居も、次第に馴染んで見えるようになっていることを、ほほえましく感じる。
だからこそ、練習にも付き合ってあげているのかもしれない。
ドラマ内で、花火があがる。
あの日見た花火よりも豪華なそれらは、借りた敷地で実際に打ち上げたものだという。実際、小規模な催しを兼ねたものであったらしく、劇中の屋台も本物だ。住子たちが行った夏祭りは、本当に似通った祭りだったようだ。
色とりどりの光に照らされた二人が、言葉を交わす。
やや喧嘩腰に、けれどすこしだけ歩み寄って。物語冒頭とはちがう距離感で展開される台詞運び、そうやって描かれる二人の関係性の変化に、視聴者は胸をときめかせる。
男の手が、女の手を握る。
驚いた表情で見上げる女の視線を、男は空を見上げることで流すけれど、照れ隠しなのだと見てとれる顔。
画面の中の男が――林太郎の顔をした男が、彼女に囁く。
「来年もまた、一緒に見よう。今度はちゃんと、恋人同士として」
あの日、林太郎が告げた言葉が脳裏をよぎる。
来年もまた、一緒に見よう。今度はちゃんと、ずっと傍にいるから。
わかっていたことだ。
だってあれは、芝居の
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