第17話 はじめまして
ホテルの一室。持ち込んだタブレットをネット回線につなぎ、動画を再生させる。
夏休みを挟んだせいで前後していたが、昨日から配信されているのは、林太郎が担当した作品。帰国子女と地味子のオフィスラブ物語である。
「なんでそれを俺の部屋で見るんだおまえ」
「いーじゃん、一緒に見ようぜ」
呆れ顔の慎吾に、林太郎は笑顔を向ける。
ツアーで訪れた北海道。来たついでに、地方紙のインタビューやラジオ番組など、いくつか仕事をこなすため、数日間は滞在している。フォレストとしての仕事だから、当然、昼間は共に行動することになるわけで――。
どうして、ホテルに戻ってまで一緒にいなければならないのか。
慎吾が溜息をつきたくなっても仕方がないだろう。
タブレット用のスタンドまで持ち込み、鏡台の前へ立てる。大画面のテレビを横に、小さなサイズのタブレットでドラマを見るのは、どこかシュールな絵面である。
「で、どんな話なんだ?」
「オチを言ったら、見る意味ねーだろ」
「おまえが女優を口説いてる姿を見て、俺が楽しいと思うか?」
「俺じゃなくて、雄一郎だよ」
「誰だよ、それ」
「俺の役名。海外支社から応援に来た、帰国子女のエリートサラリーマン」
はじまったドラマでは、眼鏡をかけた女が、他の女性社員に囲まれ、嫌味をいわれる姿が映し出されている。
慎吾に対して見ろと強要するくせに、林太郎はあれこれと解説を加える。その内容は、ドラマの筋書きというよりは、それにまつわる裏話が主体であり、つまるところ要するに、住子との練習について。
他人の眼鏡を外すコツを豪語されても、困るだけだろう。
まだ見ぬ「スミコちゃん」とやらに、同情を禁じ得ない慎吾である。
そのとき、林太郎のスマホが震えた。
ベッドの上へ放り出していたそれを手に取ると、笑みを浮かべている。
「悪い、電話してもいい?」
「好きにしろよ。動画、消そうか?」
「見てていいよ」
言いおいて、林太郎はスマホを耳にあてる。ほどなくして、口を開いた。
「もしもし? 遅かったね。……そう? うん、俺は今ホテルの部屋。慎吾と一緒。……えー、そんなことねーって」
やや不服そうにあげる声は、言葉とはうらはらに楽しげだった。
「慎吾にかわってあげようか?」
急にそんなことを言い出した林太郎が、スマホをこちらへと向ける。ディスプレイには、山田住子と表示されており、「ちょっと、山田くん?」と女の声が漏れ聞こえた。
どうやら電話の相手が、噂の「スミコちゃん」であるらしいことを、慎吾は把握する。
「相手が困ってるぞ。俺だって、困る」
「こんばんはー、でいいじゃん」
「誰もがおまえみたいにフレンドリーな性格してると思うなよ」
ずいと突き出すスマホを渋々受け取ると、ひとつ息を吐いて、口を開く。
「えーと、バカが無茶を言って悪いね。あとで絞めとくから」
『……いえ、こちらこそ、すみません』
「はじめまして。リンと一緒にフォレストをやってるシンです」
『山田住子といいます。やま――リンさんの、隣人、です』
山田と口にしかけて止めた言葉に、慎吾は小さく笑う。
「アイツのこと、山田くんって呼んでるんだな。よく許したもんだ」
『名前を呼び捨てになんて、できません』
「リンでいいって言ってるのに」
電話の先で女が言うのと同時に、慎吾の隣で林太郎が口を尖らせる。そして、スマホの向こうにいる相手に向けて、大きく告げた。
「いいじゃん、もう名前でさあ」
『うるさい、バカ太郎』
ぴしゃりと撥ねのける言葉は随分と辛辣だが、対する林太郎は笑っている。スマホを返すと、そのまま会話を続け、慎吾は未だ再生を続けるタブレットを手に取った。
一本が十五分ほどのドラマが三作見終わるころ、林太郎が通話を終える。脇のテーブルに置いてあったペットボトルの水を飲み干し、肩をぐるりとまわした。
「いつもそんな感じなのか?」
「そんな感じって?」
「電話だよ」
林太郎が女子からの声援を糧としていることは知っているが、あの住子ちゃんとやらは、そういった明るい声援を送ってくれる相手には思えない。なにしろ、名前で呼んでという要求に対する返事が「バカ太郎」である。
「山田くんって呼ばせてるのか?」
「ちょっと前までは、山田さんだったんだぞ。他人行儀すぎると思わね? 友達なのにさ」
だから、なんとか「さん」はやめさせたんだ――と胸を張る林太郎を見やり、慎吾は嘆息する。詳しくは知らないが、大杉が黙認しているからには、取り立てて問題のある人間ではないということだろう。ならば、プライベートに口出しするのは野暮というものだった。
◆
今回の『恋模様』は、高校生のヒロインに勉強を教える、大学生家庭教師という設定。
原案は少女漫画家によるもので、家庭教師に恋心を抱くピュアな女子高生を描いた物語。林太郎が演じる大学生は、硬い表情を崩さず、上から目線でものを言うクール系のヒーローだ。
どんなふうに演じるかにあたって参考になったのは、住子の態度だった。
こちらの言葉を淡々と受け止め、戻ってくるのは熱量の低い返答。引き結んだ口元がゆるむことは、まずない。
冷淡に見えて、けれど機嫌が悪いというわけではない。それは己を律しているだけなのだ。
物語を読み解くに、この男は女子高生に対して好意を持っている。
けれど、家庭教師という立場や、相手が高校生であるということを加味し、距離を取っている。彼女からの好意を感じつつも安易に踏み込まないのは、彼なりのけじめなのだろう。
その潔癖さは、どこか住子を思わせた。
今回の物語が「練習」に至らなかった理由は、ヒロインと住子が結びつかなかったところが大きかった。
ライブツアーもあり、時間が取れないことも理由のひとつではある。顔を見て話すことは少なく、反比例で電話が増えている。
電話口の住子は、いつもより感情が豊かだ。顔を見ない状態で話すため、それらを顕著に感じられるようになったのかもしれないが、うれしい発見である。
ひとつ残念だったのは、誕生日付近で顔を合わす機会がなかったことだろうか。ツアーの打ち合わせやらで時間がとれず、帰宅時間も定まらない日々が続いた。
無論、スタッフのみんなには盛大に祝ってもらったし、住子からは、電話越しに「おめでとう」の言葉も引き出した。
正確には、「へえ、おめでとう」というひどく素っ気ないものであったが、祝われたということが大事なのである。
だけど、どうせなら、面と向かって言ってほしかったと思う。
コンビニスイーツでいいから、一緒に食べたかった。住子ならきっと、冷えたアイスティーを淹れてくれただろう。
芸能界とは別のところで「誕生日をお祝いされる」というシチュエーションを、ひそかに楽しみにしていたのである。
スタジオに組まれたセットは、ヒロインの部屋ひとつだけ。シチュエーションドラマであるため、今回はすべて部屋の中でおこなわれる。
女子高生らしいパステルカラーに統一された内装。壁際に寄せたベッドには、花柄のクッションがふたつ置かれている。反対側の本棚に並んでいるのは、原案作家の漫画本と、同出版社のレーベル漫画、ライトノベル。スポンサーになっている会社にまつわる小物も数点。これらは基本、『恋模様』の中で使いまわされている。
今回のヒロイン役は、女子高生という年齢に近しい、二十歳の
愛田は、女優と名の付くほど仕事をこなしているわけではなく、目下、売り出し中。もともと、十代向けのファッション誌で読者モデルを務めていた女の子ということもあり、同世代には絶大な人気を誇っている。
スタッフから説明を受けている彼女は、明るい色の髪を役に合わせて黒く染めたらしく、いつもとは違う印象だった。
椅子に腰かけて脚本を見返していると、マネージャーらしき女性とともに、彼女が挨拶にやってきた。
「よろしくおねがいしまーす」
明るくて、大きな声。ぱっちりとした目が、こちらを見つめている。
「はじめまして、こちらこそよろしく」
「リンの大ファンなので、もう、すっごく感激ですー。あの、あの、握手してください」
差し出された右手を握ると、こちらの手を両手で覆い、上下に振る。水色とピンクが交互に塗られた爪に、キラキラしたパーツが張り付いていた。
(おお……。なんか、こういう熱烈対応、久々かも)
共演してきた女優とは違う、どこか素人っぽさのある言動。
だが、女子高生という役どころには、これで合致しているのかもしれない。
大学生のイケメン家庭教師に想いを寄せるヒロインは、一念発起して、気持ちを告げることにする。
彼が定期的に持ってくるテストがある。満点を取ったら、自分と付き合ってほしいと願い出るのだ。
いつもはおとなしい彼女が突然言い出したことに驚くヒーローだが、いつになく真剣な様子に、彼女の本気を感じ、承諾する。
結果は、九十五点。
これでは駄目だとしょげるヒロインに、男はいつもの無表情で近寄る。
驚く彼女を壁際に追いつめる。壁に手をつき、顔を寄せる。
「次はちゃんと満点を取れ。続きは、そのときだ」
壁ドンで、キスをした――かどうかはっきりと見せずに、カメラは離れた位置で、後方から二人を映す
仕事柄、昨今の少女漫画事情にも詳しい林太郎は、随分とおとなしい脚本だと思ったものだ。部屋にふたりきりとなれば、それこそ「転んでベッドへ倒れこむ」ような展開があっても、おかしくはない。
これはおそらく、ヒロイン役である愛田への配慮なのだろう。女優としての大きな仕事は、この『恋模様』が初めてのアイドルタレントに、キスシーンをさせることを、事務所サイドがよく思わなかった可能性がある。
また、その相手がフォレストのリンとなれば、女性ファンから反感を買うリスクも上がる。ラブシーンの相手が女優ならばともかく、読モあがりのアイドルタレントとなれば、よくは思わないファンとて出てくることだろう。
幾度かのテストを終えて、いざ本番。今回の肝ともいえる、ラストシーンの撮影だ。
足りていない点数を前に、哀しむヒロイン。愛田の表情は、哀しいというよりは、単純に顔をしかめたようなものではあったが、とくに制止の声はかからない。
アイドルにそこまでの演技は求めていない、ということだろうか。
芝居の世界に足を踏み入れたころの自分を思い出して、どこか懐かしいような、共感するような、そんな気持ちになる。
アイドル出の役者――その先輩として、手助けになればいいと思いながら、彼女の傍へ寄る。そうして壁際の愛田に寄る林太郎の顔に、伸びあがるようにして近づいた彼女の唇が触れた。
身体を引かなかった己を、林太郎は胸の内で称賛する。
唇から離れた感触と、恥ずかしそうにこちらを見つめる愛田美衣亜の顔を見て、言葉をなくす。うっかり台詞を飛ばしてしまったことでNGとなり、もう一度同じ体勢を取る。ふたたび近づく顔と、重ねられる唇を避けるわけにもいかず、林太郎はただ受け止めた。
(……脚本、変わったのか?)
それとも、ドッキリかなにかなのか。
疑いが頭をもたげたが、さすがにそれはないだろうと、脳内で否定する。
となれば、やはり愛田サイドがラブシーンにOKを出したと考えるのが無難だ。
しかし、だとしても、本当にキスをするのであれば、ヒーローのほうからするのではないだろうか。テストの成績にかこつけて、やっとの思いで告白をするようなヒロインが、自分から男の唇を奪いにいくとは考えられない。押しつけるようにした唇を食まれて、内心で冷汗をかく。
ゆっくりと、柔らかな感触が離れたことを確認してから、己を見上げるヒロインに対峙する。
「次はちゃんと満点を取れ。続きは、そのときだ」
つっても、これ、奪われた俺が言うのおかしくね?
草食系に見せかけた肉食女子こえーな。
そんなことを思いながら、家庭教師はクールに言い放った。
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