第02話 キミ、性格キツイよね
廊下で長々と話しこむのは近所迷惑になるし、かといって今から場所を移動するのもどうかと思う。
近所にあるのはせいぜいコンビニで、この時間帯に開いているような店はないのだ。見知らぬ相手の弁明のためだけに、電車に乗って店を探すのはばかばかしい。
隣人とはいえ、会ったばかり男性の部屋に上がるのも問題だ。
葛藤の末、住子は結局、自室を選択した。
男を部屋へ上げるにあたり、住子はふたたび運転免許証を預かる。いわば人質だった。どうやら彼は自分の名前が露見することを恐れているようだし、そんな名が記された免許証は、最大のウィークポイントになるだろう。
渋々ながら差し出されたそれを受け取り、住子は玄関の鍵を開けた。
山田林太郎なる男性は、軽い調子で扉をくぐる。慣れた調子で室内を進む、その歩調には迷いがない。
彼が住むのが隣室であるということは、部屋の造りが同じということ。玄関を上がった先のレイアウト、水まわりの位置、リビングの場所とて明白だろう。
そういった意味では、彼が隣に住んでいるというのは、事実であるらしかった。
だからといって、勝手に電気を点けるのはいかがなものか。
目隠しにしてある丈の長い
きょろりと内装を見まわしては、へーだの、ほーだのと呟く姿を溜息まじりに見やり、住子はトートバッグを床へおろす。さすがにここで着替えをする気にはなれない。さっさと説明とやらをしてもらい、己の部屋へ引きあげてもらいたいところである。
ひとつ息を吐くと、住子はポーチから携帯電話を取り出す。ゆっくりとボタンを三つ押したあと、それを机上へ置いた。
すると、眉を寄せた男が怪訝そうな声をあげる。
「え、なにこれ」
「すぐに警察へつながるようにしておこうと思いまして」
澄ました顔でそう答える。
そうしてもうひとつ。バッグの中では、ボイスレコーダーがまわっているのは、いうまでもない。
「いや、っていうか、まだガラケー使ってるの?」
「そこに理由が必要ですか?」
気になるポイントはそっちなのかと、胸の内で呆れた。
スマートフォンが一般的ななかで、使い続けている携帯電話。会社が支給するものならともかくとして、個人が使っているのはよほど珍しいのだろう。
社内でも時々あるので、聞きなれた反応だった。こと男性は、遠慮もなしに口に出す傾向がある。陰でこっそり笑う女性よりは清々しいが、だからといってよい気持ちにはならない。
それらの言葉には、こちらを軽んじるような色合いを持つ場合が多々あるけれど、目の前にいる男にあるのは、純粋な驚きのようだった。声に含まれる無邪気さゆえか、不思議と怒りは湧いてこなかった。
住子は落ち着くために深く息を吐いて、言葉を続ける。
「それで、山田林太郎さん」
「その名前は――」
「一体なにが嫌なのかわかりませんが、話が進まないので黙っててください」
「キミ、性格キツイよね」
「それはどうも」
「褒めてないけど」
「わかってます。さっさと説明して帰ってください」
淡々と返していく住子に、男のほうは勢いが削がれたらしい。多少、弱腰になり、おそるおそるといったふうに問いかけてきた。
「あのさ、本当に俺のことわかんない? 全然、まったく?」
「記憶には残ってないですね」
「……マジかよ」
ローテーブルに突っ伏して、男は
「キミ、テレビとか見ない人?」
「ニュースは見ますよ」
「歌番組とかは?」
「そもそも、歌番組自体が少ないと思いますけど」
「いや、まあ、そうだけどさ……。フォレストって知らない?」
のそりと顔をあげ、情けない声で質問がくる。
さっきも言っていた単語だが、話の流れから察するに、どこかの店名というわけではないのだろう。テレビ――もっといえば、歌番組に関係した名称であるらしい。
わずかな逡巡のあと、住子はあっさりと考えを放棄する。
すべて説明してもらったほうが、どう考えても早いのだ。
首を振ってこたえた住子に、男は盛大な溜息をつく。
「二人組の歌手。一応、そこそこ売れてるんだけど」
「へー」
「へーって、キミね」
「すみません。最近の歌、全然知らなくて」
「あー、うん。ドラマとか見る?」
「それも最近はあんまり」
「――キミ、どうやって生きてるの?」
「歌とドラマだけがエンタメだと思ったら、大きな間違い。喧嘩売ってんの?」
部屋の隅に置いてある木製の収納箱を持ちあげると、男は飛び上がって、テーブルから離れ正座をする。真面目な顔つきとなり、住子を見据えた。
「顔はやめて」
「女みたいなこと言わないでよ。たしかに綺麗な顔だけど」
山田林太郎という男は、こうして室内の明るい場所で見ると、驚くほど整った顔をしていた。免許証の写真も端正な顔立ちだったが、実物はそれ以上である。歌手というだけあってか声もはきはきとしており、よく通る良い声をしていた。
「撮影があるんだ。だから、ケガは厳禁」
「撮影?」
「ドラマに出てる。――見てないみたいだけど」
「歌手だけじゃないんですね」
「どっちかっていうと、俺は役者になりたくて事務所に入ったの。やっと仕事が入ってくるようになって、順調なんだよ」
「それはよかったですね」
「……なんか、気が抜けた」
脱力した男は、正座を崩してあぐらをかく。言葉どおり、気の抜けた声色で、ぽつりぽつりと語りはじめた。
曰く、住子のことは、どこかの記者かと思ったらしい。
気の急いたスクープ狙いの三流雑誌の記者が、どうやってか住居をかぎつけて、取材に乗り込んできたのかと焦ったのだとか。
動きやすそうなパンツスタイル、うしろでひとつに結んだだけの黒髪、首からさげた社員証に、荷物が入ったトートバッグ。全体的に地味な色合いの服装は、OLの通勤スタイルには似つかわしくなく、時間帯も相まって、そうとしか思えなかった。
そんな記者らしき女が、自室の前に立っており、いまにも扉に手をかけようとしていたものだから、引き離そうとしたのだという。
住子にしてみれば、普通に帰宅して、扉を開けようとしただけなのだが、遠目に見て焦っていた彼には、ひとつ隣の住人だとは思いもしなかったのだろう。
わかってみれば納得できるような、そうでもないような。
止めるにしても、他にやりようがあったのではないだろうか。壁際に追い込んで脅迫したうえに、痴漢行為を働くとは――
「ちょっと脳みそ足りないんじゃないの?」
「おい」
「山田林太郎さん」
「だからー」
「その、かたくなに名前を否定する理由はなんですか?」
問うと、山田林太郎は固まった。そして、苦々しい表情となり、呻くように言葉をもらす。
「……だって、山田だぞ。林に太郎だぞ」
「それのなにがいけないと?」
「この顔に対して、どう考えても不釣り合いだろ!」
「そんなくだらない理由で拒否るとか、子どもですかあなた」
「あんたになにがわかると――」
気色ばんだ男を見やり、ふうと息を落とした住子は、首にかけたままだった社員証を抜き、名前が見える方向にして机上へ置く。相手は柳眉を下げ、腰を浮かせて社員証を覗き見たかと思うと、次に驚いたような顔を住子へ向けた。
「……え、マジで?」
「どうも。山田住子です」
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