第03話 謙虚という言葉を学べ

 目覚ましの電子音が響く。バタバタと手を動かしてうるさい時計を黙らせると、ふたたび枕に顔を埋めた。

 あともうすこしだけ――。

 そんな願いを打ち消すように、無慈悲な音を響かせたスマートフォンの着信音とバイブに、林太郎りんたろうは頭をかきむしって起き上がる。

「……ふぁい」

『起きろ』

 ドスの効いたマネージャーの声はもはや慣れたもの。

 当初は震えあがったその声も、今となってはどこ吹く風である。

「起きてる起きてる」

『嘘こけ。突っ伏して、あと五分ーとかやってただろ』

 どうしてわかったんだろう。

 林太郎は冷汗を垂らしながらも、声だけは朗らかに告げる。

「やだなー、杉さん。それは昔の俺だって。今は一人前の大人だよ?」

『まだ二十五歳の青臭いガキがナマ言ってんじゃねー。ケツ洗って待ってろクソが』

 ブツ。

 音声が途切れたスマホを苦笑いで眺め、林太郎はベッドから降りながらパジャマの上を剥ぎ取る。ひとまず顔を洗って着替えなければならない。マネージャーが迎えに来るまでに、最低限の準備を整えていなければ、今日の予定は大変なことになるだろう。

(つーか、仮にも事務所の商品に対して、あの言い草はなんなのかね)

 林太郎が芸能界の門をくぐった時からお世話になっているのが、所属しているAZプロ。名の示すとおり、A~Z――幅広くいろんな人をプロデュースすることをコンセプトにかかげている事務所だ。

 電話の相手であるマネージャーの大杉とは、十八歳のころからの付き合い。十代のころならまだしも、四捨五入すれば三十歳になる年齢になってもなお、ガキ扱いは勘弁してほしいところだが、未だ頭が上がらない状態だ。事務所のなかでも相当に顔が利くらしく、さからう人は見たことがない。見た目が恐いことも加わり、向かうところ敵なしといった状態である。

 冷たい水でようやくすっきりした頭を上げると、洗面台の鏡に己の顔が映っている。

 ゆるやかに流れる柔らかい髪は、陽に当たると明るい茶色へ変化する。白い肌、青みがかった瞳。いつもと変わりなく、今日もいい男だとうなずいた。

 山田林太郎は、己の容姿にとても自信があった。

 単純に、わかりやすくいえば、ナルシストである。

 ハーフである母を飛び越して、彼は日本人離れした容姿に成長した。生まれた当初はまだ普通だった顔も、長じるにつれてめきめきと変化を遂げたのだ。

 母曰く、「おじいちゃんより、あんたのほうがよっぽど外国人みたいな顔してるわね」とのこと。

 林太郎の祖父は彫りの深い顔をしてはいるが、若いころは黒髪だったそうだ。祖父自身、いろんな国の血が混じっているらしく、「おまえはハイブリッドだな」と快活に笑ったものである。

 ハーフよりもよっぽどハーフっぽい顔をしている彼の名前は、これでもかといわんばかりの和名だ。日本人の父を持ち、日本で育った母から生まれたのだから、それは当然といえる。

 問題だったのは、子どものころから、顔と名前が一致しないことなのである。

 いかにも外国人っぽい――王子様然とした風貌をしているにもかかわらず、林太郎なのだ。

 己の顔にそこそこ自信を持っていた少年は、理不尽に震えたものである。

 誰も自分のことを知らない場所で、新しい生活をはじめたい。

 遊びに行った都会でスカウトされた林太郎は、適当な理由をでっちあげて家族を説き伏せ、晴れて芸能界へと身を投じたというわけだ。

 同時期に入所した三浦慎吾とともに、アイドルとして売り出すことが決まり、とんとん拍子でデビュー。互いの名前「シン」「リン」から、森林――フォレストというユニット名が決まり、ついでとばかり呼び名も、シンとリンで統一された。本名を隠す、絶好の機会だった。

 ロックバンドなどにありがちなニックネームでの活動となり、明るく快活なリンと、知的で静かなシンという真逆の雰囲気をもつ二人は、それぞれにファンがつく人気アイドルとしてキャリアを重ねている。

 近年では、ソロでの活動も開始された。

 林太郎は俳優、慎吾は他アーティストへの楽曲提供など。

 二人が、もともとやりたかった方面へと踏み出すことへの条件が、フォレストとして地位を確立することだったからだ。

 アイドルとしてのネームバリューで出演したドラマは、端役ばかり。売り出し中の若手俳優に、アイドル歌手が勝てる要素はあまりない。使う側としては、フォレストのファンを引きこめるという強味があるが、それは結局のところ「アイドル」としての実績があってこそのもので、彼自身の演技力は加味されていないのである。

 しょせんは、アイドル。

 そんなふうに揶揄される声をくつがえすため、林太郎は林太郎なりに努力を重ねているつもりである。

 その甲斐あってか、今回得た役は主役の友人という好ポジション。三角関係を繰りひろげる役柄だ。無論、大衆向けのテレビドラマであるからには、最終的に成立するカップルは主演男優と主演女優なのだが、視聴者をヤキモキさせるためにヒロインに優しくする重要な役どころである。

 そろそろクランクアップも近いこのドラマは、今クールではそこそこの視聴率を叩き出した注目度の高い番組。ワイドショーにも番宣で何度か出演しているし、なんだったら電車の広告にだって載っている。

 気をつけて見れば、そこら中に顔があるはずの男を、全然まったく知らないと言いきった隣人のことを思い出し、林太郎は眉をひそめた。

 ニュースは見ると言っていたけれど、民放番組には興味がないタイプじゃないのかと、胸のうちで呟く。

 黒縁の大きな眼鏡は、人によってはお洒落アイテムと化すだろうが、彼女がかけると、ただひたすら野暮ったいだけの地味アイテム。昭和のおっさん的な、古臭い雰囲気を醸し出す残念仕様だ。会社では、お局様とかいうやつにちがいない。

 ひとつに結んだだけの黒髪、眉と口紅を引いただけの地味顔、全体的にグレーの服装。荷も少なく、女子っぽくない内装。時代に取り残された旧人類のような女だったと、昨夜のことを思い出す。

 まったくもって失態だったが、べらべらとしゃべるタイプにも思えない。むしろ、友達とかいなさそうだし、根暗なインドア派にちがいない。時間も遅いということで早々に切りあげたが、もう一度ぐらいは念押ししておきたいところである。

 つまり、あの大人気アイドル・フォレストのリンが、山田林太郎という若者らしからぬ名前であることを、マスコミにリークしたり、ネットに書き込んだりしないように。

 さて、どうやって黙らせるか。そもそも話す機会なんてあるだろうか。

 無論、隣の部屋であることはわかっているので、訪ねていけば会うことは可能だろう。

 しかし、彼女はそれを歓迎しそうにない。

(おかしいだろ。この俺が目の前にいて、なんであんな無関心でいられるんだよ、あれほんとに女か?)

 歌番組で一緒になったアイドルグループしかり、ラジオ番組のパーソナリティしかり、ドラマ撮影で一緒になる脇役の女優やエキストラしかり。

 自分が近寄って、目が輝かない女はまずいない。すこし口角を上げるだけで、つんざくような奇声が周囲から飛んでくるのが当然だと考える山田林太郎は、自分と同じ名字を持つ山田住子すみこという人物が信じられなかった。


 ドン。

 玄関扉を叩く重い音がひとつ。

 続いて、鍵を開ける音と、扉の開閉音が聞こえた。

「林太郎、まだちんたらやってんのか」

「……杉さん、いいかげん、鍵返してくんないかな」

「アホか。なんかあったときのために、スペア持つのは当然だろ」

「それはわかるけど、だからって勝手に開けないでよ。緊急時じゃあるまいし」

「遅刻しねーようにするのが俺の仕事なんだよ。とっとと服着て来い。出るぞ」

「へーい」

 考えを中断され、林太郎は部屋へもどり、出かける準備をはじめた。



   ◆



「応援してます!」

「がんばってください!」

 キラキラした顔と声の女子集団に別れを告げ、林太郎は大杉の運転する車へ乗りこんだ。

 今日は、ラジオの生放送へのゲスト出演。集まった出待ちのファンに手を振りながら、「やっぱ、これが普通だよなぁ」と考える。

 実際には口に出していたらしく、ハンドルを握った大杉が、呆れた声で林太郎へ告げた。

「おまえはもうすこし、謙虚という言葉を学べ」

「えー。でも、グイグイ行くのが俺の売りでしょ?」

「キャラ付けと人間性は別問題だ」

「挨拶とかはちゃんとしてるし、スキャンダル起こしたつもりもないけど」

「まあ、そういう点は問題ないんだけどな」

「じゃー、いいじゃん」

「……そういうところが駄目なんだよ、クソが」

「杉さん、口悪い」

「性格の悪いおまえに言われたくはねーな」

 人相の悪いマネージャーに言われる筋合いはないと思いながら、林太郎は座席の上に放り出したままだった台本を手に取る。最終回では、ヒロインが主人公のもとへ向かう姿を見送るシーンが、林太郎にとっての見せ場となる。

 取っちゃえばいいのに――と、己の演じる役柄に悪態をつきたくなるが、顔に似合って爽やかで好青年な「友人」くんは、愛する女性の恋を応援する素敵男子として、世の女性陣のハートを鷲掴みにしているところである。実際、主人公より友人とくっつけばいいのに、という声は多かったりするのだ。

(これも俺のおかげだよねえ)

 にんまりと笑う口元。その様子をミラー越しに確認した大杉は、溜息をつきながらも、告げる。

「林太郎」

「なーにー」

「いい話がある」

「なに? ついに映画の主役とか行っちゃうかんじ?」

「おまえはどこまでも尊大だな」

「夢は大きく、でしょ」

「横の封筒、開けてみろ」

「これ?」

 座席に立てかけてある茶封筒。すこし分厚い事務的なそれは、てっきり事務所宛の資料だとばかり思っていたが、林太郎のものだったらしい。A4サイズの紙をクリップ止めしてある束を取り出すと、表紙を見て瞠目する。

「配信元が追加されて、話数も増えるらしい。追加キャストに決まったぞ」

「マジで?」

「演技の幅を広げるチャンスだ、気合入れてやれよ」

「当然」


 記されていたタイトルは『恋模様』

 ネットのみで配信されている、オムニバス形式の短いシチュエーションドラマである。

 恋という単語が示すとおり、ターゲットは主に若い女性。1クールを使った連続物語ではなく、十五分程度の短い時間で楽しめることを売りにしており、そこに若手イケメン俳優を配している。少女漫画原作の映画などに出演する俳優が、手を変え品を変え、様々なシチュエーションを見せるということで、人気のある番組だ。

 脚本家は存在するが、元になっている物語は、少女漫画家や小説家が書いていることも話題のひとつ。人気作家が考えた、ということでの集客もある。

 加えて、今回の拡大版における最大の売りは、小説投稿サイトとの協賛だった。

 自分の考えた物語がプロによって脚色され、人気俳優が演じるかもしれないという、それ自体が憧れのシチュエーションは、新しい視聴者層をつくったともいえる。配信サイトでのリピート放送、有料配信に加え、人気エピソードのDVD化など。テレビとは違った形でのドラマは、盛り上がりをみせている。

 ぺらりと紙をめくると、追加キャスト欄に、リン(AZプロ)と記載されていた。他にもいくつか名前が並んでおり、特撮ヒーロー番組で名を売った俳優や、昨年公開されて話題になった映画で脇を演じていた俳優の名前もある。どれもこれも、「イケメン俳優」としてじわじわ浸透してきている役者だ。相手にとって不足はないし、自分のほうが顔面評価は高いと思っている。

「顔がいいだけじゃ勝てねーぞ」

 見透かしたようにかけられた声に口を尖らせた林太郎は、ある一点を見つめて、ふたたび口角をあげる。

(いいこと、思いついた。一石二鳥じゃん)

 そこには林太郎が演じる予定となっている設定が、シンプルに一行で書かれていた。


 『マンションの隣人同士。落とし物からはじまる恋』


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