第04話 芝居の練習に付き合ってくれよ

 ブーと、やや古めかしい、玄関チャイムというよりはブザーと呼ぶほうが似合いそうな音が響く。午後十時前という時間帯に来る客には覚えがない。電話をかけることすらはばかられる時刻だろう。

 コンコンと扉を叩く音も聞こえ、住子すみこは玄関のほうを睨みつけた。

 居留守をつかうのは、おそらく無理だろう。隙間風が入りこむ玄関では、部屋の光源が漏れている可能性が高い。壁が厚いとはいいがたいアパートでは、生活音すら廊下へ漏れ出る始末である。

「こんばんは、ちょっといいかな」

 扉越しに届いた声は、聞き覚えのない男性のものだ。しかし、どこかでなにかが引っかかり、住子は足を忍ばせて近づいた。廊下がきしむ音は、やはり外へ漏れてしまったらしく、男の声がさきほどより大きくなる。

「昨日は突然ごめん。改めてお礼に来たんだけど、入れてもらえないかな?」

「結構です」

「ちゃんと顔を見て話したいんだ」

「念押ししなくても、誰かに話したりしませんよ、山田さん」

 一拍おいて、不機嫌そうな声が返る。

「……リンって呼んでって言ったじゃん」

「よく知らない人を呼び捨てにするのは、無理だと言ったはずです」

「知らないはひどいなぁ。お隣さんじゃないか」

「隣に住んでいることを、昨日初めて知りましたが?」

「うん、だからさ、もう俺とキミは、よく知らない仲ではないだろう?」

 扉の向こうで、昨日知った隣人・山田林太郎が、食いさがる。昨日の様子から、簡単にあきらめるタイプではないと考えた住子は、仕方なく薄く扉を開いた。すると、その隙間に足を差し入れた林太郎が、身体を室内へと滑り込ませる。

「ちょっと、山田さん」

「ごめん。だけど、あんま外で話しこみたくはないんだよ。目立つと困るし」

「芸能人は大変ですね」

「俺のこと、認識してくれたんだ」

「ネットで調べました。生年月日は公開してるのに本名は出さないとか、変わってますね」

「ミステリアスでいいだろ?」

「そうね、山田林太郎さん」

 真顔で淡々と告げる住子に、林太郎は言葉に詰まる。だが、気を取りなおしたように笑顔をつくり、おもむろに靴を脱ぎはじめた。

「ちょ――、なにしてるの」

「話がしたいって言ったでしょ?」

「ならここでして」

「こんなとこで話してたら、外に丸聞こえだよ? いいの?」

「困るのは山田さんのほうじゃないの?」

「俺の場合、顔バレがまずいの。だけど、キミの場合は違うでしょ?」

「なにが――」

 問いかけようとした瞬間、林太郎の右手が住子の肩を押し、玄関脇の壁へと追い込まれる。昨日のことを思い出し、顔をしかめた彼女に笑みを向け、林太郎は顔を寄せて耳許近くで甘く囁く。

「今日、ずっとキミのことを考えてたんだ。ずっと謝りたかった。ごめん」

 顔の近くに両手をつき、住子を壁と身体で挟み込んだ林太郎は、瞳を伏せ、物憂げな表情をつくる。

「まっさきにお礼を言うべきだったのに、つい、焦って。キミにひどいことを言った。反省してるよ」

「べつに……」

「会いたくて、部屋の前を素通りできなかった。なあ、俺は――」

「うさんくさい」

「――え?」

 遮った住子の弁に、林太郎の顔が固まる。

 その様子を見ながら、住子は大きく肩を落とし、告げた。

「その取ってつけたような喋り方、やめたほうがいいんじゃない? それとも、昨今のドラマは、そういう芝居が望まれるわけ?」

「え、なに言って――」

「あなた、そんな殊勝な性格してないでしょ。昨日あれだけぶつくさ言ってたくせに、急に甘ったるいこと言いだすとか、うさんくさすぎ。やっぱり脳みそ足りてないんじゃないの?」

「…………」

「さっきも言ったけど、べつに誰かに話すつもりはない。昨日まで知らなかった人に、そこまで興味ないし」

「……興味、ない……?」

 ふらりと壁から離れ、林太郎は玄関口に座り込む。弱々しく呟いた言葉に、住子は多少、罪悪感を覚えた。

「いや、私はって意味で。世間では人気なんでしょ、山田さん」

「……山田って言うな」

 膝に顔を埋めたまま、うめく。

「ほんと、しつこいわね」

「キミは嫌じゃないのか?」

「べつに。そんなにおかしい?」

 山田という名の著名人は、皆無ではない。有名な映画監督にだって、山田姓はいたはずだ。

 外国人顔をしているけれど日本人なんて、タレントの世界にはありがちではないだろうか。彼らにとってそれは武器になるものだろうし、林太郎がそこまで悲観する理由が、住子にはわからなかった。

「王子様の名前が林太郎とか、女の子の夢が壊れるじゃん」

 ぼそりと呟かれた内容に、住子は「心配して損した」という言葉とともに脳天チョップを繰り出した。



   ◆



 山田住子という女は、思った以上に辛辣で辛口だった。

 まさか、芝居だと見抜かれていたとは思わなかった林太郎は、失意に歯噛みする。

 そんな彼に住子は、「扉越しに聞こえた声が、すでにうさんくさかった」と答えたものである。

「お芝居のことはわからないけど、顔を見ずに声だけ聴いてたら、やたら芝居がかってるようにしか聞こえなかったし」

「……そうかよ」

「悪いわけじゃないと思う。私の好みじゃないってだけで」

「……そうかよ」

「ごめん。最近ドラマ見ないから」

 こういったことに、見る見ないは関係ないだろう。作り手ではなく、視聴者側の意見として、下手だときっぱり評されたようなもので、林太郎はいつになく打ちのめされていた。

 直近のドラマは評判も良く、だからこそ新しいネット配信ドラマのレギュラーも貰えたと思っている。

 だが、そうではなかったのだろうか。

 自分は本当に、芝居が下手なのだろうか。

「本業は歌手なんでしょ? 動画サイトでミュージックビデオを見たけど、すごく上手だった。それじゃ駄目なの?」

「――俺さ、俳優になりたかったの」

 ぽろりと漏らし、そのままつらつらと言葉を続ける。

 不一致な名前で、笑われていたこと。つらかったこと。

 芸能人になれば、芸名という別の名前で認知され、世間に浸透する。

 もう誰も、林太郎を「はやしたろう」なんて呼び変えないし、山田と呼ばれて手を挙げて、周囲から驚愕されることもないはずだ。

 そして、いつか出会う運命の女性と結婚するときは、相手の名字を名乗る。

 どちらの姓を名乗ってもよいのだと知った小六のときに決めた、林太郎の夢である。


 表には出していない林太郎の本音を、住子はただ黙って聞いている。

 いつの間にか供されていた麦茶を一息で飲み干し、語り尽くした林太郎は肩を落とした。

「これから頑張ればいいじゃない。誰でも最初は完璧じゃないんだし」

「カッコ悪いとこなんか、見せられないだろ。俺はリンだぞ」

「その無駄な自信がどこからくるのか知らないけど、もうちょっと謙虚に学ぶ姿勢を見せたほうがいいんじゃないの?」

 先日の大杉と同じことを指摘され、林太郎はまたも言葉に詰まった。

 駄目押しするように、住子の声が刺さる。

「なんだ、もう言われてるんじゃない。マネージャーってことは、山田さんをプロデュースしてくれる人でしょ? 無視しちゃ駄目でしょ。バカなの?」

「バカバカ言うなよ、バカみたいだろ」

「自覚できてよかったわね」

「……キミ、モテないでしょ」

「そうね。だから?」

「――なんでもないっす」

 怒るでもなく当然のように返されて、林太郎は言葉を呑んだ。

 こんなタイプの女子に会ったのは初めてで、対応に困るばかりである。

「ところで、なんだってこんなお芝居を?」

「あー……、えーと」

「適当ぶっこいたら、今度こそ叩くから。顔じゃなくて、お腹にしてあげる」

 淡々と告げる言葉に冷気を感じた林太郎は、おとなしく降参し白状する。

 少々予定はくるったけれど、これが絶好の機会であることには変わりがないだろう。巡ってきたチャンスに、偶然ともいえるシチュエーション。気軽に付き合ってくれる女友達はいないし、だからといって、男を相手にラブシーンなんて、練習でもしたくない。

 それに、関係者には知られなくないのだ。

 くだらないと言われようと、やはり恰好はつけておきたい。本番でバッチリと決め、「さすがだ」と褒められたいのだ。

 うれしくはないが、まったく自分に興味がないと言い張る住子ならば、無様な姿をみせても幻滅されることはないだろう。むしろ、ここから「素敵」といわしめるに至れば、林太郎の勝ちである。

 いささか不純な動機を胸に、林太郎は願いを口にした。

「芝居の練習に付き合ってくれよ」

「無理」

「ちょっとは考えろよ」

「生活時間がまるでちがうでしょ。すり合わせができないじゃない」

「俺がキミに合わせるよ」

「できもしないことは言わない」

 決め顔で言ってみたが、ばっさりと切られてしまう。

 とはいえ、引き下がるわけにもいかなかった。追いすがるように、言葉を重ねる。

「時間の空いた時だけでもいいからさ。すこしでもいいんだ」

「……都合が合うときだけでいいなら」

「マジで? ありがとな、住子ちゃん」

「いきなりなれなれしいわね、山田さん」

「もう知り合いだし、名前で呼んでよ。お互い山田なんだし、ややこしいだろ?」

「えー……」

「男友達を下の名前で呼ぶとか、珍しいことじゃないだろ?」

「…………」

 すると、住子は押し黙った。

 なにかを察し、やめておけばいいのに、林太郎は嬉々として口を開く。

「あれ? ひょっとして、男の友達いなかったりする? じゃあ、キミも俺で練習しようぜ。いい考え。俺ってあったまいー」

「黙れ、山田」

 今度こそ、お腹に拳が決まった。



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