第09話 ひとつ言っておくけど

 朝、トーストをかじりながら見ていたテレビ番組、普段の住子ならば、軽く聞き流していたであろう芸能コーナーに意識を向ける。

 それは、フォレストが新曲発売を記念して、PRのために全国のショップを巡ったという映像で、ファンに囲まれる姿が映し出されていた。販促イベントがあるから、しばらくは忙しいのだとメールで聞かされてはいたけれど、本人たちが店を巡ったりするものなのかと驚く。そういったことは、言葉は悪いが、売れていない歌手がおこなうものだという印象があったからだ。

 特別コーナーが設けられた店舗を訪れた女性に二人が声をかけ、振り向いた客が絶句する姿。四人ほどの女子高生が口元を押さえながら悲鳴をあげる姿。背の高い二人を取り囲む集団。

 各地の様子がダイジェストで紹介されていく映像を見ながらも、住子の目はテレビの中で動く林太郎を捉えていた。

 ミュージックビデオを見たときとは違う、生きた人間としての姿。

 見知った顔の人物が、画面の向こう側で動き、話しているさまに対して、奇妙な違和感がある。

 東京を起点に、西へ。

 最後の地である福岡での訪問が終わったころには夜になっており、同行したカメラに向かってコメントする姿で映像は締めくくられた。


 せっかくだから、このあと、ラーメンでも食べますよ。

 そう微笑む男が、餃子とラーメンを背景にした自撮り写真をメールに添付してきたのは、昨夜の十時をまわったころだったか。

 住子の携帯には、「もう、すげーつかれたー。仕事のあとのラーメン、超おいしい!」という楽しそうなメールが受信されており、たった今テレビに映っていた爽やかな人は誰なのかがわからなくなる。

 いや、わかってはいるのだ。

 あの人は、フォレストという名で活動しているアイドルだ。それと同時に、自分の隣に住んでいる、山田林太郎という人間なのだ、と。

 わかってはいるけれど、あまりにもギャップが激しすぎて、理解が追いつかない。いままでは気にしていなかった「アイドル」としての姿を見て以来、住子は戸惑っていた。


 出勤すると、ロッカールームでは、女性社員が立ち話に興じている。聞くともなしに耳に入るその話題は、フォレストのことだった。

「知ってたら、仕事休んで買いに行ったのにさー」

「定時明けに買いに行ってバッタリ会えた地方の人、うらやましすぎだよね」

「私なんて、前日の夕方にフラゲしたよ」

「早く買ったほうが会えないとか、それもどうよって話じゃない?」

「売ってるんだもん、そりゃ買うよね」

 いつもならさして興味もない話題だが、今の住子にとってそれは、どこか他人事ではない近さを感じている。自分自身には関係がないはずなのに、話題になっていることが落ちつかない。

 次に彼女たちの話題は、ネットドラマへと移行する。

 二週間ごとに配信され、一度に三話分が更新される『恋模様』はすでにはじまっており、林太郎が担当する「マンションの隣人同士が恋に堕ちる話」は、五話目――来週に迫っている。あれ以降、別の担当回についても内容は聞いているし、何度も練習相手になっている。

(……そっか。私もかかわってるから、こんなに落ちつかないのか)

 自分が提出した資料が会議に使われて、それが上手くいったとしたら、やっぱりうれしさや達成感を覚える。この気持ちは、おそらくそれと同じ手合いのものなのだろう。

 芝居の練習が、実際の現場でどれほど役立っているのかはわからない。学校行事においても「劇」に縁がなかった住子にとって、林太郎が要求する練習が、演劇の世界において普通のことなのかもわからないのである。

 ただ、林太郎とて、住子に演技力を求めているわけではないだろう。

 『恋模様』は、恋愛方面に特化した、男女のシチュエーションドラマだ。台詞だけではない、相手との距離感が重要だろうし、実際に人がいることによって、触れ方や接し方にリアリティが生まれるだろう。

 林太郎が望むのはきっとそこで、相手がたまたま住子だっただけなのだ。

 物語の中でしか聞いたことのない、キザな台詞や甘い言葉。それらを口にする林太郎もまた、どこか非現実的だ。借りてきたような言いまわしに、張りついたような微笑み。悪いけれど、どれも同じに見えてしまって、ぽろりと口に出してしまったそれに、林太郎はひどく落ち込んだものである。

 だが彼は、「じゃあ、どうすれば個々の違いが出せるだろう」と考えはじめた。

 住子が「そのキャラクターの個性じゃないの?」と言えば、人間観察だと言い張って、住子をあちこち連れ出そうとする。

 有名人だと豪語するわりに、自覚が足りていないのではないだろうか。

 そのくせ、向かう場所がコンビニや二十四時間営業の店で、買い物をして帰るだけ。重い荷物を持ってくれるのは助かるけれど、誰かと一緒に買い物に行くということ自体が慣れていない住子にとっては、苦痛である。

 はっきりいって、疲れる。精神疲労が激しい。

 だから、林太郎が不在の今は、落ちついてしかるべきだった。

 当たり前の日常になるはずだったのに、いないほうが彼の存在を感じるだなんて、おかしな話である。



 帰りに寄った本屋では、フォレストの曲がかかっていた。併設されているCDコーナーの壁には大きくポスターが貼られていて、来店者を出迎えている。視聴用のエリアにも、フォレストの新譜があり、ジャケット写真をみせて一面に並べてある。

 売り場はまさに、フォレスト一色だ。

 こうしてみると、いままで認識していなかったことが不思議なほど、フォレストという二人組は音楽業界に浸透していた。女性アイドルグループや、男性アイドルが多く所属する有名事務所は別として、それらと並びうる程度に存在感があるアイドルなのだと、今になってようやく実感する。

 住子は、普段は覗かない音楽雑誌のコーナーへと足を向けた。ちょうどぽっかりと空いていたのをいいことに、棚の前に立って、目的の雑誌――林太郎が箇条書きにしてメールしてきた雑誌を探す。インタビュー記事が載っているらしく、「見て、感想聞かせて」と頼まれているのだ。この他にも、ネットのみで公開されているWEB版の記事もいくつかあるらしく、いやはや、歌手というのは、一枚のCDを発売するだけで、これほど情報発信をして売り込んでいるのかと、ほとほと感心する。

 一冊目を発見し、手に取った。目次を開いて掲載ページを確認し、パラパラとめくる。音楽専門雑誌であるからには、載っているのは歌手だろう。知らない名前のシンガーソングライター、ロックバンドが多すぎて、溜息が漏れる。

 やっと探し当てたページには、リンとシンが並ぶ写真があった。

 タイトな黒いパンツは、彼らのスタイルの良さを際立たせている。記事の中に挿入されている写真は、もうすこしくだけた印象を与える写真ではあるけれど、それでもやはり「作り物の顔」だと、住子は思った。シンがどんな人であるのかは知らないけれど、リンと林太郎は違う。

 なるほど。こういう人たちを、プロというのだろう。

 別の雑誌を手に取る。こちらはもうすこし大衆向けの紙面作りがされているらしく、音楽とは無関係な広告が掲載されていたりもする、全体的に明るい印象だ。フォレストの二人も、笑みを浮かべており、衣装も明るめのカラー。

 多数の雑誌を探しきれず、時間もかかることから、二冊を確認して店を出た。

 空を仰ぐと、灰色の雲。いつ降りはじめてもおかしくない、梅雨の空が広がっている。

 RAINというタイトルは、発売が梅雨時期だからと語っていたシンの弁は、どこまで本当なのだろう。

 ぽつりと顔に冷たいなにかが当たった気がして、手のひらを上へ向ける。その動作に、新曲のMVを思い出した。色づいた青と赤が、モノクロの世界にあざやかに映えていた。それだけではなく、ジャケットもモノクロ写真で、こちらの場合は瞳に色がほどこされていた。

 林太郎が青いグローブを付けていたのは、彼の瞳に倣っていたのだろうかと思うほど、ジャケット写真におけるリンの瞳は、冴え冴えとした青だった。陰影を帯びた薄いグレーの肌、眉も髪も黒い中で光る青い瞳は、まるで宇宙空間に浮かぶ地球のようだ。シンのほうはといえば、赤く輝く瞳がどこか禍々しく、住子がネットで見た書き込みには「吸血鬼みたいで素敵」という意見が目立った。

 手のひらで冷たい雫を受ける。

 やはり雨かと思ったときには、雨筋が目に映るほどの量へと変化していく。昼間の太陽にあたためられたアスファルトへ落ちる雨は、足元でむわりと熱を発した。

 濡れるほどに立ち上ってくるのは、雨の匂い。道行く人々が沿道の店に飛び込んだり、鞄を頭にかざしたりと慌ただしい。

 住子は肩にかけたトートバッグから折り畳み傘を取り出すと、それを開く。小振りの青い傘は数年前に購入したもので、軽くて気に入っているものだ。

「住子ちゃん!」

 そのとき、ありえない声が聞こえて立ち止まった。

 脇のコンビニから出て来た男が、手を振って近づいてくる。帽子を目深にかぶり、薄手のパーカーを羽織った背の高い男は、軽く色の入った眼鏡をかけているせいか、瞳の色がいつもとは違ってみえた。

「グッドタイミング! さすが住子ちゃん、わかってるー」

「山田さん、どうしてここに……」

「飛行機で帰ってきて、杉さんは用事があるから、各自で勝手に帰れって現地解散させられた。ひどくね?」

「はあ……」

「で、とりあえず電車乗って帰ってきて、そういやこの辺にもCD売ってるとこあったよなーって思って、偵察に来たわけ。したら、雨降ってくんじゃん? 傘持ってねーし、でも買うのめんどーだし、でも買うしかねーよなーってときに、住子ちゃんを発見ってわけ。ほんと助かったよー。入れてね」

 言いながら近づいてきた身体を仰ぎ見て、住子は声をあげた。

「……無理」

「ひでえ!」

「あなたね、自分の身体の大きさを把握しなさいよ。折り畳み傘におさまるわけないでしょう」

「へーきへーき、これ撥水加工のパーカーだし、全身濡れるよりマシ」

 そう言うと、林太郎は住子の手から傘を抜き取り、頭上にかかげてしまう。傘の骨組みがぐんと上にあがったせいで、頭の上が落ちつかない。傘の存在が遠くにあるにもかかわらず、雨が落ちてこない状況は、不思議な感覚だった。

「返して」

「住子ちゃんが持つより、俺が持ったほうがいいでしょ。こういうのは、背の高いほうが担当するものだよ」

「そういう問題じゃなくて」

「ほら、帰ろ。お土産あるよ」

 暖簾のれんに腕押し、ぬかに釘。

 山田林太郎に反論しても、無駄である。

 肩を落とし、ゆっくりと歩きはじめると、林太郎がそれに倣う。

 だが、彼は隣ではなく、住子の背後に立った。

「なにしてるのよ」

「肩幅を考えると、前後に並んだほうが、濡れる確率下がるかなーって思って」

 急かすように背を押され、住子が仕方なく歩きはじめると、林太郎は、今回の各地訪問がいかに慌ただしいスケジュールであったかを、のんびりと語る。

「店の開店時間ってもんがあるじゃん? それを考えたら、遠い場所からスタートしたほうがいいと思うんだけど、なんでか東京からやりたがるんだよなー」

「開店と同時に行って、お客さんっているの?」

「意外といる。でも、撮影隊が一緒だからね、それなりのを撮らないといけないから、ある程度は裏で待つよ」

 雨足は弱まることなく、かといって強さを増すこともなく、ただ、平坦なリズムを刻みつづける。

 遠くでは、ゴロゴロと雷の音。

 林太郎は新曲の話をはじめた。

「映像見てくれた? フルバージョンは期間限定だから、今のうちに目に焼きつけておいてよね」

「なんだかもったいないのね」

「こっちも商売だからね。ある程度の出し惜しみは必要だよ。期間限定で煽って、再生数を稼ぐわけ」

「再生数ってよく聞くけど、そんなに大事なの?」

「バロメーターにはなるでしょ。メディアは数値を大事にするから」

「やっぱり多いほうがうれしいものなの?」

「そりゃそうでしょ。あれね、映像と合わせるために、CDとは違うミキシングしてあるんだ」

 音の重なりや聞こえ方が微妙に違うのだと説明をしてくれたが、住子の耳には同じにしか聞こえない。

「――悪かったわね、聞ける耳を持っていなくて」

「気にしなくていいよ。こんなのは作り手側のこだわりだし」

「映像は、とても素敵だったと思う」

「マジで? やった!」

「色が、とても綺麗で。白い光が、すこしずつ黄色っぽく色づいていって――」

「で、総天然色になる瞬間、サイコーだよね」

 曲の終盤、最後のコーラスに入った途端、世界のすべては色を取り戻す。彼らの手が舞うたび、空間に色が走る。発売前の短い映像では見ることのできなかった世界に、住子は衝撃を受けた。

「俺が青で、慎吾が赤で、あいだに黄色い光を入れるじゃん? 現場では信号機って言われてさー。赤は止まれだけど、青は進めだろ? 俺だけあちこち動かされて大変でさ」

「ひとつ言っておくけど」

「なに?」

「青は、進めじゃない。進んでもいい、よ」

「なにが違うんだよ」

「――あなた、免許証返納したほうがいいんじゃないの?」

「ひっどいなー、住子ちゃんは」

 節をつけて歌うように文句を言う林太郎の声を背後から聞きながら、テレビで見るリンより、普段の林太郎のほうが落ち着くなと、住子は思った。


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