鈴木優子は後輩の変化に喝采をあげる
最近、山田住子の様子がおかしいと、鈴木優子は感じている。
このことに気づいているのは、まだ自分だけではないだろうかと思うが、これは自分や彼女が執務する部署には、女性従業員が一人ずつしか配置されていないせいだろう。なにかと目ざとい女性陣の目を、彼女はうまくかいくぐっている。
――でもまあ、それも時間の問題って気もするけど。
昼食時、隣に座ってお弁当を食べながら、優子は独りごちる。
山田住子という人は、とても地味な女の子だ。
洒落っ気というものをそぎ落とし、社会人として必要最低限の装備で生きている印象がある。卑屈というわけではないけれど、常にうしろへ一歩さがっているような、そんな女の子。
おじさん世代にはウケがいいけれど、若い男性社員などは「あれは、ない」といった評価らしい。これは、同社の従業員である優子の旦那から聞いた話だ。「俺は同意してないぞ」と、びびりながら言われたので、自分はそうとう怖い顔をしていたのだろう。
優子にとって山田住子は、大事な後輩だ。やや愛想に欠ける部分はあるけれど、同僚や上司に対して辛辣な態度を取っているわけではないし、部署内で不満が出ているわけでもない。
浮ついたところがない真面目な女子。
それが、彼女の評価だ。
しかし、半年ほど前から雰囲気が変わってきた。
淡々とした返事の仕方はいつものことだが、表情に、声に、仕草に、すこし色が加わったといえばいいだろうか。
一切を遮断するような見えない膜が、薄くなってきたような気がするのだ。
そして、ここ数ヶ月。
あきらかに変わった。
かわいくなったし、きれいになったし、肌つやが違うと思う。
彼氏でもできたかな? と思いつつ、あまりつっこんで聞くのもはばかられ、結局優子は、いままでどおりの態度を貫いていた。
「そういえば、山田さん、引っ越ししたの?」
「はい。どうして、ですか?」
「このまえ、駅で見かけてさ」
所用があって休暇を取った先日、帰宅中とおぼしき姿を見かけたが、その場所が以前に聞いていた最寄り駅とは正反対の場所だったのだ。
なんの気なしに問いかけたことだったが、戸惑ったような顔をする。これもまた、めずらしいことで――。ちょっと踏みこみすぎたかなと反省していると、住子が小さな声で話しはじめた。
「……じつは、住んでいたアパートで火事があって」
「え、ちょ。やだ、それめちゃくちゃ大変じゃない。え、大丈夫?」
「被害はそこまで大きくはなかったんですけど、もともと古いアパートだったので、これを機会に建て直すってことになって」
なるほど、それでかと納得するなか、住子はぽつぽつと言葉をつづける。
「知り合いが泊めてくれたので、そこから新しい部屋を探すつもりだったんです、けど……」
「あー、なかなか見つからないよねえ。うちの旦那、そういうの詳しいよ。場所の希望とかある?」
若い女の子ひとりでは動きづらかろうと訊ねると、住子は口をつぐんだ。
これはもしやと思い、優子は何気なさをよそおって、のんびりと声をかける。
「その家に住むことになったんなら、それはそれでいいじゃない。彼氏?」
「…………は、い」
「そっかー。こういうの、はじめが肝心だからね。遠慮しないで、イヤなことはイヤって主張しなよ」
「……そう、です、ね」
内心で喝采をあげながら、優子は表情を殺した。
ちらりと隣に目をやると、住子の頬が若干赤らんでいるような気がする。
――やばい、山田さん超かわいい。
顔がゆるみそうになるのを必死でこらえ、ごまかすように弁当箱から唐揚げを取って口に運ぶ。
そうか、やっぱり彼氏だったのかと頷きつつ、ふと昔のことを思い返した。
住子が入社した当時、彼女の配属先は事務担当の女性が不在で、隣部署の優子が応援に入っている状態だった。妊娠している女性が、四月入社の新人を待たずして退職したことが原因だ。
そのことに対して陰口を叩く人もいなくはなかったが、優子としては、お腹の子どもが最優先なのだから仕方がないだろうと考えている。
新人が来るまで応援に入ってくれないかと頼まれたときも、了承した。
自分が選ばれたのは、そこが入社して最初に配属された部署で、基本的な仕事内容を把握しているためだろう。処理案件が増えたことで時間は取られたけれど、見知った顔も多いなか、気をつかってくれたこともあり、そこまで苦ではなかった。
そうして配属された新人が、山田住子だ。
黒い髪をきっちりひとつにまとめ、緊張しているのか口を引き結んでいる。大きな黒縁の眼鏡が印象的で、絵に描いたような「真面目さん」だというのが、第一印象。
導入教育やら研修やら、新人がこなすべき案件は多い。
一ヶ月ほどは、顔見せを兼ねて複数の部署をまわり、ようやっと本来の執務に入ったのはゴールデンウイークが明けたあとだった。
彼女には悪いけれど、早く独り立ちしてもらう必要がある。
なにしろ優子は「応援」なのだ。ずっとついているわけにはいかないし、上司にもそう言われている。
さいわいにも覚えは早いし、応用もきく。わからないことはわからないままにせず、きちんと要点をしぼって質問してくるし、受け答えもはっきりしている。他部署の同期と話をした際、住子の件を話すとうらやましがられたぐらいだ。
考えてみると、更衣室や休憩スペースにこもって雑談にいそしむ姿は見たことがない。むしろ逆に、こちらが「休憩しなよ」と言ってあげないと、ずっと机に座ってパソコンに向かっているような女の子だ。
かたすぎてひそかに心配していたが、そんな彼女を支える男が現れたのであれば、よかったと素直に思える。
住子が机上のポーチから携帯電話を取り出した。
会社支給以外では、昨今なかなかお目にかからない二つ折りの携帯電話には、いつか見た黄色い小花のストラップが揺れている。
あのころよりはすこし色が褪せて古びたかんじはするけれど、大事そうに使っているところをみると、彼氏からのプレゼントなのかもしれない。
――聞きたいっ。聞きたいけど、下世話だよねえ。彼氏何歳? とか、どこの人? とか、おばちゃん丸出しじゃん。あー、でも知りたいぃ。
知らず、顔に力が入っていたらしい。「どうかしたんですか?」と住子に問われ、優子はちらりと周囲に視線を走らせ、口が軽そうな女たちがいないことを確認して、こっそり問いかけた。
「言いたくなかったら言わなくてもいいんだけどね」
「はい……」
「山田さんの彼氏、どんな人?」
「――ど、んなって、それはどういう……」
「や、もし社内恋愛だったとしたら、経験者として相談に乗れるよーって思ってさ」
顔を強張らせた住子を見て、優子は顔の前で手を振る。住子はしばらく口をつぐんでいたが、俯きつつも口を開いた。
それとなく話を向けて聞き出したことは多くない。
社外の人で、同じ年齢。仕事は不規則な時間で、地方へ出かけることもある。
そんな程度だ。
あれこれ訊ねてこない優子を不思議に思ったのか、住子はまだどこか不安げなようすである。
「……あんまり訊かないんですね」
「プライベートだしね。それに、こういうの話すのってやっぱ嫌じゃない。恥ずかしいのもあるし、ほっといてよーみたいなさ」
「そうですね……」
「だから、もしもなにか困ったことがあったら言ってよ。私でよかったら、相談にのるし」
入社当初から知っている、かわいい後輩だ。ピーチクパーチクうるさい女子集団の餌食にはしたくない。
すると、住子はぎゅっと拳を握り、なにかを言いたそうなそぶりをみせる。
黙って待っていると、やがてぽつりと言葉をこぼした。
「…………ゆ、指輪って、したことないんですけど、どうしたらいいんでしょうか」
――彼氏、グッジョブ!
見たこともないような、恥ずかしそうな顔をして俯いている後輩をみて、鈴木優子は天を仰いで二度目の喝采をあげた。
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