第08話 大丈夫 ここにいる
レコーディングにおける最終調整の場で、林太郎はどちらかといえば、役に立たない部類に入る。
どちらかといえば、と頭につけてしまうのは、まったく全然ゼロではないと本人としても信じたいからだろう。しかし、周囲のスタッフが声をかけるのは相方の三浦慎吾のほうばかりであることから、可能性は極めて低いといえる。
(いーんだよ、俺は宣伝のほうで役に立つんだから)
慎吾は寡黙にして冷静沈着なタイプで、林太郎とは正反対の性格。だからこそ、バランスの取れたコンビといわれている。
音楽的な方面に長けており、ともすれば裏方に徹するところがある慎吾にかわって、デビュー以来、主に林太郎がムードメーカーとしてフォレストを盛りあげている。雑誌インタビューなどの文字媒体はともかく、ラジオなどの場合、間があいてしまうと放送事故だ。必然的にトーク担当という割り振りとなっており、世間的にもそう認知されている。
フォレストのシンは、落ち着いた大人の男で、あまり話すのが得意ではない。
だが、実際のところ、そうそう寡黙というわけでもないのである。
「なんでまた急に、自分も歌詞を書くなんて言い出したんだ、おまえ」
「いいから、コツとか教えろよ」
「コツもなにも、インスピレーションだろ。タイアップが決まっていれば、それに合ったものにするし」
「じゃあさ、雪道はどんなふうに作った?」
去年出したアルバムに収録された一曲をあげたため、慎吾は素直に答える。
「冬っぽい曲にしようと思って」
「それじゃ参考になんねーじゃん!」
「意味がわからん」
頭を掻きむしる林太郎を見て、慎吾は手元の譜面を脇の机へ置く。片手間に相手をするのは難しいと悟ったらしい。
自慢の髪が逆立っていることを慎吾が指摘すると、むすっとした顔で手鏡を取り出し、手櫛でなでつける。たったそれだけで、さまになってしまうのだから、なんともずるい容姿である。
一旦クールダウンして落ち着いたか、林太郎はお茶のペットボトルを引き寄せて、一口あおって、肩を落とす。
そんな彼に、慎吾は改めて問いかけた。
「で、理由はなんだよ」
「俺も歌詞が書けたら貢献できるかなーって」
「あきらめろ」
「なんでだよ。協力しろよ」
「どうせあれだろ、どっかで見栄を張って、引っ込みがつかないとか、そういうことだろ」
「ち、違うし」
呆れたように言われて、林太郎は否と返す。
しかし、その慌てた口調では、説得力などないに等しかった。
数秒の沈黙。
慎吾の冷ややかな目に耐えきれず、結局、林太郎はぼそりと呟く。
「……だって、おまえの歌詞が好きだって言うから」
「いまさらなに言ってるんだ」
ビジュアル、パフォーマンスの面での評価は林太郎に依存するところが多いフォレストだが、楽曲面での評価は慎吾に軍配があがる。林太郎とてわかっていることであり、いままでは気にもしていなかったことである。
なぜ愚痴りはじめたのかといえば、住子の弁に起因している。
公式サイトにリンクしてある慎吾発信のSNSを見て、シンの綴る言葉に好感をもったのだという。
ウェブサイトで歌詞も読んで、公開されている曲も一部視聴した。いい曲ねと話した住子の言葉は、本来ならばよろこぶべきものであるにもかかわらず、なんとなくおもしろくない。
それは、彼女の興味が「歌詞を書いたシン」のほうにあるとわかったからだ。
林太郎自身が住子に見せたものであるが、なぜ慎吾なのか。プロの写真家によって仕上げられた超カッコいい自分に見惚れて、見直してもらうつもりだったはずなのに、計画が台無しである。
だったら自分も歌詞を書いて、フォレストの曲として発表すれば、住子だって興味を持ってくれるにちがいない。
どこまでも
「共演してる女優にでも言われたのか?」
「そういうんじゃないけど」
「じゃー、誰だよ」
「最近知り合った子。その子、フォレストのこと知らなくてさ、俺のことも痴漢あつかいしたんだ」
痴漢まがいのことをしでかしたのは自分であることは棚に上げ、林太郎は住子のことを慎吾に語った。
アパートの隣に住んでいて、同じ山田姓。年齢も同じ。抜擢されたドラマシリーズに合致するシチュエーションだったことをキッカケに、よく話をするようになったこと。女優やタレントとは違った見解を持つ一般人女性の意見は、なにかと役に立っているのだと告げる。
「なるほど。フォレストを知らない相手が、興味を抱いてくれたらいいなってことか」
「住子ちゃんの年齢で、フォレスト知らないって、どんだけ情報に疎いんだよって話だろ」
そうはいうが、慎吾にしたって、数ある女性アイドルグループの個々のメンバーまでは把握していない。
歌手も俳優も。世間一般の人にとっては、興味がなければその程度の認識だ。
「さめてんのな、おまえ」
「上昇志向はおまえに任せる。まあ、頑張れ。それで、そのスミコちゃんとやらは、おまえじゃなくて俺のファンなわけ?」
「おまえじゃなくて、シンが書く歌詞がいいって話。おまえ自身じゃねーんだよ」
「SNS見てるんだろ? 今度、話題に出してもいいか?」
「そういうの、よろこぶタイプじゃないぞ」
「やってみなきゃわかんねーだろ」
おもしろがったような慎吾の言葉に、林太郎も考える。
常に淡々とした態度を崩さない――、時々なにを考えているのかよくわからない住子が、なんらかの反応を示したとしたら、どんな顔をするのだろう。
ちょっと気になる。
林太郎の表情から、それらを的確に読み取ったらしい慎吾は、ひとつ提案をしたのである。
◇
“慎吾のSNS見てね”
唐突に送られてきたメールに、住子は首をかしげた。
はて、慎吾とは誰だろう。
湯を沸かしながら考え、ヤカンが水蒸気を噴出するころになって、ようやく正解に思いあたる。
「……山田さんの相方さん?」
林太郎と同様に、本名は伏せられているシンの名前が、三浦慎吾である。耳には馴染んでいた響きだが、漢字を当てて考えたことがなかったため、いまひとつピンとこないところだ。
公式サイトにリンクしているSNSのことだろう。なかなか素敵ねと口にしたところ、「俺だってやろうと思えばこれぐらいできるし」と、負け惜しみのようなことを言っていた。まったく、どこまでも子どもっぽいと住子は思う。
(今度は一体なんなの……)
呆れながら、耐熱性の瓶にお湯をそそぐ。次に、お茶の葉を入れて使う不織布の袋に、紅茶葉を詰めたものを沈めた。すぐに取り出せるようにタコ糸をむすんである――、要するにティーバッグの巨大版だ。こうやって一度に多めに作っておいて、冷蔵庫で冷やして飲んでいる。
本来であれば、専用のポットや茶こし使用して、一杯ずつ淹れて飲むべきなのだろうが、客も来ないひとり暮らしで、そこまでの手間をかけるのは面倒だった。
どうせ自分しか飲まないし、多少香りが飛んだとしても気にしない。
そう思って冷蔵庫に入れてあるアイスティーだったが、先日、林太郎が飲み干してしまったので、新しく淹れなおしているところである。
ある程度冷めるまでのあいだ、住子はノートパソコンを立ち上げて、フォレストの公式サイトを開いた。林太郎が勝手にブックマークしてしまったうえ、デスクトップにショートカットを作成しているので、簡単にアクセスできてしまう。
何種類もの緑を重ねて、絶妙なグラデーションを作っているページが表示される。古いパソコンに新しいOSを乗せているせいで、完全に表示されるまでには時間がかかるのが悩みどころだ。
TOPページには彼らの写真は使われておらず、上部にコンテンツが並んでいる2カラムのデザイン。一見すると、歌手のサイトには思えない。これらを考えたのも、三浦慎吾だというのだから、芸術性に長けた人物だ。
その中のひとつ、該当のメニューアイコンをクリックすると、別のタブでSNSの画面が開く。
風景や無機物が多いなか、最新の投稿には珍しく人物が写っていた。離れた場所にいる二人がシルエットとなったものが一枚目にあり、続いてバストアップの写真が掲載されている。
複数の画像が投稿されているためか、二枚目以降の写真は右側に縮小されている。住子が、一枚目の画像をクリックして開くと、写真が画面全体に広がった。
どこかのスタジオらしき場所で、スタッフの誰かが撮ったのであろうフォレストの二人が、並んで背中を向けている。長身の林太郎に負けない程度に、三浦慎吾も背が高いらしい。均整のとれた二人組の遠景写真は、それ自体がポストカードにでもなりそうな「絵になる」一枚だった。
右側をクリックして、次の写真を見る。
そこに写っていたのは、林太郎――いや、フォレストのリンだった。
メイクがほどこされ、髪型もいつもとは違っている。住子が見慣れた姿ではない、アイドルとしての姿が、そこにあった。
被写体である彼は、カメラに対して目線を送らず、どこか別の一点を見つめている。笑顔ではなく、仕事に向かう真剣な眼差し。
こうして見ると、まるで彫刻のような美しさだ。
次の写真はカメラ目線。自信に満ちた笑みを浮かべて、不敵に笑っている。これもまた、よく見る子どもっぽい笑顔とは違う表情で、「アイドルの顔」だと感じた。
シンによるであろうコメントには、新曲のジャケット撮影中である旨が書かれており、今日から
ファンによる書き込みもいつになく多く、それらはリンに対する称賛だ。ここまであからさまに人物写真が載せられたのは初めてで、それが相方リンの写真であったことが話題を呼んだのだろう。
閲覧者が反応を示していることがわかる下部のアイコン――そこに付記されたカウント数は、住子が見ているあいだにも着々と数字を刻んでいく。
公式サイトのほうへもどってみると、新着情報としてムービーが追加されていた。クリックすると、画面中央に動画再生画面が現れる。
横向きの三角形を押すと、雨音が流れはじめた。
モノクロの映像。
寂れた廃墟に降り注ぐ雨は、濡れたアスファルトに跳ね、水滴が白く光る。遠く離れた場所にある外灯はぼんやりとにじみ、輪郭は漠然としている。
不鮮明な世界で明確な形を
画面中央にクレジットが入る。
RAIN/フォレスト
数秒、白く映えた文字は、
低く、囁くようなリンの声からはじまった歌は、やがてシンの声と重なりぬくもりを帯びていく。モノクロの画面に馴染む、やわらかなバラードだ。
カメラのカットが変わり、ロングコートを着た二人が広角で映された。
先ほど見た写真と同じ衣装。伸ばした手につけられた指の開いたグローブにだけ色が入っている。リンは青、シンは赤。彼らの手が
一人ひとりに寄った映像、様々な角度から映されるフォレストという被写体は、色のない世界で歌っている。白と黒――、光と影のみで作られていく世界を、雨がつつむ。
いつしか、現実の世界でも雨が降りはじめた。
窓ガラスを叩く雨音が、内蔵スピーカーから流れる曲と混じり合い、住子は目が離せない。
カッと空が光った。
大きな音を轟かせた雷に一瞬身体が強張るけれど、流れる歌の中で、リンが甘く囁く。
大丈夫 ここにいる
幼いころからずっと苦手なはずの雷が、今だけは遠くに聞こえる気がした。
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