山田くんは攻防の果てに新しい呼び名を手に入れる

「……どうだっていいじゃない、そんなこと」

「そんなことじゃないって、大事だよ」

 呆れたように言われて、林太郎はつい身を乗り出して告げる。

「だいたい、そんなことって思うなら、呼んでくれてもいいじゃん」

「…………」

 林太郎の言葉に対し、住子は眉を寄せ、そして大きな溜息を落とした。

 まったく、住子は頑なだと思う。

 その生真面目さは悪くないことだし、しっかりとした考えを持っているところなどは、尊敬に値する。

 高校を卒業したあと、すぐに上京して芸能プロダクションに所属した林太郎にとって、山田住子という女の子は、稀有な存在なのだ。

 芸能人としてではなく、あるいは顔のいい男としてでもなく。ただの「人」として接してくれることを、自分は求めていたのだと実感している。

 だからこそ、もっと近づきたい。

 気安い関係になりたいのだ。

 そのためには――

「リン。はい、言ってみて」

「だから、呼び捨てなんて無理」

「渾名だと思えばいいじゃん」

「だとしても、呼び捨てになんてしないでしょう」

 あの出会いから数ヶ月。

 一緒に出かけたり、ごはんを食べたりする程度には親しくなったにもかかわらず、未だ住子は、林太郎を「山田さん」と呼びつづけている。

 そのことが、林太郎はおもしろくない。

 学校生活に例えたとすれば、一学期をともに過ごした仲といえるだろう。

 二学期に入っても、まだ「さん」づけはありえない。

 しかし林太郎の主張はなかなか受け入れられず、昼食を終えてからすでに一時間ほど攻防を繰り返していた。

 もうそろそろ、ツアーの準備が本格化する。

 いままでのように、気軽に会ったりできなくなる可能性が高い。

 そんな状況で過ごしていれば、どんどん離れていってしまうのではないだろうか。

 せっかく繋がった縁だ。貴重な友人を、なくしたくはない。

「ねえ、山田さん」

「リン!」

「……ほんと、しつこいわね」

「じゃあ俺も住子って呼び捨てにするから、住子ちゃんも俺を呼び捨てにしようよ」

 自分だけが呼び捨てにすることのハードルが高いというのであれば、お互いがお互いを呼び捨てにすればよいのでは?

 そんな林太郎の考えは、住子によって一蹴される。

「だいたい、どうして下の名前なのよ。そんなに山田が嫌なわけ?」

「べつにそういうわけじゃないよ。ただ、俺の周囲の人は、みんな林太郎のほうで呼ぶからさ」

「そう。じゃあ、バカ太郎で」

「ヤだよ、そんなの!」

 一番だいじな「リン」が抜けている。



 林太郎とバカ太郎を天秤にかけた結果、住子による「呼び捨ては無理」を受けいれることとなり――

 山田林太郎は、「山田くん」という呼び方を確保したのである。



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