第06話 それは俺が特別ってこと?
設定を決めましょうか。
そう告げると、部屋の主である住子がメモ用紙を取り出して、机に置いた。簡素でまっしろなそれは、淡白な住子らしい品だと林太郎は独りごちる。
職種、家族構成、血液型、年齢。
台本には書かれていない事柄を、お互いがメモに書き出していく。
「なんかさ、お見合いみたいだよな」
「……は?」
ドスの効いた声が返ってきて、林太郎は肩をすくめた。
「俺もよく知らないけど、こうやってお互いのパーソナルデータを仲介者に渡して、マッチングするわけだろ?」
「それは結婚紹介所とかじゃないの?」
「似たようなもんじゃん。仲介されて出会って結婚するんだし」
「暴論ね」
「おわりよければすべてよし、だろ」
「昨今は、結果でものをいわず、過程を大事にするらしいわよ。上司は部下を褒めて育てるんですって」
「へー。いーなー。俺も褒められたい」
「はいはい」
「――ほんと、適当だよね住子ちゃん」
「相手は選んでる」
「それは俺が特別ってこと?」
いさめられてばかりで腹が立った林太郎は、そこで声色を変えて住子へ顔を寄せた。
ぎょっとした顔で林太郎を見た住子の瞳が、眼鏡の向こうで大きく開いている。息を呑んだ唇にそっと指で触れ、そのまま頬を包むと、住子の肩がすこしだけ跳ねた。なにかを言いかけた唇に親指を押し当てると、林太郎はさらに顔を寄せて吐息とともに囁く。
「俺にとってはおまえが特別だ。いつも近くで見ていたし、その視界に入りたいと思ってた。その瞳に、俺だけを映してほしいって、いつだってそう思ってたんだ」
林太郎の手は住子の頬をすべり、耳を覆うようにして髪を掻く。彼女のそれよりも太くて長い指が、髪の中を分け入るように忍び込み、いつしかヘアゴムは床へと落下し、黒髪が肩へと流れた。胸元辺りに落ちる毛先を遊ぶように絡め取り、そっと口付けると、下から覗き込むように住子を見つめて微笑む。
「――な」
震えた声が、薄く色づいた唇から漏れる。林太郎がもう一度笑みをつくったとき、肩を怒らせた住子が林太郎の耳をつかみ、横へと引っぱった。
「ちょ、痛い。なにすんの、住子ちゃん」
「それはこっちの台詞よ。この痴漢、出て行って!」
「えー、ちょっとはドキっとしなかった?」
「どこかで借りてきたような引用台詞に、なんの意味があるか言ってみなさい」
「――なんでわかったの?」
「だから、嘘くさいんだって。あなた、恋愛モノには向いてないんじゃないの?」
「……うっせーな」
スキャンダルは困るが、恋愛をしろ。でないと、いつまで経っても恋の脇役だぞ。
大杉に言われたことである。
スキャンダルにならない恋愛ってなんだよ、しかもマネージャーが推奨すんのかよ――と、林太郎は脳内でツッコミを入れたものだが、ぐさりと刺さった言葉でもあった。
女の子からの声援は浴びるけれど、その実、誰かと真剣交際をしたことがないのである。
校区が絞られる小中学校では、周囲は馴染みの顔ばかり。林太郎はただの山田くんであり、林太郎くんだった。
進学した高校では、やはり「顔と名前が一致していない」という意味でネタキャラと化し、他校の女子からは手紙やらなにやらを貰ったけれど、名前が判明した途端、ある者は吹き出して笑い、またある者はフェードアウトしていった。
山田林太郎は、遠くに在りて愛でる存在であって、一対一の交際相手ではなかったのである。
初恋のめぐみちゃんは、中学を卒業するころに、成績優秀な兵頭くんと男女交際をはじめた。山田くんの出番はどこにもなかった。
頭を振って思考を追いやり、林太郎は住子の手元を覗き込む。
「へー。誕生日、三月なんだ」
「なに、その俺のほうが年上だ、みたいな声」
「そ、そんなこと言ってねーし」
同学年ではあるけれど、八月生まれの自分のほうが、年上だ。
と、考えたところだった林太郎は、どもりながらも否定する。住子は妙に勘が鋭いところがあり、心が読まれているのではないかとヒヤリとすることもしばしばだ。
ごまかすようにメモ書きの先を読む。
職業は会社員、血液型はAB型、家族構成――
そこで、つと止まる。
祖父母。
書いてあるのは、それだけだ。兄弟はともかくとして、両親すら書いていないのは、一体どういうわけなのか。
(亡くなったってことだよな、きっと……)
なにやら悪いことを明かさせてしまった気がして、林太郎は黙りこむ。住子はいつもと変わらない顔つきで、「私のばっかり見てないで、あなたはどうなのよ」と、手を伸ばしてきた。
我に返り、林太郎は己のメモを渡す。
リンのプロフィールはネットで検索すれば、ヒットする。祖父が外国人であること、姉が一人いること、八月生まれのO型。本名以外のことは開示されているといってもいい。
「それで、登場人物の基本設定がわかったところで、このあとは?」
「性格かな」
「……台詞があるのに、性格はどうでもよくない?」
「なに言ってんだ、性格によって言い方変わるだろ」
「まあ、そうかもしれないけど」
「はい。っつーことで、肉付け開始ね。由美子はどういう人だと思う?」
「優しいんじゃないの? 誠一の愚痴に付き合ってあげてるんだし」
「愚痴じゃねーだろ」
「仕事場の人間関係のことを、社外の人に話すなんて、愚痴以外のなんなの」
「……そうっすね」
ピシャリと断じられ、林太郎は黙った。一般社会人の生活について、住子に勝てる気はしない。
二人の年齢は、二十代半ば。これはヒロインを演じる女優の年齢を加味して決定した。
『恋模様』に抜擢されている女優は、男優と違って人気女優というわけでもない。その理由は、これがシチュエーションドラマであるからだと思われる。視聴者は、物語を楽しむというよりは、切り取られた一場面を楽しむ傾向にある。
それらにおいてもっとも重要なのは、共感だろう。
視聴者の女性は、主人公に己を重ね、イケメン俳優との触れ合いを楽しみたいのだ。
ゆえに、常に主役を張る美人よりは、普段は脇役を演じているような女優が好ましい。
「つまり、男女ともに、これをバネに頑張ろうっていう、若手にとって大事なドラマなわけね」
「いまに一世を風靡する俳優になる俺の、練習相手になれるっていう幸運を、噛みしめたほうがいいよ、住子ちゃんは」
「その尊大な性格を隠さないと、誠一にはなれないと思う」
「住子ちゃんは手厳しすぎる」
「じゃ、これで終了。お疲れさまでした」
「待って待って、ごめんなさい、お願いします」
メモを片付けはじめた手を咄嗟に握り、懇願する。むっとした顔で睨みつけてくる住子に最上級の微笑みを向けた。
「頼むよ、キミだけが頼りなんだ」
「――だから、そのうさんくさい言い方、やめなさいよ」
「話を戻すけど、由美子はなんで誠一に付き合ってくれてるんだと思う?」
「逆に訊くけど、誠一のほうはどうだと思うわけ?」
「かわいいからじゃね?」
「……あなたに訊いた私がバカだった」
「冗談冗談。えーと」
目を泳がせる林太郎に肩を落とした住子は、たとえばだけど――と前置きをして、口を開いた。
◆
上京してお互いひとり暮らし。
会社に入って新入社員という立場からも外れた年齢。
すこし疲れたころに出会い、言葉を交わすことでいつしか心が近づいた。
「へー、いいですね。それ」
「そう?」
「台詞を追うほうにばっかり気が向いてて、そこまで考えてませんでした。さすが、リンさんですね!」
「そんなことないって」
田坂かおりに感心され、林太郎は朗らかな笑みを浮かべつつ、心の裏で住子に手を合わせた。
(すげー住子ちゃん、一応女子だったんだ)
いささか失礼なことを考えつつ感謝を捧げた理由は、たった今相手に語った誠一と由美子の設定が、住子が告げたもの、そのままだからである。
相手役と顔を合わせ、こんな演技プランを立ててみたんだけど、田坂さんはどう思う? と披露したところ、顔を輝かせてよろこばれてしまった。これは林太郎の手柄ではまったくないため、若干のうしろめたさはあるものの、それを押し隠して微笑んでみせる。それぐらいのことは造作もないことだ。
「私、これに賭けてるんですよ。ちょっとでも名を売りたいなって思ってて」
「田坂さん、今でも十分活躍してると思うけど」
「何本かの映画に出させてもらってますけど、やっぱり脇役ですからね。主役を演じるには華が足りないってことはわかってますけど、だからこそ、このドラマは合ってるんじゃないかなって思ってます」
「そうなの?」
「美人で華やかな女の子が主役の少女漫画より、普通の女の子が主人公なほうが、やっぱりウケるものなんですよ。絵的には可愛く描かれるけど、設定的には平凡っていうのが、前提なんです」
田坂かおりは、握り拳をつくって力説する。
「田坂さん、そういうの好きなの?」
「私が最初に出た映画も、少女漫画原作だったんですよ。クラスメートからやっと友達ポジションにあがったんです。実写化さまさまですね」
明るく笑い飛ばしてはいるものの、「主役向きではない」のは悔しくないわけはないだろう。生まれもった容姿は、本人の努力ではどうにもならない。
彼女とて、決して不美人ではない。
一般人に比べれば、整った部類に属することは間違いはなくて。
けれど、
ひとつ、なにか光るものがなければ、上にはいけない世界なのである。
「話したのは、こっちが考えてきたことだけど、田坂さんには田坂さんなりの由美子像があるだろう? どういう人だと思う?」
「そうですねぇ。結構、負けん気の強い人かなーって思います」
「強い人?」
「そうじゃなきゃ、会ったばっかりの人と、そこまで仲良くはなれないんじゃないですか? 異性だし」
「でも、気が合うからこそ、会話が弾んでるんじゃないの?」
「そんなの、最初っからわかるわけないじゃないですか。結果論です。見ず知らずの男性にガンガン話しかけられたら、私ならこわいですよ。しかも隣に住んでるとか。ホラー映画ならストーカーまっしぐらな設定ですよね」
「――そう、だね」
笑みを浮かべながら、林太郎は内心で汗をかく。
落とし物を拾ってくれた相手を壁に追い詰めたうえ、色仕掛けで迫り、最終的には部屋にあがりこんだ己の所業を、果たして住子はどう思ったのだろう。
仲良くなったのは結果論だと、田坂は言った。
普通はこわい、と。
表情を崩さず、淡々とした態度をみせていた住子とて、本当は恐怖を感じていたのかもしれない。
いまさらながらそのことに思いあたり、林太郎の胸はチクリと痛んだ。
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