第22話 最悪じゃない、こんなの

第22話 最悪じゃない、こんなの



「――連れ?」

 林太郎の弁に眉をひそめ、和明かずあきの視線が住子に移った。その目はどこか心配げな色を湛えており、ひどく申しわけない気持ちになる。伯父は決して悪人ではないのだ。彼なりに、姪のことを考えているのだということは、住子とて承知している。

 隣に立つ男を見上げると、気遣いに満ちた瞳と出合った。背中にまわされている腕に力がはいり、声にならないなにかを伝える。

 どちらの男からもこちらを案じるような空気を感じ、住子はどこか居心地の悪いまま――けれど、なにかあたたかいものを胸にかかえながら伯父へ向かった。

「だいじょうぶ、伯父さん。知ってる人だから」

 そう返したあと、次に林太郎へ向かう。

「山田くん、こちらは私の伯父さん。ばったり会ったの。それだけだから」

「おじさん?」

「いきなり失礼な人ね。さすが、この子の知り合いなだけ――」

 割り入った早苗さなえの声は、そこで尻すぼみとなった。言葉を止めた彼女は、林太郎の顔を凝視している。

 これはまずいのではないだろうか。芸能人であることが露見してしまえば、大きな騒ぎとなってしまう。

 多少失礼だけど、強引に遮って別れてしまおう。あとでさんざん嫌味を言われるだろうけれど、林太郎に迷惑がかかるよりははるかにましだと考えて、住子が口を開いたときだ。伯母は住子に向き直り、口の端を歪めた。

「まったく。やっぱりあの人の娘ね。そうやって顔のいい男をたぶらかして」

「おい、失礼だろ」

「私はこの子のために言ってあげてるんじゃないの。どうせ騙されて、迷惑をかけられるのはこっちなんだから。だいたい玲子れいこさんはいつも――」

 そこからは、住子の母親である玲子の過去について早苗が愚痴り、和明がなだめる行為を繰り返しはじめた。住子にとっては慣れた伯母の態度だが、林太郎にとってはそうではないだろう。早苗の剣幕に口を挟めないようだったが、「不真面目な子」という言葉を聞いたとき、隣で動く気配がした。

「お言葉ですが、僕は彼女ぐらい真面目で丁寧で優しい人を知りません。騙すつもりもないし、騙されているとも思っていません」

「ちょっと、山田くん」

「僕の外見がチャラいせいで、誤解を与えたならすみません。ですが、それと彼女の評価は関係ないはずです」

 いつになく生真面目な態度で、まっすぐに言葉をかさねる姿に、住子の胸はざわざわとうごめく。

 この人はどうして、ただの隣人にここまでするのだろう。

 林太郎がよく口にする「友達」という単語。自分と彼が友達だとしても、世間一般的に考えて、友達の親族に物申すような真似はしないのではないだろうか。

「……つまり、君は住子と付き合っている、という認識でかまわないのかな?」

「はい」

「ちょ――」

 まごつく住子の前で、和明が確認するように問うた言葉も衝撃だったが、対する林太郎の返事はもっと住子を慌てさせた。

 こちらの弁を封じるように一歩前に出て、住子は林太郎の背に隠れる形となる。背の高い彼のうしろにいると、まるで庇われているような錯覚に陥り動揺した。

 隣に立って歩くことが多いため、こうして背中越しに顔を見上げることは少ない。斜めうしろからの角度――店内の照明がスポットライトのように降り注ぎ、顔に陰影をつくっている。

 その姿に、出会ったときのことを思い出した。

 暗いアパートの廊下、頭上の照明が逆光となった林太郎の顔は、彫刻のように美しかった。

 それはいまも同じで――、けれどあのころよりも親しみを感じるのは、積み重ねてきた月日のせいだろう。

 見知らぬ他人だった男が顔見知りの隣人になり、部屋にあげる知人となり、ともに出かける友人になった。親しい人などいなかった生活に無遠慮に入りこんで、住子のなかに居座ってしまった。日々の暮らしに溶け込み、林太郎は住子の一部になってしまった。

 隣の部屋から聞こえる音に彼の存在を感じ、そのことに安堵していることに気づく。携帯電話にはメールと着信履歴が埋まり、そのほとんどが林太郎だった。

 住子のなかには、山田林太郎がひしめいている。

 誰かのぬくもりを知ってしまった。

 すぐそこにある背中に手を伸ばしたくなる衝動に駆られ、住子は唐突に気づく。

(私、この人、好きだ……)

 誰かを「好き」だと感じる心。

 好きという単語を思い浮かべた瞬間、心臓がどくりと音を立てた。

 近しい人に感じる単純な好意だと思っていたそれが、急速に塗りかえられていく。鼓動は爆音を立てて加速し、つれて体温もあがっていく。顔が熱くなって、住子はますます混乱する。

 ひとり脳内でパニックに陥っているあいだに、林太郎は如才なく会話をつづけ、いつのまにか伯父夫婦と別れることになっていた。遠ざかる背中を見送っていると、林太郎が大きく息を吐く。

「はー、キンチョーしたー」

「あなたね、なに考えてるのよ」

「だって、住子ちゃんが絡まれてるのかと思って。今度はちゃんと助けないとって」

 邪魔にならないように端に寄って、口調を荒らげた人物に詰め寄られている状態は、はたからみればたしかに「絡まれている」といえなくもないだろう。夏祭りの一件が下地にあり、彼なりに自分を思っての行動であることは理解できるし、その気持ちはありがたいところだ。

 だが、そのあとのやりとりはいただけない。

「つ、付き合ってる、とか、なんでそんな嘘をつくの。バカなの?」

「そのほうが説得力あるかなって。おじさんのほうはしっかりしてそうだけど、おばさんのほうはキツイね」

「……ごめん」

「休憩しようよ。どっか座ろう」

 うつむいた住子の耳に、林太郎の声がやさしく響き、ふたたび心臓が高鳴った。そっと顔を上げると、やわらかい笑みを浮かべた男と出合い、じわりと身体が熱くなる。行こうと取られた手を振りほどく元気もなく、住子は促されるまま歩を進めた。



 ランチタイムを過ぎた時間帯であるせいか、人の入りは少ない。壁際の二人席に腰をおろし、林太郎がメニューを手に取った。

「なにか食べる? パンケーキおいしそうだよ」

「べつにいい」

「俺が頼むから、はんぶんこしようよ」

「好きにすれば?」

 我ながら冷たい声だと、住子は思った。どうしてもっと、やさしく振舞えないのだろう。林太郎はいつものように笑っているから、なおさらだ。人間としての差を感じて、ひどく情けなくて、胸の奥がキリリと痛む。

 唇を噛む住子をよそに、林太郎はメニューを置く。ボタンを押して店員を呼び注文を伝えると、テーブルには沈黙が訪れた。

 なにを、どう説明すればいいのだろう。伯母の言い分を聞けば、おおよそのところはわかってしまっているはずだ。

 だが、こんなふうに巻き込んでしまったからには、なにも伝えず終わらせるわけにはいかなかった。まして彼は、伯父に「付き合っている」と宣言しているのだ。

 唾を呑みこんで、住子は口を開く。

 素行がいいとはいえなかった母親のこと。父親が誰なのか母自身も把握していなかったこと、未成年で産んだ子どもを自身の親に任せて遊んでばかりいたこと、酒に溺れて身体を壊しあっけなくこの世を去ったこと、その血を引いた住子は、親族の鼻つまみ者であるということ――

「……親戚が集まるお正月は、私が行くと嫌な顔されるのよ。だから、帰らない」

「そっか……」

「伯父さんには、あとで電話して説明する。場をおさめるために、敢えてそう言ってくれただけで、べつに付き合ってるわけじゃないって」

「いや、そんなすぐに否定しちゃダメだろ」

 すると林太郎は反論した。

 いわく、伯母の性格からすると、逆効果だというのだ。

「よその家の人を悪く言いたくはないけどさ。あのおばさん、住子ちゃんが俺に嘘をつかせたとか、そうやって男を手玉にとってるとか、ぜってー言うだろ」

「…………」

「住子ちゃんを悪く言われるのはいやだから、このままでいい」

「このままって、あなたね……」

 林太郎の楽天家ぶりはいつものことだけれど、これは簡単に流していい問題ではないだろう。芸能人が誰それと付き合っているなどというニュースは、ワイドショーの格好の種だ。まして、アイドルの女性問題はイメージ戦略にかかわる。一部の人へ向けた方便だとしても、彼個人が決めていいことではないはずだ。露見したときのリスクがあまりにも高い。

 けれど林太郎は、いつものように笑うのだ。

「へーきへーき、いままでだってバレてないじゃん」

「それとこれとは話がべつ」

「でもさー、買い物行ったりー、部屋で一緒に飯くったりー、会えないときは電話したりー。やること、とくに変わんねーし」

「そ、れは、そうかも、だけど」

 指折りあげられて、住子は口をつぐんだ。そこへタイミングよく注文したものが運ばれてきて、話が中断してしまう。そうなってしまうと林太郎の押しが勝ち、住子はうやむやのうちに、恋人設定を納得させられてしまった。

「これもお芝居の一環だと思ってよ。はい、じゃあまずはパンケーキをシェアすることからはじめよう」

「はあ……」

「あーんとかする?」

「絶対、いや」

「だよね」

 即座に断った住子に対して軽やかに笑った林太郎は、近くを通った店員にフォークをひとつ追加してくれるよう頼んだ。



  ◇



 己の感情にようやく名前をつけた住子ではあるが、だからといってなにが変わるというわけでもない。仕事納めとなり、起床時間がすこし遅くなった程度である。

 年末ともなれば、テレビも特別番組ばかり。それでも、なんとなく電源を入れてしまうのは、習慣になっているからだろう。

 もともと、テレビっ子というわけでもなかった。出勤前に天気予報の確認がてらニュースを見るのと、夕飯時にBGMがわりに流している程度で、明確な目的があるわけでもない。しかし、フォレストの存在を知ってからは、彼らが出る番組を見たりするようになってしまったのだ。

 廊下を進む足音が聞こえる。近づいてきた音は住子の部屋を素通りし、停止する。ゴンと扉を叩く音がして、続いて開閉音。男性の低い声と交互に、林太郎らしき声がかすかに聞こえた。

(またマネージャーさんに起こされてる……)

 その筋の人かと見まがうサングラスの男が、フォレストのマネージャー・大杉という人物であることは聞いている。平日は会う機会がなかったため、出迎えにきているところに遭遇するのは、ずいぶん久しぶりだった。

「杉さん、腹減った」

「車に用意してある」

「マジで? なに?」

 連れだって歩いていく会話が遠くなり、やがて車のエンジン音が消えていく。

 林太郎は変わらない。

 変わったのは、自分だけだ。

 電話が鳴るのを待ってみたり、過去に届いたなんてことのないメールを読み返してみたり。

 休みに入って時間が増えたこともかさなり、林太郎のことを考える時間が増加している。考えないようにしてみても、例えばテレビのCMや雑誌、ネットの情報と、ありとあらゆるところに彼は存在する。

 家にいても、外出しても。

 フォレストとして微笑むリンの姿が、視界に飛びこんでくるのだ。

(……最悪じゃない、こんなの)

 恋愛感情というものは、こんなにもやっかいで面倒くさくて、絶望的な気分になるものなのか。

 実るあてもない心を抱え、住子は机に突っ伏した。




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