第21話 それ、詐欺の常套句よ
山田住子にとって「クリスマス」とは、特別でもなんでもない一日だ。そこかしこの店で装飾がほどこされ、スーパーではクリスマスソングが流れている。イブと当日には骨付きの鶏の足が並ぶけれど、骨は邪魔で食べづらいため好きではなかった。お酒は飲まないので、買う気もない。
となれば夕飯も変わり映えせず、チキンが並ぶのは単純に「売っているから」にすぎない。
買えとばかりに積んであるし、年末の年越しそばと同様に、買って食べるのがあるべき姿と強要されているようなものだった。
嫌いではないし、かたくなに拒否するほどのものでもない。
子どものころは祖母がケーキを用意してくれたけれど、子どもは住子だけだったし、祖父母をふくめて三人しかいない家族で、大きなホールケーキを消費するのはいささか難しい。小さめのサイズを三等分していたが、いつしかロールケーキになり、カットケーキになり、ケーキにこだわらずにシュークリームになったりもした。
ひとり暮らしをはじめてからは、もっと簡素になっている。
それを寂しいとも思っていなかったけれど、今年はどこかものたりない気がしているのは、おそらく林太郎のせいなのだろう。イルミネーションを見物に行くなんて、はじめてのことだったのだ。
十二月が近づくと、テレビのワイドショーなどでリポーターが楽しげに紹介する映像が流れるため、自然と目にすることが多い。会社からの帰り道でも、小規模のものはあふれている。わざわざ見に行くようなものではないと思っていた。
けれど、場の雰囲気というものがあるのだと、住子は知った。
通りすがりに眺めるのとはわけがちがう。その場に立って、間近で見つめる光は幻想的で、小学校のころに見たプラネタリウムを彷彿とさせた。
都会の喧騒も不思議となりをひそめ、ひっそりと静かな空気がそこにはあった。
もっと騒がしいイメージだった住子は驚いたものである。
林太郎によれば、場所によって雰囲気はさまざまらしく、頻繁に色を変える華やかなものや、文字や図案を浮かび上がらせるエンタメ要素の強いものもあるらしい。そのなかでも、今回訪れた場所はおとなしいタイプのイルミネーションで、「だって住子ちゃん、こういうほうが好きでしょ」と林太郎は笑みを浮かべていた。
そうやって、いつのまにか見透かされていて、居心地が悪くなる。
胸の中がモヤモヤして、落ち着かなくなる。どうにも、もどかしい。
夕食は店で買ったチキンと、炊いた白米。パックに入ったコーンスープを一杯分だけ鍋であたためて、カップへそそぐ。サラダは昨日の残りで、今日食べきっておしまいにする予定だ。
テレビでは、星のついたレストランのクリスマスディナーを、何人かの芸能人が食レポをまじえて食べる様子が映し出されている。これをゴールデンタイムに流すとは、各ご家庭の食卓に喧嘩を売っているとしか思えない。
番組はスタジオトークと店紹介が交互に流れる構成で、クイズに答えて正解すると店の料理が食べられる、よくある仕様であるらしい。
メインの司会者がゲストを呼びこみ、拍手とともに迎えられたのは、フォレストだった。黒を基調とした衣装は二人をすっきりと見せていて、出演者のひとりである芸人が、腰の高さや足の長さを比較し、自虐して笑いをとっている。
どうやら二人もクイズに参加して、絶品グルメ争奪に参戦するらしい。よそいきの微笑みで、林太郎――リンが回答し、間違えて肩を落としているさまを画面越しに見ながら、住子は思う。
あれは、わざと間違えたのではないだろうか。
正解すると食べられる料理、付け合わせとして添えられた野菜にはにんじんとピーマンがあった。どちらも彼が苦手とするものである。
知らず、ぼうっとしていたのだろう。パソコンデスクの上に置いてある携帯電話が震え、住子は肩を跳ねさせた。身体の振動がテーブルに伝わってがちゃりと机上の皿が鳴り、その音に自分で驚く。
手を伸ばして掴んだ携帯電話のサイドディスプレイは、林太郎から着信メールがあったことを告げていた。開けてみると、いつものように電話をしてもいいかを問うもので、しばしかたまる。
いつもなら気にせずに返信をするところだけれど、どうしてか今日は戸惑ったのだ。
番組はコマーシャルに入り、ビールに続いて胃腸薬の宣伝が流れている。これはつまり、食べ過ぎに注意しろという、番組およびスポンサーからの注意喚起なのだろう。
ふと、手のなかの端末が震えた。振動を続けるそれは、住子に通話を促す。
ひとつ唾を呑んで、それを受けた。
「……はい」
『あ、俺だけど』
「それ、詐欺の常套句よ」
『――あれ、もしかして住子ちゃん、なんか怒ってる?』
怒ってはいない。ただ、戸惑っているだけだった。
『ごめん、返事まだなのに電話して』
まずかったらかけなおすけど、と尻すぼみになる声に苦笑し、住子は軽く息を吐く。
「いいわよ、べつに。なにかあったわけ?」
『そうじゃないんだけど、時間があいちゃったからさ』
「いま、テレビに出てるけど……」
『録画だよ、それ』
明るい声が笑いをふくみ、続いてこちらに問いかける。
『なんの番組?』
「クリスマスにかこつけて、都内の有名レストランを紹介する番組」
『あー、あれか』
「山田くんが野菜を避けるべく、わざと答えを間違えた番組よ」
『そ、そんなことねーし』
あれは番組上、そうしたほうがおもしろいと思って――とすらすら返ってくる言葉は、逆にうさんくさい。顔は見えないけれど、口を尖らせて反論をこころみる様子が見てとれて、住子はつい言葉をかさねる。
「番組のことを考えるなら、ゲストをもちあげるほうがいいでしょ。間違えるのは芸人さんにゆずってあげなさいよ」
『勝ちは慎吾にゆずってやったんだよ』
「食べてもらったの間違いじゃないの?」
『食べられないわけじゃないんだって』
なおも言いつのる彼に、住子は告げる。
「じゃあ、今度ハンバーグの付け合わせ、にんじんにしてもいいのね。ピーマンの肉詰めもおいしいわよね」
『……ごめんなさい、俺は嘘をつきました』
だからハンバーグには、目玉焼きかポテトをつけてください。
そう懇願する声に、力が抜けた。
いったいなにを緊張していたのだろう。
「それで、本当に用事はないの?」
『ないよ。あ、でも、ひとつ言っときたいことがあった』
「どうぞ」
『メリークリスマス!』
楽しげな声が耳に飛びこんできた。
ついさっきテレビに映っていたリンではなく、住子がよく知る山田林太郎らしい、あけっぴろげな笑顔が脳裏に浮かび、住子の心臓は大きく脈打つ。
「……バカなの?」
『そこはちゃんと受け止めようよ。あ、サンタさんとか信じなかったタイプ?』
言われ、幼稚園の記憶がよみがえる。サンタさんと両親、両方からプレゼントをもらったのだと喜色満面の報告が飛び交うなか、住子は遠巻きにそれを聞いていた。お誕生日の月も似たようなもので、親の愛を無自覚にひけらかす彼や彼女たちにどういう態度でのぞめばいいのか、祖父母と生活している住子にはわからなかったのだ。
サンタクロースなる存在は、自分には関係のない存在で。そのかわり、祖母がごちそうをつくってくれて、祖父が欲しい物を買ってくれた。それでよかった。じゅうぶんだった。
おとなになって、サンタ問題からは解放されたと思っていたけれど、こんなふうに不意打ちで訊ねられると返答に困り、住子は口をつぐんだ。
林太郎のほうは気にとめたふうでもなく、自身の体験談を語っている。サンタを信じつづけ、姉にネタバレされてショックで寝こんだという話は、いかにも林太郎らしく――、彼の家族がどんなふうであるのかを如実に物語っており、住子は不意に林太郎を遠く感じた。
(結局サンタさんってのは、素直な子どものところに来るものよね……)
冷めた考えを抱く自分には、きっと一生縁がないものだ。
サンタさんに想いを馳せる年代はとうに過ぎ去ったはずなのに、なぜか胸に穴があいたような感覚に陥り、住子は気づかれないように溜息を落とした。
いまにして思えば、それは予感だったのだろうか。
クリスマスが過ぎた途端に年末の賑わいをみせる街中で、住子は見知った人物と相対していた。大型のショッピングモール。たくさんの人が行き交うなかで出くわすなんて、天文学的な数字だろう。
住子の前にいるのは、山田
久しぶりに顔を合わせたという当たり障りのないあいさつのあと、話題にあがったのは年末年始のことだった。実家に帰るか否かの確認である。
住子にとっての生家は、伯父にとっての実家だ。子どもを連れて顔を出すにあたり、住子の所在を気にするのは当然の流れだろう。もっとも、気にしているのは伯父というよりは、伯母のほう。彼女は住子を――、住子の母親をひどく嫌っているのだから。
「いつものとおり、お正月ははずして、顔を出すつもりだから」
「そうか……」
「おばあちゃんには、電話してある」
和明は言葉少なくうなずき、早苗のほうはといえば、眉をよせたままの顔で――それでも、どこか安心した様子をみせて、鼻で息をついた。赤く色づいた唇が開き、トゲのある言葉が住子をうつ。
お正月なのに家に顔を出さない礼儀知らずであること。
老人を残して、ひとり暮らしを満喫していること。
それらの言葉に、住子は黙ってうなずく。
すべては矛盾に満ちたものだ。正月に家に帰ったとしたら、新年早々、配慮がないと非難されるし、実家から通勤しようとすれば、社会人のくせにまだ祖父母に頼るのかと叱責される。
結局のところ、彼女は住子が気にいらないのだ。死んだ母にぶつける苛立ちを、住子に向けているにすぎない。
奔放で、父親のわからない自分を産み、子どもを家に預けて遊びまわっていた。酒に溺れたあげく身体を壊し、病であっけなくこの世を去った。そんな、恋多き女だった母の玲子は、和明にとってはさぞ頭の痛い妹だったことだろう。
美人だったという母親に似た面差しが嫌で、視力が低下したのをいいことに大きな眼鏡をかけた。笑顔を浮かべようものなら、早苗から「母親に似て、男をたぶらかす女」と言われるため、住子は小学生のころから顔を殺して生きている。
笑顔なんていらない。
感情なんて、必要ない。
ねちねちとつづく嫌味の声を聞き流していると、ぐいと肩を掴まれた。バランスを崩しそうになった身体はあたたかいなにかに受け止められ、住子の脳裏に夏祭りのいざこざが飛来する。
顔をあげるとそこにいたのは林太郎で、驚きのあまりかたまってしまう。
突然わりこんだ人物に驚いたのは伯父夫婦も同じであったらしく、呆気にとられている。薄く色の入った伊達メガネをかけているため、彼の瞳が日本人のそれとは異なっていることにまでは気づいていないだろう。量販店に売っていそうなありふれたシャツと黒いパンツ。濃紺色のコートを着た姿は、どこにでもいそうな装いであるにもかかわらず、不思議とオーラを放っている。
突然現れた山田林太郎は、どこか冷たい声で伯父夫婦に告げた。
「すみません、俺の連れがなにか?」
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