第05話 お母さんみたいなこと言うよね

「すーみーこーちゃーん」

「その言い方やめてよ」

 遊びに来た小学生のような呼びかけに、住子は憮然とした表情で玄関扉を開放する。

 すると相手は、当然のように入室して靴を脱ぐと、慣れた様子で中へ進む。諦めにも似た気持ちで扉を閉めると、住子は林太郎のあとを追った。


「住子ちゃん、喉かわいた」

「子どもか。ああ、精神年齢は小学生だったわね」

「誰が小学生だ」

「山田林太郎くんが」

「フルネームはやめろ、山田住子」

「私は気にしないけど」

「俺がイヤなんだよ」

 帰りに買ってきたらしい牛丼をテーブルに広げながら口を尖らせる男に、住子は渋々ながら麦茶を入れて出してやる。女性のひとり暮らしには不似合いな大きなガラスコップは、林太郎が自室から持ち込んだものだ。

 芝居の練習に付き合ってくれと懇願されてから、一ヶ月は過ぎただろうか。妙に図々しい林太郎に、住子はすっかりペースを乱されていた。

 未だに信じがたいことだが、山田林太郎は芸能人である。

 名乗られて調べたところ、本人の主張通り、そこそこ人気があるアイドルであるらしい。

 フォレストは二人組で、ツインボーカルのユニットだ。甘いマスクと華やかさで観客を魅了するリンと、静かで知的な雰囲気で大人女子のハートをくすぐるシンとで住み分けがされている。なかなか上手い戦略だと住子は感じた。

 基本的には提供された楽曲を歌うが、アルバムではシンが手掛けることも多い。最近はシングル曲でもその傾向が強く、林太郎曰く「慎吾はアーティスト思考なんだよ」とのこと。林太郎が俳優を目指すように、相方は音楽をふくめ、芸術方面に興味があるらしい。アルバムジャケットのデザインにもかかわっているというし、コンセプトに合わせた色合いは関係者にも評判だという。

 そんなすごいセンスの持ち主が、こんなお子様ナルシストとコンビを組まされるなんて、気の毒に――

 住子は、会ったこともないシンに、同情を禁じ得ない。


「なーなー。明日だけどさー、用事ある?」

「べつに、ないけど」

「じゃー、朝から付き合ってよ」

「どこに?」

「出かけるわけないじゃん。部屋ん中で、練習に付き合って」

 面倒くさい。

 ぽろりと漏れた本音だが、林太郎は意に返さず笑顔のままである。

「脚本、見せてあげるからさ」

「それは興味深いけど、関係ない人にぼろぼろ情報明かして、あなた本当に大丈夫なの?」

「へーきへーき。だって、誰にも言わないだろ?」

「――言わないけど」

 なぜ、ここまで信用されているのか。情報漏洩の可能性をまるで考えていない様子で、住子は脱力する。

(まあ、このアパートじゃ、仕方ないかもしれないけど)

 アパートの居住者は、男子学生や単身サラリーマンが多い。洒落た雰囲気にはほど遠く、あちこちにガタがきている古くさい建物である。

 それでいて、ネット環境が整っているのは時代のなせるわざなのか。住子は会社から払い下げられたノートパソコンを安く買って使用しており、旧型のそれが唯一ネットにつながる媒体だ。

 住子ちゃん、ほんとに現代人? 過去からやってきた人だったりする? と林太郎が驚いたのは、彼が部屋に勝手に出入りするようになって、一週間ほど経ったころだったか。祖父母に育てられた住子としては、己がやや古い思考をしていることは自覚しているけれど、だからといってそれらを恥じる気持ちは毛頭ない。


「それで、今回はどんな設定?」

 先日やっていたのは、兄と妹だった。主人公に恋する妹を、からかいながらも応援する、ちょっとコミカルな兄という役どころ。これまでの爽やか路線とはすこし違う役柄で、練習がしたかったらしい。

 役作りなんてものは、監督に相談すればいいのではないだろうかと思うのは、素人の考えだろうか。

 しかし、「たとえそれが監督の意向から外れていたとしても、自分なりの「兄」を確立しておけば、褒められたり見直されたりするかもしれないじゃん!」と言いきった林太郎に、心底あきれたものである。

 住子からみれば、コミカルな兄貴役は、素のままやればいいんじゃないの? と思わなくもなかったが、脚本を片手に、あーだこーだと考える姿はそれなりに真剣だったので、付き合ってやることにしたのだ。ほだされたといってもいい。

 兄妹ということで、同じ部屋で過ごす日常的な会話や行動が主な練習内容であり、演劇とは無縁な住子でもなんとかなった。負けん気の強いヒロインということもあり、台詞だって「うるさい、バカ兄貴」というようなものが多く、迷いもなにもなかったことが幸いした。

 その流れもあり、同じ部屋にいる状況にもすっかり慣れてしまった住子である。

「状況的にピッタリなんだ。男がパスケースを落としてさ、それを主人公の女子が拾うわけ。で、その相手ってのが、マンションのお隣さんでさ。ベランダ越しに会話するようになるんだよ」

「――本当でしょうね」

「どういう意味だよ」

 自分達の出会いに酷似している、あまりにもできすぎた設定に、疑いの目を向けた住子に対し、林太郎はカバンから薄い冊子を取り出した。差し出されたそれには番組タイトルが印字されており、第五話と書かれている。

 表紙をめくると、キャストの名前が並んでいた。先頭にある田坂かおりというのが、おそらく主人公役の女優なのだろう。申しわけないが、名前を聞いてもピンとこない。

 パラパラと斜め読みすると、林太郎が言っていた設定が、嘘ではないことはわかった。どうやら本当に「落とし物を拾ったら相手が隣人だった」という話らしい。

「今のご時世、こんなことありえないでしょ」

「あいかわらずシビアだなー。いーじゃん、こういうのは夢だよ夢」

「女子か」

「男だって、こういうのはトキメキ感じるんですー」

「あー、はいはい」

 軽く流しながら読み進めていく。そんな住子に、林太郎は補足するように説明をいれる。

「シチュエーションドラマだから、細かい設定がないんだ。年齢だって、社会人っていう大雑把なくくりだし、どんな仕事してるのかもとくに決まってねーの」

「それで相手と恋に落ちるとか、詐欺を疑うわ」

「設定上決まってないってだけで、そこは演者側がバックボーンを考えるんだよ」

「なんだか、すごく難しいのね」

「俺、いままでは原作があるドラマばっかりで。こういう、オリジナルってやったことなくてさ。だから、ちゃんとりたいんだ」

「……そう」

「俺は追加キャストだからさ、やっぱり最初の回は勝負になるんだよ」

 『恋模様』というこのシリーズは、今回が第二期となる。一期目は五人の役者がローテーションで演じており、それぞれの役者が演じた物語に固定ファンがつき、同じキャラクターで続編が作られる場合もあったという。

 十五分という時間で描かれるのは、物語の一部分だけだ。

 そこでいかに視聴者を惹きつけられるかは、役者陣の芝居にかかっているといっても過言ではない。

「っつーことで、自己紹介。はい、そっちから」

「はあ? なに言ってるの?」

「住子ちゃん、社会人だろ? 俺、一般企業のことなんてわかんねーもん。女子側の設定をいちから考えるより、住子ちゃんにしたほうが早いじゃん」

「なんで私側の設定まで必要なのよ」

「相手役のこと知らないで、どうやって好きになるんだよ」

 そこをどうにかするのが役者なのではないだろうか。

 しかし、林太郎は林太郎で男性役を考えるのだから、女性役は一任するの一点張りだ。

 心底、面倒くさい。

「だから、めんどくないように、ユミコを住子にしちゃえばいいんだよ」

「誰よ、ユミコって」

「主人公」

「あぁ、由美子さん」

 住子は台本に視線を落とす。その隣には、誠一せいいちという名があり、こちらが林太郎の役名だ。ちょうど開いたページはベランダに出て会話をするシーンで、ビールを片手に喋ることになっている。

「あなた、下戸じゃなかったっけ?」

「飲めなくはない」

「でも苦手なんでしょ?」

「あのね、これ仕事だから。本番で本物のアルコール飲むわけないだろ」

「なんだ。飲んだときどうなるのか、その気分を味わってこその役づくりだーとか、うざいこと言うのかと思った」

「うざいってなんだ。でも一理ある。住子ちゃん、お酒ある?」

「あると思う?」

 住子も酒を好まないことは、これまで交わしてきた会話で知っているはずだ。

「だよな。買いに行こうぜ」

「今から?」

「コンビニなら開いてんじゃん。ついでに、プリン食べたい」

「ほんと、子どもっぽい」



   ◆



 アパートから歩いて十分ほどの場所にあるコンビニエンスストアまで、林太郎は住子と歩いて向かう。

 一人で行くつもりだった林太郎に、「いらないもの買いそうだから、私も行く」と付いてきたのである。

 まるで信用がないが、以前、住子がサンドイッチをひとつ頼んだところ、それに加えておにぎりが三つ、菓子パンが二つ、レジ横総菜のコロッケと唐揚げ、炭酸飲料二本を買って帰ってきたのだ。それ以来、林太郎の「俺が買ってくる」は信用されていない。

 住宅街とはいえ、人通りはない。

 もうすぐ頂点を超える時刻だ。出歩いている人など、そうはいないだろう。

「やっぱ静かだねー」

「大声を出さない」

「――お母さんみたいなこと言うよね、住子ちゃん」

「誰があなたの母親なのよ」

「住子ちゃんっていうか、住子さんってかんじ?」

「そもそも、ちゃん付けしていいなんて、許可してないんだけど」

 嘆息する住子に、林太郎はくすりと笑う。この暗闇と身長差があれば、こちらの表情は見えてはいないはずだ。

 百八十センチはある林太郎に対し、住子は平均的な女子の身長だと思われる。そもそもが部屋でばかり話すので、こうして隣を歩くことは二度あったかないか程度だが、玄関に並んでいる靴は踵の低いものばかり。染めたことなどなさそうな黒髪を、ひっつめ気味にしばっている姿しか見たことがない。普段、林太郎が接する世界とは真逆の存在である。

(俺が免許証落としたりしなけりゃ、会話することなんて絶対になかったよなぁ)

 大通りが近づいて、車のヘッドライトがこちらを照らす。その光源は、見下ろした住子の横顔を浮かび上がらせ、眼鏡のフレームが光を反射した。不意に住子がこちらを見上げ、林太郎はドキリとする。

「どっちのコンビニに行くの?」

「……あー、どっちでも。好きにしていいよ」

「じゃ、こっち」

 右と左、どちらに折れてもコンビニがあり、距離もさほど変わらない。コンビニスイーツなど、その系列店でしか展開していない商品次第で行き先が変わるが、今回の目的物はどこの店でも購入できるものだ。右に進んだ住子に追いつき、横に並ぶ。

 一歩、二歩。

 確かめるようにゆっくりと歩く。

 すると、住子の歩くスピードがほんのすこし上がった。林太郎がそれに合わせて歩幅の位置を調節すると、競うように住子が前へ出る。

「なにやってんだよ、競歩?」

「余裕ぶっててムカついたのよ」

「仕方ねーじゃん、俺のほうが足長いしー」

 見せつけるように大きく一歩踏み出して振り返ると、憮然とした住子が立っている。その様子がおかしくて、楽しくて、林太郎は笑った。

「怒らない怒らない。コロッケおごってあげるからさー」

「こんな時間に食べるわけないでしょ。すこしは考えて、ものを言いなさいよ」

「我儘ちゃんだなー、住子ちゃんは」

「どの口が言うか、山田」


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