第34話 なんで俺に言わないんだよ
愛田美衣亜というタレントが、フォレストのリンご執心であることは、彼女の事務所サイドも認識していたが、あまりおおごとには捉えていなかったらしい。
これまでも、だれそれがカッコいいなどと熱をあげては、脈がないと知るとすぐに飽きてしまう行為を繰り返しており、今回もそうなるだろうと楽観していたのだという。
そうこうしているうちに、今度は古ぼけたアパートに足を向けるようになり、ターゲットが変わったと認識した。
どこの誰かは知らないけれど、相手からのリアクションがなければ興味をなくすのが、いつもの愛田美衣亜だ。マネージャーやスタッフらが、本人に気づかれないように、こっそり荷を回収していたそうだ。
しかし、自分が出した手紙や贈り物を手に取る住子の姿を見かけた。自分とリンを邪魔していると思ったため、彼女を調べるに至ったという。
かのアパートで火事があったことを知った事務所スタッフが、なにか関係しているのではないかと思い本人に確認したところ、住子の件が発覚した。
放火があったとされる時間帯は撮影現場にいたため、愛田自身は事件とは無関係だろうが、時期が時期なだけに、彼女の一連の行動は
贈り物を回収していたというが、置いた本人に知られずに周囲の人間が行動するのは、なかなか難しいのではないだろうか。そこには一定のタイムラグが発生するはずだ。手紙やプレゼントとやらを、一度も見た記憶がない林太郎に、大杉は言った。
「――おおかた、部屋を間違えたんだろうよ」
「間違えたって?」
「隣の部屋だ。山田女史が言ってたよ。廊下に不審物が置いてあって、いつのまにかなくなってたって」
「なんだよ、それ!」
椅子を蹴って立ち上がった林太郎を、大杉がいなす。
「時期は、ツアーに出ていたころだな」
「……なんで俺に言わないんだよ、住子ちゃん」
「おまえに関係があるとは思わなかったんだろ」
「だとしても、怖いじゃん」
ちょうど家を空けていた時期にそんなことがあるとは、タイミングが悪すぎる。もしも自分が東京にいたら、一緒に考えることぐらいはできたはずなのにと、林太郎は歯噛みした。
不審者情報があるなか、廊下に置かれている知らない荷物。
どれだけ怖かったことだろう。
なんでもないふりをして、自分の心を隠してしまう住子を思うと、胸が潰れそうになる。
「やっぱり駄目。住子ちゃんの引っ越しはなし」
「おまえが決めることじゃないだろう」
そう言ったのは、同席している慎吾だ。
一連の騒ぎが終息し、明日はツアーのファイナル公演。フォレストの本名が世間に出て、初めてファンの前に立つことになる。どういう方向でいくかを決めるため、こうして事務所で話し合いをしている最中だった。
大杉は、嘆息しながら口を開く。
「まあ、たしかにそうなんだが、一度撮られてるからな……」
「だからこそ、ひとりにしたくないの。あのマンションなら事務所の息もかかってるし、安全だろ?」
「おまえが住子さんを出したくないだけだろ」
「当たり前じゃん」
「こいつ、言いきりやがった……」
「とにかくだ」
大杉が声を大きくする。
「まずは明日の最終日のことだけ考えろ。とくに林太郎」
「なに」
「余計なことは口にしないよう、気をつけろ」
事の発端は、同居人である住子の存在が知られたこと。せっかく隠したそれが露見するような失態は、避けなければならない。
そんなことは林太郎もわかっている。
なによりも優先的に考えるのは、住子が平穏に生活できること。
苦しんだり、つらい思いをすることなく生きていけることが林太郎の望みであり、それを一番近くで見ていられるようになりたいと思っている。
「わかってる。住子ちゃんのことは絶対守るよ」
◆
映像化する関係で、カメラ機材がたくさん入っている。宣伝も兼ね、メディアへも一部公開することになっており、会場はいつも以上にざわついていた。
あきらかな空席もなく、客の入りは上々といえるだろう。舞台袖でその空気を感じながら、林太郎は肩で息をつく。
ツアーにかかわっているスタッフからも、名前の件ではからかわれ、それらについても笑顔でかわす。本当に、どうしてあんなに気にしていたのだろうと、自分でも不思議なほど林太郎は平気だった。
照明が落ちる。中央に設けられた階段裏に待機する。
きっと大丈夫だ。
たとえどんな反応をされたとしても、今の自分ならば受け止められる。
住子がいれば、なにも怖くないのだから。
流れはじめたイントロに合わせて、林太郎は傍らの慎吾に目を向ける。アイコンタクトで頷きを交わし、ふたりは客の待つ舞台へと足を踏み出した。
いくつかの曲を披露したあと、最初のMCに入る。フォレストのトーク担当はリンであるため、基本的に最初に話しはじめるのは林太郎の役回りだ。
挨拶のあと、ツアーについての説明。最終日ともなれば、それまでの振り返りなどをしたりするものだが、今日にかぎっていえば話しておかなければならないこともある。
とはいえ、それは中盤まで取っておくことに決めていた。
ひとまずは曲だ。
自分たちの名前がどうであれ、それ以前にフォレストというアーティストなのだ。秘匿していた名前や経歴などは、これまで築いてきた活動にはなんの関係もない。
だからただ、聞いて欲しかった。見て欲しかった。
フォレストの曲を。パフォーマンスを。
なんら恥じることのない自分たちの姿を、足を運んでくれたファンに見せることが、今日の最大の目的だった。
セットリストは順調に進み、バラードが終わったあとで中休み。一度水を飲み、林太郎は息をつく。
これからが正念場だ。気持ちを落ち着かせるべく瞳を閉じ、深く呼吸をする。そして、ふたたびマイクを手に舞台の中央へ進むと、一礼して顔をあげた。
「他の開催地なら、その土地ならではの話をするところなんだけど、ここは東京なので、今日は別の話をします。このまえテレビなんかでもやってたので皆さんご存じかと思いますが、俺たちの名前のことです」
会場全体がどよめく。
その色は戸惑いであり、好奇だ。
高鳴る心臓をおさえながら、林太郎はつづけた。
これでも生まれたときは普通に赤ん坊だったから、親もまさか、俺がここまで日本人離れした顔に成長するとは思ってなかったみたい。
自分の顔が周囲と違うっていうのは幼児にだってわかるわけで。
整ってるだけに目立つし、でも名前がバリバリ日本人だから違和感があって、じつはすごくコンプレックスだったんだ。
よくさ、テレビでイケメン俳優とかに「モテたでしょー」とか言うじゃん? そんなことないって謙遜だと思うじゃん? たぶんあれ、真実だと思うんだよ。
すくなくとも俺は、そういう意味ではモテなかった。女の子でもさ、美人すぎると気おくれしちゃって、話しかけられないとかあるわけで、なまじ顔がいいと苦労あるんだよ、うん。
わざとらしく、おどけながら頷くと、会場から笑いが漏れた。
――よし、大丈夫だ。
ひといきついて、ふたたび口を開く。
そんで、いざデビューするってなったとき、やっぱりこの名前がネックになったわけ。
この顔のアイドルで、名前が「山田林太郎」だよ? 絶対売れないっしょ。
どっとあがる笑い声を待って、林太郎はなおも言葉をつづけた。
シンのほうはべつに隠す必要もなかったんだけど、俺とコンビを組むにあたって、だったらシンとリンで森林――フォレストって名前にすればいいんじゃないかって話になったんだ。芸名をつけて活動するのって、バンドとか、音楽の世界にはありがちだし。
でもさ、そうやって一旦伏せちゃうと、公表の機会をのがしちゃって。
シンは音楽の仕事だけじゃなくて、デザインのほうでも賞を取ったりしてるし、俺は最近、俳優の仕事にも恵まれてきて。それぞれのソロ活動を本格化するにあたって、名前がネックになってきたんだ。
今の俺は、どうしたって『フォレストのリン』で。クレジットされる名前だってリン、かっこフォレストって但し書きが入る。
もちろん、フォレストあっての俺で、それがあったからこそいただいた仕事が多いと思ってるんだけど、そろそろさ、俺は俺のまんまでいいんじゃないかなって。それでも見てくれる人は、すこしはいるんじゃないかって、そう思えるようになったんだ。
住子に出会って、住子のおかげで、自分は変われた。
それは、奇跡のような出来事だ。
一拍おいて、ぐるりと客席を見渡してみると、二階席まで埋まった観客の顔は、一心にこちらへ向かっている。
こんな駄目な自分でも見てくれる人は、ここにもたくさん存在しているのだ。
その事実が、林太郎の胸を熱くした。
「ということで、林太郎って名前を隠すのはやめることにしましたってことです。あ、でもできればこれまでどおり、リンって呼んでね。カッコつけて歌ってるときに、林太郎ーって呼ばれてもアレじゃん?」
「和楽器を使った曲なら、似合うんじゃないか?」
離れた場所で控えていた慎吾がすっと横に立ち、笑い含みで声をかけてきた。
「なんだよそれ、曲限定じゃん」
「いいじゃないか、今日が『林太郎』の初掛け声ってことでさ」
背後で横笛の音が鳴る。
煽るように、ドラムが太鼓のような音を立てた。
掻き鳴らされるギターに、笛の音がまとわりつきながら、音を高めていく。
最新アルバムに入っている、和楽器を使った一曲だ。
予定通りの曲順ではあるけれど、まるで図ったかのような構成になってしまい、それをさりげなく演出した慎吾の助け船に林太郎は破顔する。
流れはじめるアレンジされた前奏に客が湧き、会場の空気も変わっていく。
熱く、熱く。
渦巻く奔流に、照明も呼応し明暗を演出する。
背後のスクリーンを利用し、そこに影絵を駆使したアートが描き出される。
「じゃあ、この曲だけは、林太郎呼びを許可しまーす」
その声を合図に、はじまった曲。
客席から飛んでくる「リンタロー」という声援に高く腕を振りあげ、林太郎は笑顔で歌いはじめた。
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