第四話

「……よし……っ!」


 腿の上で握った手に力を込め、気合いを入れる鶴千代殿。強い決意が目に現れ、生き生きとした〝気〟に満ちている。

 私は己が10歳であることを忘れ、親のような心持ちで見守っていた。


 それから間もなく、頃合いを見計らったかのように兵衛府の方がいらした。鶴千代殿が名を呼ばれる。


「鬼武者殿、このご恩は忘れません」

「瑣末なことゆえ、お気になさいませんよう。鶴千代殿のご活躍を、ご祈念申し上げます」


 互いに礼をする。

 鶴千代殿は立ち上がり、使者の方と退出していった。


 鶴千代殿の姿が見えなくなるまでその場で見送ると、私は瞑想を始める──ことはできなかった。

 主殿寮の方がいらしたのだ。

 私は他の方々に礼をし、控えの間を辞した。



 ✽✽✽



 お迎えに来てくださったのは、史生ししょう小槻広房おづきのひろふさ殿だった。

 主殿寮長官を兼任なさっている正五位下・左大史たいし永業ながなり殿のご子息だそうだ。

 4名のみの史生が一人抜けたら、業務が滞るのでは……と心配になったが、どうやら広房殿が直属の上司となられるらしい。


「主殿寮までは距離がありますから、その間に説明したほうが合理的でしょう」

「お手数をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます」

「こちらこそ」


 理知的な顔立ちの18歳は、年齢よりも大人に見える。

 算術を得意とする家系の方で、官位はまだないものの、管理業務の主力を担っていらっしゃる。


 ご先祖の奉親ともちか殿が、長徳元年995に外従五位下・左大史となられたのを初めとし、代々にわたって左大史を務められた功績により「官務家」と称されている。

 以来、太政官の記録・文書の伝領保存という、重要な任に就いていらっしゃるとのこと。


「主殿寮は茶園の西にあります。達智門たっちもんがすぐ傍にありますから、場所は覚えやすいでしょう」


 大内裏は東西に384丈約1.2キロメートル、南北に460丈約1.4キロメートルにも広がり、移動するのも一苦労だ。


 謁見の間、控えの間がある内裏は中心からやや東に、主殿寮は北東のほぼ隅に位置する。その間、距離にして165丈約500メートル

 私の足に合わせて頂いているので、四半刻の半分15分ほどはかかるだろうか。



 こちらでは、よほどのことがなければ〝急歩〟一呼吸に四歩は使わない。通常は〝平歩〟一呼吸に二歩、儀式の際には〝緩歩〟一呼吸に一歩を使うこともある。歩行も作法のうちなのだ。


「業務内容はどの程度ご存知ですか?」

「主に、内裏の施設管理と消耗品の管理・供給と伺っております」

「簡潔で良いですね。では、少し詳しく説明しましょう」


 広房殿は少し間を置かれた。


「我々の職務は、行幸ぎょうこうの際に御輿みこしきぬがさなどの管理をします。供奉ぐぶは、実務担当の殿部とのもり40名の仕事です」


 土を踏むわずかな音の上に、清廉なお声が重なる。


「内裏では、帷帳とばりの設営は殿部、御上おかみの御湯殿ゆどののために湯を沸かして運ぶのは釜殿かまどの、宮中の庭掃除・火番・薪炭の調達などの雑事は今良こんりょうが担当しています。今良は男が141人、女が226人いますので、直接の指導役は駈使丁くしちょう80名に担当させています」


 書物を読み上げるように滑らかなご講義は、美しい調べのようにも聞こえる。大学寮学問所にて教鞭をとられたら、良い師となられるに相違ない。


「後宮は男子禁制の場ですから女孺にょうじゅに油や蝋の管理を、それ以外の場所は駈使丁に管理をさせています。それらをひとつの書簡にまとめるのが、長官次官判官、大属主典少属の上官6名と、事務官である我々4名の史生及び20名の使部つかいべです。上官の雑務は直丁じきちょう2名に、我々の雑務は仕丁しちょう25名に任せています」


 最後まで、一流アナウンサーのごとく無駄も淀みもなかった。

 たくさんの情報が一度に入って来たにも関わらず、しっかり記憶できたのは、広房殿の巧みなご説明と、この体の性能が良い相乗効果を生んだゆえだろう。


「こちらが、主殿寮です」


 広房殿が足を止められ、門を手で示された。

 計算したように──いや、計算なさったのだろう。


 何でもないことのように行動なさる広房殿に感銘を受けた私は、無意識に拝礼90度の礼にて、敬服の意を表していた。


「精一杯努めますので、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます」


 貢献とまでは行かずとも、せめてお荷物にはならぬようにせねば。

 私は深々と頭をさげた。






〔註釈〕

史生:公文書の清書や書き写しなどを行う事務官。

左大史:上位の命を受けて公文書の記録・作成・内容の吟味をする太上官の職。

行幸:天皇の外出。

御輿:天皇の乗り物。

蓋:絹を張った長い柄の傘。貴人が外出の際、後ろから差しかざすものです。

供奉:行幸行列に加わるお供。

殿部:宮中の食事・灯火・清掃などの雑役に従った伴部ともべ

伴部:古代の伴造とものみやつこを継承したもの。「伴」=君主に奉仕する、「造」=集団です。下級役人として配属され、非常勤の交代制でした。

御上:天皇。

今良:8世紀に解放された官奴婢が良民となった際に、新たに与えられた隸属身分。

駈使丁:諸国から集められ、中央諸官庁で野外での力仕事などの雑役に従事した男子。

女孺:雑事担当の女官。

使部:官庁の雑役に従事した下級役人。

直丁:諸国から集められ、中央諸官丁の野外労役以外の雑役に従事した者。

仕丁:諸国から集められ、中央諸官庁の雑役に従事した者。文官の雑務から、造営事業の労力源まで、幅広く配置されました。


小槻広房の年齢について:生年未詳とされています。よって、12歳で元服を前提とし、官歴と没年から推測した年齢としております。


※註釈は敬称略

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