第十話

「……若様」


 近江さんのささやきに、刻限だと知る。


「すっかり長居してしまい、申し訳ございませぬ。私は退出致しますゆえ、どうぞお休みになってください」

「あーぅえ、かえる?」


 義母上より先に、今若丸から返事が参った。


「うむ。おやつを置いて参るゆえ、義母上と食すがよい」

「おやつ……!」


 今若丸の目が輝く。


「そなたの好む南瓜なんきんだ」

「ひょー!」

「小豆とともに、甘く煮てある」

「ほぉぉお!」


 好物に心惹かれたようだ。



 南瓜と小豆を柔らかくなるまで煮た薬膳料理は、糖度の高い南瓜を使うため、ぜんざいのような甘さがある。


 味つけは昆布の出汁のみ。甘味料を一切入れないので幼児の体にも優しい。

 また、炭水化物・たんぱく質・ビタミン・ミネラル・食物繊維と、多くの栄養素を一度に摂取できる。

 我が家のおやつの一翼を担う一品だ。


「ゆっくり味わうがよい」


 今若丸を膝からおろし、頭を撫でて立ち上がろうとしたが、途中で衣の裾を引かれた。


「いっしょ」

「今若──」

「いっしょなの」


 その目は、「一緒と言うまで離さない」と語っていた。


「……若様を、困らせるものではありませんよ」

「や!」


 義母上がやんわりと窘めてくださったが、ぶんぶんと首を振る今若丸の手は、ますます強く衣を握りしめていく。


 私は義母上に視線で「よろしいですか」と伺う。義母上から静かな頷きが返されたので、その場に座り直す。


「今若丸」

「いっしょなの」


 絵に描いたような可愛らしい〝への字口〟に、思わず頬が緩む。


「ならば、ともに食そうか」

「ほんとっ?」


 首が取れてしまうのではと心配になるほど、勢いよく顔を上げる今若丸。


「うむ。義母上と、そなたと、ともに食そう」

「いっしょ!」

「うむ」


 飛び込むように抱きついてきた今若丸を、そっと抱き返す。


「あーぅえ!」

「うむ」

「あーぅえ!」


 膝の上で懐いてくれる今若丸と遊んでいる間に、女房さんたちによって、人数分の懸盤が運ばれてきた。


 予定にはなかったはずだが、私の分まできちんと用意されている。彼女たちの中では、想定内だったということか。

 その優秀さに、頭がさがる思いだ。


「今若丸。隣に座らぬか」

「ここ」


 私の衣の胸元を握りしめ、えりの合わせ目に額を当ててきた。「離したら帰っちゃうでしょ」という声が聞こえた気がした。


「……今若丸」

「構いません」


 困り顔で窘められる義母上に、緩く首を振る。

 自らの左腿を軽く叩き、「ここで食すがよい」と今若丸を座らせる。これで、食べさせやすくなった。



 にこにこと機嫌の良い今若丸を優しく促して、食前の言葉を唱える。

 小さな手を合わせ、「ますっ」と私の真似をする幼い姿に、女房さんたちから拍手喝采しそうな熱気が伝わってきた。


 義母上に「よろしければ、お召し上がりください」と声をかける。

 昼餉もあまり召し上がれなかったらしいので、葛湯を口にするだけでもいい。


 葛湯は炭水化物と甘味の糖分、若干のミネラル成分を含む。体を温め、消化も良いので、主厨長さんの見立ては正しいといえる。

 また、義母上の罹患りかんされているのが婦人科系の病なので、葛湯が含有しているイソフラボン誘導体が、症状を和らげてくれることを期待する。


 できれば南瓜のほうも召し上がって頂きたいが、無理は申すまい。


「はーぅえ、『あー』、する?」

「……いただきましょう……」


 最愛の息子に言われては、召し上がるよりほかあるまい。


 義母上は、まず、お持ちになったお椀の温かさに、ほっとなさった。

 匙でわずかな量をお掬いになり、ゆっくりと口にされる。


「んーま?」

「……えぇ。美味しいですよ」

「よかったー」


 自らが作ったかのように嬉しそうな顔をする今若丸。


「今若丸も食さぬか」

「ん!」


 元気の良い返事を聞き、お椀を右手で持ち上げた。それから、今若丸を支えている左手に持ち替える。こちらも、ほどよい温かさだ。

 右手で子ども用の匙を手に取り、お椀から小さな口に入るくらいの量を掬う。


「口を大きく開けられるか」

「『あー』?」

「うむ。甘い南瓜が入るようにな」

「あ!」


 好物が口に入るよう、できるだけ大きく開けてみせる今若丸。

 匙の先端をそっと入れると、上手に咥えた。上唇をすべらせるように静かに引き抜くと、一心不乱に噛む。

 よく噛んで飲みこむと、満面の笑顔になった。


「んーまっ」

「旨いか。良かったな」

「あ!」


 次を催促する姿は、雛鳥のようだ。



 ……確か、歴史上の南瓜伝来は16世紀だったはず。

 なぜこの時代にあるのか知るよしもないが、栄養価の高い食材がひとつでも多くあるのはありがたい……などと、とりとめのないことを考えつつ、愛らしい雛鳥の口に南瓜と小豆を運んだ。




 そしてこの日。私が学習したのは、予定にない行動をすると──


「あにうえと、おやつ……」

「むーっ!」


 4歳児2歳児をなだめるのに多大な労力を必要とする……ということだった。






〔註釈〕

南瓜:カボチャ。

罹患:病気にかかること。

椀:木で形を作り、漆を塗った器。木製の器を「椀」、石製の器を「碗」と書きます。

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