第三話
その夜。ほの暗い私室にて、唯一の光源である灯明皿の小さな火を、何とはなしに見ていた。
もうすぐ
私を気遣い、「今しばらく、こちらに控えておりましょう」と申し出てくれた近江さんを、明日の業務に差し支えるゆえと説得してさがらせたのは、もう
ゆらり、ゆらりと、空気の流れに従い揺らめく火は、少しずつ、だが確実に灯芯を燃やしていく。
貴重な油が灯芯にじわじわと吸われていくのを、目に入れながら散じていた意識は、かすかな呼びかけにて、一つへと戻った。
「何用か」
声の主──主厨長さんに問う。
「火急の件にて」
極限まで抑えた声量であるにも関わらず、御簾と几帳を通ってこちらまで聞こえるのは、やはり特殊な訓練を受けた者に相違ない。
私が入室の許可を出すと、わずかに御簾が動く音がした。
瞬く後には、下座に片膝をついて控える主厨長さんと、もう一人の姿があった。
「このような時刻に、申し訳ございません」
「構わぬ。今しばらく、起きていようと思ったゆえ」
「左様にございますか」
主厨長さんが小さく苦笑した。
申したいことは次のようなものだろう。「(子どもの身ゆえ)早く休まれたほうがよろしいかと」さらに「このような時刻に訪問する我らが言えることではありませんが」と、この辺りか。
多少の言葉は違えども、内容は大差ないと思われる。
まばたきひとつで理解していることを伝え、本題に入る。
「用とは」
「はい」
姿勢を改めた主厨長さん。
「私は泉
「そなたも、清和の流れを汲む者であったか……」
「はい。源
「
確か……信濃に根を張るため、源姓の子孫が伊奈氏、信濃村上氏、依田氏、片切氏、飯島氏などの祖となり、信濃各地に勢力を持ったと書物庫の文献にあった。
泉氏は、伊奈氏の一族だったと記憶する。そして、世相により忍びの業を会得したと……
しかし。
「何ゆえ、私に
家長代理の朝長義兄上に申し上げるのならば、道理であろうが。
「大殿のご指示にございます」
「父上の……」
「はい。大殿は大局を見ておられます。ゆえに、『今宵』と」
主厨長さん──親衡殿は「これよりは、この小助が繋ぎを致しますれば」と、部下を紹介した。
それは、厨丁のうちの一人だった。
私は10代半ばほどの小助を見据え、口を開いた。
「一つ問う」
「何なりと」
「そなたらは、
「それも
〝も〟か。……なるほど。
父上は「情報を正確に掴み、情勢を見極めよ」とのお考えか。
「ならば頼みがある」
「若様」
親衡殿が、優しくも厳しい表情で私を見つめた。
「あなた様のような御身分の方が、たやすく『頼む』などと仰いますな」
「しかし、そなたらは父上の家臣であろう」
「なればこそ、我らにお命じくださればよいのです」
「それはできぬ」
私の毅然とした態度に、呆気にとられる二人。
「父上の家臣なれば、父上の領域ぞ。私は無闇に踏み荒らすような真似はせぬ」
父上のご指示にて赴いたのならば、こちらも節度を守らねば。
「若様……」
親衡殿の眼差しが、幼子を見るような柔らかなものへと変化した。
「承知致しました。では、先ほどのご用件を伺いましょう」
私は浅く頷き、用向きを伝えた。それは、「此度の子細を調べて欲しい」ということだ。
告げた瞬間、二人は戸惑いの気を見せた。
だが、戯れ言でないことがわかると承諾し、「夜更かしはなさいますな」と優しく言い置いて退出していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます