己の姿を気にかけず ──保元元年(1156)葉月

第一話

 気がかりだった常盤の義母上のご容態は安定し、出産を無事に終えられた。

 乙若丸と名づけられた義弟は2歳となり、今は北対でお昼寝中だ。


 〝乙若〟とは、(常盤の義母上の)2番目の男児という意味である。


 ここだけの話だが、この子の顔を見ていると〝乙女〟の〝乙〟ではないかと思ってしまう。

 大きな目を縁どる睫毛は長く、色白の肌に映える小さな唇は、血色よく艶もある。

 骨格も、今若丸が2歳だった頃より華奢な印象がある。

 烏帽子を冠するより、裳着が似合いそうな風貌だ。



「おとわか、ねてる」


 私の隣で、今若丸がのぞきこんだ。


「うむ。今若丸も昼寝を致すか」

「ねむくない」


 先ほどから動作が緩慢になってきた今若丸が、目をこすりながら「おきてる」と主張する。


「乙若丸を見守っておるのか」

「まもる」


 4歳になった今若丸は、己よりも幼い子を見て、本能で「これは守るもの」だと理解しているようだ。


「偉いな、今若丸。立派な兄ではないか」

「いまわかは、あにうえになる」


 兄上のようになる、と言いたいらしい。


「義平義兄上か」

「ちがう」

「では、朝長義兄上か」

「ちがうー」


 私が正解を導けないので、頬を膨らませる。


「あにうえは、あにうえ」

「……もしや、私のことか」

「ん」


 今若丸は、性格的には義平義兄上に近いと思うのだが。私のようにとは、いかなることか。


「おとわか、〝いいこいいこ〟する」


 今若丸の言に、私は普段の接し方を振り返る。


〝良いことをすれば、頭を撫でて褒める〟


 今若丸は、己がされて嬉しかったことを、弟にもしてあげたいようだ。

 その優しさに、私は頬を緩めた。


「うむ。たくさん褒めてやるとよい。きっと、今若丸のように、優しく賢い子になるだろう」

「ん!」


 今若丸は、得意げに大きく頷いた。


「ならば、乙若丸が起きたら、何と褒める」

「うーん……」


 一人前に腕を組み、首を傾げる。

 少しして「あっ」と顔を上げ、私を見た。


「『いっぱいねた』、ほめる」

「それは良きことだ。『寝る童は育つ』と申すゆえ、今若丸も昼寝を致せば、さらに大きくなろうぞ」

「あにうえと、いっしょ?」

「私よりも、大きくなるやもしれぬな」

「ねる!」


 私に乗せられた今若丸は、お付きの女房さんに布団の催促をする。「敷きましてございます」と手で示された布団を見て、「ほぉお!」と目を輝かせた。

 手妻手品のように思うのだろう。


 今若丸には明かさぬが、私たちの会話はこの部屋にいる者すべてに聞こえている。

 仕事のできる女房さんは、お昼寝をする流れになるであろうことを読みとり、布団を敷いてくれていた。


 今若丸は意気揚々と布団に入った。

 だが、気合いが入りすぎて、眠気が飛んでしまったらしい。


「……あにうえ……」

「うむ」


 困り顔を向けてくる今若丸の傍に腰をおろした。


「子守唄を歌うか」

「ん!」

「ならば、目を瞑るがよい」


 嬉しそうな表情になった今若丸の頭に手をあて、そのまま額をすべらせて目に影がかかるようにする。


 素直に目を瞑った可愛い義弟の頭を数回そっと撫で、その手を静かに衾の上に移動した。


「♪ねんねんころり ねんころり」


 今様節で、ひたすらゆっくりと歌う。

 幼児用の衾越しに、とん……とん……と、手のひらでリズムを軽く伝える。


「♪坊やのまぶたは 仲良しぞ」


 子守唄を歌う利点は、必ず眠ってくれることだ。難点は、大人まで眠くなるらしいことか。

 女房さんたちが口元に袖を添え、あくびを我慢している。


 今若丸が眠ったら歌うのをやめるので、しばらくおつきあい願いたい。


「♪ゆらりと夢の おとないに」


 今若丸の呼吸が深くなってきた。少しずつ眠りの世界に入っているようだ。


「♪まかせば心地の よかろうぞ」


 2度ほど繰り返す間に、しっかりと寝入ったらしい。「……ふすー……」と可愛い寝息をたてている。


 ほほえましさに目尻をさげつつ、今若丸を起こさぬよう、徐々に手を離していく。


 膝に手を戻した辺りで空気に温かさを感じ、顔を上げた。

 女房さんたちも、私と同じような表情をしていた。






〔註釈〕

烏帽子を冠する:男子の成人の儀で、冠をつけること。加冠、元服とも。

裳着:女子の成人の儀で、裳を着けること。


子守唄の今様節について:〝越天楽今様〟を参考にしております。


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