第二話

「大殿様が、お召し呼びにございます」


 斜め後ろから、近江さんが小声で知らせてくれた。

 返答をして、わずかな衣擦れ以外の音を立てぬよう注意を払い、義母上の前に移動する。


 挨拶の前に義弟たちに気を配るが起きる様子はなく、胸を撫でおろす。

 義母上と短いやりとりの後、退出の挨拶をして北対を辞した。



 ✽✽✽



 寝殿の広間に戻ると、父上、母上、義平義兄上、朝長義兄上が普段の席次に座していらした。どうやら私が最後だったようだ。


「お召しにより、参りました」


 下座にて挨拶をし、お待たせしてしまったことを謝罪する。


「よい。今若丸を寝かしつけていたと聞き及んでおる」

「ご寛容頂き、ありがとう存じます」


 深揖の礼にて謝意を伝え、母上の隣へと位置を変えて腰をおろす。



 父上は「さて」と本題に入られた。


「秋の除目にて、左馬頭を賜った」

「おめでとうございます」

「「「おめでとうございます」」」


 母上に続いて、義兄上たちとお祝いの言葉を唱和する。


 秋の除目が行われるのは8月。

 この時代は7月から秋なので、暦の上では正しい。

 だが、前世の感覚も残っているので、暑い最中に〝秋〟と言われても……という思いもある。


 乱直後の除目はあくまで臨時であり、秋の除目は正式な年中行事に組みこまれている。

 約1ヶ月が待てなかったとは、信西殿はよほど早急に足場を固めたかったと見える。


「……加えて、鬼武者が童殿上を許された」

「……まぁ」

「何と」

「それは……」


 なぜか表情を曇らせる父上の御言葉を受けて、母上を始めとする御三方も、渋面を無理やり抑え込んだような顔をなさった。


 童殿上の年齢を鑑みれば、10歳は妥当だと思うが……私自身が何らかの妨げになっているとするならば、由々しき事態だ。



 確かに、学問や芸術面では励んで参ったが、社交性に関しては胸を張れるものではない。


 愛嬌があるとは言い難い私を、家族や家臣たちは分け隔てなく接してくれるが、他人もそうだとは限らない。

 むしろ、負の要因となる可能性のほうが高そうだ。

 さて、どうしたものか……


 思案する私の耳に、「……取り止めることは……」という、母上のお声が入ってきた。

 やはり出仕の真似事など、するべきではないようだ。


 皆の負担にはなりたくない。だが、朝廷からの下命かめいには従うほかない。

 かくなる上は──


「父上」


 私は、意を決して呼びかけた。


「うむ」

「お詫び申し上げたいことがございます」

「唐突にいかがした」


 こちらを向かれた父上は、いささか困惑なさっている。

 私は一度口を引き結び、心を固めて口を開いた。


「……私が稚拙ゆえに、煩わしく思われていたと考えが及ばず、申し訳なく存じます」

「そなた、何を申す」


 父上は面食らっていらっしゃる。


「家族や家臣は理解してくれるゆえ、私はそれに甘んじておりました」

「鬼武者……?」

「何を申しておるのだ」


 母上と義平義兄上は、戸惑っていらっしゃるようだ。


「私の童殿上が、父上方のご出仕の枷となるならば、私は──」

「鬼武者」


 対面に座していらっしゃる朝長義兄上が、私の言を静かに止められた。


「それ以上、口にしてはならないよ」

「ですが──」


 なおも続けようとしたが、義兄上の悲しげな微笑みによって、声に出すことは叶わなかった。






〔註釈〕

源義朝が左馬頭を任官された時期について:資料により異なる表記でしたので、話の都合上、秋の除目の際に──としております。


※註釈は敬称略

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