第六話

 蜘蛛の巣のように張り巡らされた、信西殿の狡猾な罠に嵌まった崇徳方。

名誉挽回の機会戦場ですら、「わずか半日で鎮圧」という形で奪われた。


 11日未明午前0時~3時に始まった合戦は、正午には終結していたのだ。



 生き残った者たちには、さらなる弾圧が待っていた。


 懲罰軽減を宣うため、崇徳上皇陛下がお出ましになられたがすでに遅く、国家反逆の罪により厳しい尋問の上、所領及び平等院が召し上げられた。

 また、預所あずかりどころも朝廷の管理となった。事実上のお取り潰しである。


 主犯格とされた者たちとその一族は死罪。

 およそ350年ぶりの刑執行は、世に衝撃を与えた。


 さらに、崇徳上皇陛下の讃岐への配流が決まった際には、「なんと恐ろしいことか」と、人々を震撼させた。

 400年もの間、上皇という立場の方が流罪に処されることなどありえなかったからだ。



 17歳の重仁親王殿下は、「御父上の罪により」とだけ告げられ、仁和寺にて御出家されることとなった。

 また、貴族の中にも「反逆に加担した者」として、流罪になった方々がいた。


 そこまでする必要があるのかという疑問の声も当然あった。

 だが、信西殿は法律書を著すほどの知識を持っており、過去の事例を引き合いに出して執行理由を語られては、反論できる者は誰もいなかった。



 この乱は、「新政権の円滑な運営のため」を名目とした、反対勢力の焙り出しと一掃が目的だったようだ。

 戦後処理においても強引な手を重ね、2ヶ月足らずで収束した。


 双方合わせて数百名が刃に倒れ、あるいは処刑されたが、政権の場さえ残れば、民の命はどうなろうとも構わぬらしい。



 武力は抑圧のためにあってはならない。

 どれほど策を弄しようとも、人々の意を得られなければ、必ずどこかに歪みが生まれる。


 信西殿の取った手段にはまったく共感できないが、その権謀術策には恐れ入る。

 相当な切れ者であろうに、なぜその頭脳を善政のために用いようとしなかったのか。


 後白河天皇陛下を傀儡に、自らのはかりごとが成功し、勝利に酔いしれる信西殿は気づかなかったのだろうか。

〝権力を笠に着て随分なことをしていた〟頼長殿と、同じ穴のむじなであることに。



 ひたひたと、後ろから徐々に迫り来る破滅の足音に気づくのは、いつだろうか。






〔註釈〕

預所:領主の代わりに下級役人を指揮して、荘園を管理する役人。後に、幕府の直轄地も指すようになりました。



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