第五話

 学問部屋にて、玄斎師に午後の予定を伝えた。


「ならば、巳一つ午前10時~10時半までは『西宮記さいぐうき』にて、朝廷儀式などのしきたりを、午一つ午前11時~11時半までは『和漢朗詠集わかんろうえいしゅう』にて、詩歌を学ぶことと致しましょう」

「はい」


 穏やかな気質の師と向かい合い、「よろしくお願い致します」と挨拶をする。


「では、早速。安座あんざの型から、おさらいして参りましょう」

「はい」


 今回は、右側に貴人きじんがいらっしゃると仮定して、御簾をくぐって入室するところからの所作を確認していく。



 近江さんが、部屋の中から御簾を上げてくれた。

 私は軽く頭をさげ、自分が下座に位置するよう左端からくぐる。


(……右、右……となると、前に出るのは右脚で、爪先は……)


 師から少し離れた斜め向かいまで進み、なめらかな動作になるよう心掛けて腰をおろす。

 足を組んだ際に見える右足の爪先は、貴人と反対側を向くように。

 両手を腿にあてて、深揖の礼45度の礼──


「はい、結構です」


 師の掛け声で、すっと頭を上げる。


「──二の白7点ですな」


 師は、子どもの私にわかりやすくと、小弓の的の点数で評価をくださる。

 10点満点のうちの7点なので、良いほうではあるが……


「……未熟者ゆえ、お教え頂きたく存じます。私に足りない3点は、どのようなことでしょうか」

「若様の素直なところは好ましいですな。しかし、世は広く、様々な気質の者がおります。素直も過ぎれば、足元を掬われましょうぞ」


 師は、遠回しに「自分で考えてみましょう」と仰られた。

 ──確かに。〝学問〟なのだから、初めから答えを求めるようではだめなのだと己を律する。


 私は断りを入れ、一連の流れをを振り返ってみた。


(……7点……所作はまあまあということか。多少ぎこちない動きだったからな。なめらかな動作になるよう、気を──)


 私ははっとした。『所作には〝心〟が伴う』という教えを思い出したからだ。

 ……なるほど。私は気の遣い所を間違えたらしい。


 考えるためにさげていた視線を上げ、師と顔を見合わせる。


「お答えを、お伺い致しましょうか」

「はい。私に足りなかったのは、相手を敬う心にございました」

「ふむ」

「所作を間違えないこと、見苦しく見えないことに気を取られ、それが〝何のため〟であるかに心を配ることを忘れておりました」


 腰からまっすぐ上体を倒すように頭をさげ、師の当否判定を待つ。


「よろしいでしょう。正鵠満点を差し上げます」

「ありがとう存じます」


 ほっとして、頬が緩む。

 ふ……と息の漏れる音がして、顔を上げると、師が心温まる笑みをたたえていらした。


「いや、失礼。あまりに嬉しそうなお顔をなさるので、ついつられてしまいました」


 師は、私のわずかな表情の変化を読み取ってくださる。

 そのことに感謝しつつ、互いに目元を緩ませる。



 和やかな空気に包まれ、そのまま『西宮記』の講義へと進んでいった。






〔註釈〕

西宮記:源高明たかあきらが著した有職故実・儀式書。全18巻。

源高明:平安時代前期~中期の公卿。醍醐天皇の第10皇子。7歳で臣籍降下をし、源姓となりました。

有職故実:古来の先例に基づいた、法令・官職・装束・行事・習慣などのこと。また、これらを研究すること。

和漢朗詠集:藤原公任が著した歌唱集。全上下巻。和歌216首、漢詩・漢文588句が収められています。

藤原公任:平安時代中期の公卿・歌人。醍醐天皇の孫・厳子女王の子。和歌、漢詩、管弦に優れた才能がありました。

安座:あぐら。

貴人:身分の高い人。

正鵠:点数に当てはめるならば『10点』が正表記ですが、話の流れで『満点』としております。


※註釈は敬称略

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