第五話
学問部屋にて、玄斎師に午後の予定を伝えた。
「ならば、
「はい」
穏やかな気質の師と向かい合い、「よろしくお願い致します」と挨拶をする。
「では、早速。
「はい」
今回は、右側に
近江さんが、部屋の中から御簾を上げてくれた。
私は軽く頭をさげ、自分が下座に位置するよう左端からくぐる。
(……右、右……となると、前に出るのは右脚で、爪先は……)
師から少し離れた斜め向かいまで進み、なめらかな動作になるよう心掛けて腰をおろす。
足を組んだ際に見える右足の爪先は、貴人と反対側を向くように。
両手を腿にあてて、
「はい、結構です」
師の掛け声で、すっと頭を上げる。
「──
師は、子どもの私にわかりやすくと、小弓の的の点数で評価をくださる。
10点満点のうちの7点なので、良いほうではあるが……
「……未熟者ゆえ、お教え頂きたく存じます。私に足りない3点は、どのようなことでしょうか」
「若様の素直なところは好ましいですな。しかし、世は広く、様々な気質の者がおります。素直も過ぎれば、足元を掬われましょうぞ」
師は、遠回しに「自分で考えてみましょう」と仰られた。
──確かに。〝学問〟なのだから、初めから答えを求めるようではだめなのだと己を律する。
私は断りを入れ、一連の流れをを振り返ってみた。
(……7点……所作はまあまあということか。多少ぎこちない動きだったからな。なめらかな動作になるよう、気を──)
私ははっとした。『所作には〝心〟が伴う』という教えを思い出したからだ。
……なるほど。私は気の遣い所を間違えたらしい。
考えるためにさげていた視線を上げ、師と顔を見合わせる。
「お答えを、お伺い致しましょうか」
「はい。私に足りなかったのは、相手を敬う心にございました」
「ふむ」
「所作を間違えないこと、見苦しく見えないことに気を取られ、それが〝何のため〟であるかに心を配ることを忘れておりました」
腰からまっすぐ上体を倒すように頭をさげ、師の当否判定を待つ。
「よろしいでしょう。
「ありがとう存じます」
ほっとして、頬が緩む。
ふ……と息の漏れる音がして、顔を上げると、師が心温まる笑みをたたえていらした。
「いや、失礼。あまりに嬉しそうなお顔をなさるので、ついつられてしまいました」
師は、私のわずかな表情の変化を読み取ってくださる。
そのことに感謝しつつ、互いに目元を緩ませる。
和やかな空気に包まれ、そのまま『西宮記』の講義へと進んでいった。
〔註釈〕
西宮記:源
源高明:平安時代前期~中期の公卿。醍醐天皇の第10皇子。7歳で臣籍降下をし、源姓となりました。
有職故実:古来の先例に基づいた、法令・官職・装束・行事・習慣などのこと。また、これらを研究すること。
和漢朗詠集:藤原公任が著した歌唱集。全上下巻。和歌216首、漢詩・漢文588句が収められています。
藤原公任:平安時代中期の公卿・歌人。醍醐天皇の孫・厳子女王の子。和歌、漢詩、管弦に優れた才能がありました。
安座:あぐら。
貴人:身分の高い人。
正鵠:点数に当てはめるならば『10点』が正表記ですが、話の流れで『満点』としております。
※註釈は敬称略
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