第六話

 予定通りに学問を終え、師をお送りするため牛車に乗る。嫡男ゆえか、元服前だが私専用のを一つ頂いている。

 まだ官位がないので、一般的な八葉の車八葉紋の牛車だ。



 柔らかく暖かな陽射しに包まれつつ、のんびり進む牛車に揺られて、師のお住まいまで和やかに会話をする。


 話がちょうどひと区切りしたところで到着し、挨拶をして師が降車なさった後、車副くるまぞいの者の計らいで、通りに沿って少しだけ景色を見物をした。



 屋敷に戻ると、止まった牛車のくびきから牛が外される音と、わずかな振動が伝わってきた。

 普段、軛を置く為に使うしじが前板の下あたりにことんと置かれる。

 降りる準備の合図だ。前簾の傍まで移動する。


 前簾が上がった。車副の者にお礼を言おうと顔を上げると、大きく綺麗な手が目の前に差し出された。


「お手をどうぞ」

「義兄上」


 表が薄色淡い紫・裏が萌黄の『藤重』の狩衣をお召しになっている朝長義兄上がいらした。

 高貴な笑みで手を差し出す姿は、お手本のような〝貴公子〟だ。


「義兄上の手は、大切な方のためにお在りでしょう」


 姫ではないゆえ、ひとりで降りられますよと言外に匂わせ、やんわりとお断り申し上げる。

 榻に足をおろすため袖格子に指を添えたが、義兄上のほうが一枚上手だった。


「鬼武者は、私の『大切な方』だよ」

「……義弟おとうとを口説いて、いかがなさいます」

「さあ。いかが致そうか」

「お戯れはご勘弁ください」

「ふふ。困り顔も大層愛らしいが、今日はこのくらいにしておこう」


 実は、昼餉の時刻だからと迎えに来てくださったらしい。そこで遊び心を出さないで頂きたい。


 私はわらわではな──誰だ、今「紫の上……」と呟いたのは。それは妹の愛称であろうが。


 「絵巻が目の前に……」と感涙しているそこの者。義兄上も私も、男の装束だろう。そなたの眼には、都合のよい変換器でもついているのか。


 心の中で従者たちに突っ込みを入れていると、すぐ傍でこうの香りがした。かと思うと。


「──っ」

「ふふ。猫の子のようだ」


 義兄上に抱きかかえられていた。


「……かように小さくありませぬ」

「そういう意味で言ったのではないのだよ。ふふ、拗ねる顔もまた愛らしいね。……おや。膨らんだ頬が、つきたての餅のようだ」


 義兄上の御言葉に、ますますむくれる私。義兄上は笑みを浮かべられると、従者たちのほうに顔を向けられ、指示を出された。


「鬼武者は、このまま私が連れて参る。沓持くつもちは後ほど鬼武者の沓を持って参れ。その他の者は、東の車宿くるまやどりにて各自の報告が済み次第、昼にして良し」

「「「はっ」」」

「では、解散」


 そのまま東中門に向かって歩き出される義兄上。


 私は我に返り、慌てて「ご苦労であった」と彼らに労いの言葉をかけた。義兄上の腕の中からというのが、格好つかなかったが。



 ✽✽✽



 私たちが去った後。


「朝長様、お帰りになって間もなく、こちらに参られたのじゃな」

「急いで着替えられたとは思えぬ身だしなみよの」

「『何はさておき若様』ゆえなぁ」

「あの涼しげな目元が、若様に向けられる時はゆるゆるじゃの」

「ああ、ゆるゆるじゃ」

「若様も、朝長様のお相手をなさる時は、年相応に見えるのぅ」

「良いことじゃ。若様にも息抜きが必要じゃて」

「それにしても、眼福じゃな」

「御二方とも、美しゅうあられるよって」

「絵巻が動いとるようじゃ」

「おぬし、うまいこと言いよるの」


 彼らがこのように、ほのぼのと会話をしていたことを知らずにいた。






〔註釈〕

車副:牛車につく従者。

軛:牛や馬の首にあてる横木。ながえの先端に、首の形に添って作られた軛を渡しました。

轅:牛車の車輪の内側から、前に向かって長く平行に突き出た2本の棒。

車宿:牛を外した牛車を入れる建物。中門の外、東西にひとつずつ設けられていました。


生活サイクルについて:ここでは、起床、食事などを、現代寄りに設定しております。

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