初春に祈りを捧げる ──保元二年(1157)睦月

第一話

 祖父上おじいさまがお見えにならない、初めての新年を迎えた。


 家族の言祝ことほぎも、どことなく覇気がないように思う。

 服喪の期間は過ぎたと言いながら、その心はまだ喪に服しているゆえ、無理もないことではあるが。


 宗寿丸たちは、小さな声で「……おじいさま……」と口にして、しんみりしている。

 あの豪快な、魔や邪を祓ってくださるような笑い声を、もう聞くことができないのだと、皆も実感してしまったようだ。



『そなたは賢い子だ。皆を守れるよう、精進致せよ』



 去年のお正月には、優しく頭を撫でてくださったというのに……



 ──武士の世でなければ。

 乱など起きなければ。

 還暦と言わず、古希70歳も、傘寿80歳も、……もしかしたら、白寿99歳もお祝いできたかもしれない──


(……これは、いけない)


 この雰囲気にあてられてしまったか。

 祖父上がいらしたら、「新年早々、縁起の悪い顔をするでない!」と一喝されそうだ。



 私はひとつ息を吐くと、近江さんにお願いして、舞扇〝あかとき〟を持ってきてもらうことにした。


 〝暁〟は、黒塗りの、扇面は白地の中ほどからに向かって薄紅のぼかしが入り、金銀の箔を細い流線形に散らしてある。

 京にお住まいの〝腕利きの職人〟の、一番弟子の方が作られたそうだ。

 舞の師がくださった格調高い一本で、愛用している扇のひとつである。


 

 いくらかの間を置いて渡してくれた近江さんにお礼を言う。体の陰で扇の開き具合を静かに確かめてから、父上のほうを向いた。


「父上」

「……いかがした」

「もしよろしければ、ひとさし舞わせて頂きたく存じますが、いかがにございましょうか」


 生前、祖父上も褒めてくださった舞を。

 言外に含めた思いを、父上はおわかりくださったらしい。


「……よかろう」


 威厳のある頷きの目の奥に、場の空気を変える役目をさせてしまったという謝意が表れていた。


「ありがとう存じます」


 父上が思い悩まれる必要はない。


 

 源氏の長、一家の主として立たれていても、 父上はまだ35歳でいらっしゃる。


 12歳で元服を迎え、守らねばならぬ者が早くできようとも。

 肉親が亡くなれば、しかも関係が良好だったのなら、悲しみが一層深くなるのは、いつの世も同じだ。


「ならば、俺は鼓を打とう」

「私は笛を吹きましょう」


 義兄上たちも私の意を汲んで、囃子方はやしかたをお申し出くださり、お付きの者に用意をさせていらっしゃる。


「して、何を舞う」

「『春風』を」

「……白楽天か」


 父上が意外そうな顔をなさった。

 お正月といえば『青海波』や『富士山』、『宝船』が主流ゆえ、父上の反応は当然だろう。



 例年通りならば、これらの中から選んだが、この空気に〝あからさまにめでたい曲〟は似つかわしくない。


 これから舞う『春風』の句のごとく、少しずつ、ゆっくりと、沈んだ心を解いていって頂きたい。

 ……2年前、母上がそうだったように。



 義兄上たちの準備が整ったところで、舞扇を閉じたまま小狩衣の懐に入れ、下座に移動して腰をおろす。

 舞の前段階なので、普段の安座でなく、膝を肩幅ほどに広げた正座をし、人差し指から小指の先を揃えて腿の上に置く。


 我が家の5歳以下の幼少組は、そわそわし始めた。楽しみが半分、はしゃいではいけないという自制心が半分、といったところか。大人の様子をきちんと見ているところは、後で大いに褒めよう。


「始めに、祝詞を行います」


 私は宣言し、上座に向かって拝礼をする。

 父上たち、家臣たちが一同に応える。幼少組も、大人の真似をして可愛らしく頭をさげた。


 皆の姿勢が改まったところで、私は柏手を打ち、目を閉じた。

 祓串はらえぐしのない分の穢れは、私が引き受ける所存と心で念じ、ことばを発するために口をゆっくりと開く。


「──『高天原に神留ります 神魯岐かむろぎ 神魯美かむろみみことちて』──』


 この祝詞は、熱田の祖父上母上の実父、藤原季範すえのり殿から教わったものだ。

 母上が熱田の別邸にて里帰り出産をなさった際、私が生まれたことを大いに喜んでくださり、3歳を過ぎたあたりから祝詞を教えてくださるようになった。


 25歳から23年間、熱田神宮大宮司の職を務めていらした熱田の祖父上は、私に祝詞を教えてくださった頃には還暦を越えていらした。

 だが、体は細くおなりでも、目は学者のように深い知性を湛えていらした。


 大宮司の座を譲られる際には、多くの方から考え直すよう言われたそうだが、「夢にて御告げがあったゆえ」と、速やかに後継に託されたとのこと。



 祝詞を教えてくださる際には、このように仰っていた。



『詞ひとつひとつの音に、神聖なたまが込められておる。その魂ひとつひとつが連なり、言霊という形をもって、私たちに、祈るためのひとつの方法を授けてくださった。祈りを捧げ、きよめを願い奉るには、不浄はまかりならん。身を浄め、魂を浄めよ。さすれば、祝詞いのりは高天原まで届くであろうぞ──』



 そのお言葉を胸に、広間の隅々まで届くよう、謡い上げるように朗々と声を響かせる。


「──『皇御祖神すめみおやかむ伊邪那岐命いざなぎのみこと 筑紫の日向ひむかの橘の小門おどの阿波岐原に 禊祓い給う時にれませる祓戸の大神達』──」


 熱田の祖父上ほどの霊力はないので、詞のみで場を祓うことはできぬが、少しでも、この空気を払拭できたなら。


「──『諸々の禍事まがこと・罪・穢れを祓い給ひ清め給えとまおす事の由を 天津神あまつかみ国津神くにつかみ八百万やおよろずの神たち共に聞しめせと』──」


 その御力をお貸し頂くことを、この言霊をもって、


「──『かしこみ恐みを白す』──」


 伏して願い奉る──






〔註釈〕

鬼武者の弟について:幼名の資料が見つからず、創作しております。


※註釈は敬称略

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る