第九話

 ふと、いつもはこの辺りで〝ぱたぱた〟している義弟おとうとの姿がないことに気づいた。


「今若丸は、お昼寝の最中でしょうか」

「……はい、──」

「それがですね」


 何やら興奮さめやらぬ様子の年若の女房さんが、義母上の返事に被せてきた。

 古参の女房さんに「はしたない」と叱られ、本人もしまったという顔をしている。


「構わぬ。続きを申せ」

「は、はい」


 年若の女房さんは居ずまいを正し、一呼吸おいてから話を続けた。



「今朝方、常盤の方様が臥せっておられましたところに、今若丸様がお出でになりまして──」


 可愛らしい声で「はーぅえー」と来たが、義母上のご様子に眉を下げた。かと思うと、女房さんたちが止める間もなく、とことこと御帳みちょうの中に入ってしまった。


 慌てる女房さんたち。古参の女房さんは動じることなく、今若丸に声をかけようとすると。


「いたーの、とんでぇー」


 衾に小さな手を当てたかと思うと、放り投げるように手を振り上げ、「痛いの痛いの飛んで行け」と唱えたそうだ。


「いたーの、とんでぇー」


 3歳の子が母のために懸命になる姿に、皆そろって感動したとのこと。

 これは、話したくなる女房さんの気持ちもわかる。


 私も聞いているだけで胸をうたれたのだから、その場にいたら、あまりの健気さに泣いてしまったかもしれない。



「今若丸は優しい子だな」

「左様にございます」


 さらに驚いたことには、唱えていた声が、誦経する僧侶のように、よく通る良い声だったそうだ。


 義母上が「……少し、楽になったような……」と呟かれたので、これはと思い、占者に見てもらったところ、今若丸には僧侶の相が出ているとのこと。

 まさに御仏のお導きに違いないと、北対で話していたそうだ。


(……今若丸が、僧侶に……)


 そこではたと気づく。話の流れで聞いてしまったが、将来の話を私が耳にして良かったのか?

 古参の女房さんに目を遣る。


こちら北対の者が、大殿様方にご報告申し上げておりますゆえ」


 心配はいらないようだと、胸を撫でおろした。



 ✽✽✽



 母上の体調を見ながら、気晴らしになればと、先ほど見てきた景色の話などをしていたところ。


「……あーぅえー……」


 後ろから、幼い声がした。

 振り返ると、まだ目の覚めきらない今若丸が、こちらに手を伸ばしながら、とてとてと歩いてくるところだった。


 安座の膝を浮かせて体を回転させ、腕を伸ばして今若丸を受けとめる。そのまま、膝の上に乗せた。


「起きたのだな」

「ん」


 こくりと頷く今若丸。


「今朝は大活躍だったそうだな」

「かつ……?」


 難しい言葉ゆえに、首を傾げる。だが、「繰り返し聞けばそのうち覚える」という我が家の方針で、説明はするが、あえて幼児語を使わない。


「『大活躍』だ。義母上をお助けしたのだろう」


 思いあたる節があったようで、あ、という顔をした後「とんでぇー、した」と答えた。


「うむ。義母上はお体が楽になられたそうだ」

「なった?」


 私のげんを受け、義母上のほうを向いて小首を傾げる。

 愛らしさに、隅のほうで身悶えている女房さんたち。「お可愛らしい……!」と小声で叫んでいる。


「……えぇ。なりましたよ。……ありがとう」

「良かったな、今若丸」

「よかったー」


 むふん、と得意気な姿に、再び小声の歓声が上がった。


 自分にできることがあり、それを褒められると嬉しいことに年齢は関係ない。

 私が義弟たちにしてあげられることは多くないが、こうした情操教育の一端でも担えれば幸いだ。






〔註釈〕

御帳:天井・とばりつきの畳寝具。高さ約2.2メートル。魔除けとして、枕を置く南側の柱には犀の角を、入り口となる北側の柱には鏡を掛けていました。

帳:薄絹うすぎぬでできた垂れ布。室内を区切り、隔てるために、柱に取りつけて使います。5枚重ね、4枚重ねがあり、用途によって使い分けます。

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