ありあけの月 小話集

香居

若子の姿にて目覚める ──久寿二年(1155)卯月

 久安三年11474月8日。

 私は、源義朝の三男として生をけた。




「……ふ……」


 大和撫子を具現化したような楚々とした女性、私の母上である由良御前は正室として、めでたくも無事に稚児ややこをお産みになり、安堵の息をつかれた。


「大儀であった、由良」

「殿……」


 年若い美男美女が手を取り合い、互いを慈しむように寄り添う姿は、絵巻物の一場面のようだ。


「うえっほんっ」


 当家ではお馴染みの取り上げ婆、たつさんが「またか……」という顔で、わざとらしく咳払いをした。


「おお、すまぬな。そなたも大儀であった」

「大殿様、爽やかなお顔をなさったら許されるとお思いですかね。わしは大殿様の蒙古斑まで覚えておりますでな」


 口もとの皺を深めて、にやりと笑うたつさん。


「それは言うでない」


 幼少の頃を知られているというのは気恥ずかしく思われるらしく、父上は頬をうっすら染められた。


 少年時代に戻ったような父上の姿に、古稀70歳にほど近いたつさんは闊達に笑う。



 ひとしきり笑って気がすんだようで、居ずまいを正すと儀礼的に三つ指をついた。


「大殿様、御方様、おめでとうございます。玉のようなの子にございます」

「誉めてつかわす」

「そなたのおかげで、お役目を務められました。礼を申します」

「もったいない御言葉にございます」


 平伏したたつさんは父上から「面を上げよ」と言われると、先ほどまでのキリリとした雰囲気を崩した。


「ちと早くないか」


 苦笑される父上。


「御方様は初産ゆえ、早うお休みになられたほうがよろしいという、わしの気遣いですがね」


 何か問題でも、と言いたげな様子に「無礼者!」と怒鳴る者はここにはいない。


 父上はむしろはっとなさって、慌てて母上のふすまをそっと直された。


「そうであったな。大変な思いをしたのだ。ゆっくり休むがよい」


 まだ汗の残る母上の髪を優しく撫でられる。


「お心遣い、ありがとう存じます」


 父上に微笑まれる様相は、妻であり、またひとりの母親でもあった。



 その後、時間を見計らって割って入ったたつさんに「さあさあ」と追い立てられ、父上は慌ただしく部屋をお出になられた。




 ──これが、生まれたばかりの記憶。






〔註釈〕

稚児:赤ちゃん。

取り上げ婆:お産婆さん。

衾:掛け布団。

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