穏やかな光満つ ──久寿二年(1155)卯月

第一話

 いつの間にか、まどろんでいたらしく、近江おうみさんの呼びかけで覚醒した。

 手水ちょうずを済ませ、支度する。


「こちらをお召しになってくださいませ」


 近江さんが用意してくれた本日のがりぎぬは、表が菜種・裏が萌黄の『菖蒲重しょうぶのかさね』だった。

 たんぽぽの色を濃くしたような菜種色の着物の袖口から、裏地の萌黄色がちらりと見える。


 色あわせなどすべて近江さんに任せているが、その美的感覚にはいつも感服する。私にわかるのは明るい色合いということだけなのが、少しせつない。


 朱のひとえを着て紫の指貫さしぬきを履き、黄柳の小狩衣を纏って──


 近江さんの輝く瞳を見ていると、着せ替え人形のような気持ちになる時がある。……この顔ならば、いろいろと着せてみたくなるのも理解はできるが。



 支度が済むと、与えられている私室から御簾をくぐり、皆であさを頂く広間へと向かう。


 ひさしの間を通れば、朝日に映える庭が目に入る。

 庭師さんが精魂込めて手入れをしてくれるので、塵ひとつ落ちていない光景が清々しい。

 後でお礼に参ろう。

 

 庭師さんには「やめてくだされ」などと言われそうだが、これが私なので──ん?


(……そうか……)


 私は前世を思い出しても〝私〟だったか。

 なんとなくもやもやしていたのがすっきりしたので、やはり後でお礼に参ろう。



 ✽✽✽



 この世界は、歴史上の平安時代とは少し異なるようだ。


 家の構造は、寝殿造に基づく書院造との融合住宅といえるだろうか。従来の寝殿造より、個人空間を意識した造りとなっている。


 隣部屋との空間を仕切るのは、几帳ではなく塗り壁。しかも、防火壁らしい。

 建坪だけでも相当なので、火事に備えて少しでも燃焼を防ぐためだろう。

 几帳は室内装飾として使われるのがほとんどである。



 住まいは、父上と正室母上正室の子私たちが住む寝殿を主体とし、東西北に向かって伸びる渡殿わたどのの先に対屋たいのやがある。

 対屋には、側室の御三方がそれぞれの子──つまり、私の異母兄弟と暮らしていらっしゃる。

 また、それぞれの対屋で仕えてくれる女房さんたちにも、ひとり一部屋づつある。



 我が家は特殊で、就寝以外は寝殿の広間に集う。

 学問は別室で行うが、武芸は庭で行うことが多いので、おはようからおやすみまで、ほぼ一緒にいるのだ。


 家族仲が良いゆえにできることだろう。ただし、乳飲み子のうちは、それぞれの対屋で過ごす。


 元服なさっている義兄上たちは、きちんと出仕お勤めをなさっている。自宅警備員ではないので、安心して頂きたい……と、どなたに申し上げているのだろうか、私は。






〔註釈〕

手水:手や顔などを水で清めること。

小狩衣:子ども用の狩衣。裾の後ろが前よりも短く、半尻はんじりとも呼ばれました。

単:裏地をつけない着物。1180年頃に肌小袖が発明されるまでは、単が肌着でした。

指貫:裾をくくることができるように紐を通した袴。

庇の間:廊下。

渡殿:渡り廊下。

対屋:別棟。



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