第六話
つまらぬ風潮に憤るあまり、話が逸れてしまった。
伊行様といえば、
玄斎師は伊行様の手筆をよくご存じのようで、
『彼の方の筆法は、見事ですぞ。願文などを形として成すに、ふさわしい手をお持ちの方です』
と、絶賛していらした。
師のお言葉を借りるならば、「清澄かつ整然とした字には、良い気が宿りやすい」らしい。
また、伊行様の偉業として、源氏物語の注釈書を初めてお書きになった方、ということも挙げておかねばなるまい。
もともと、本文から和歌や漢詩・しきたりなどを抜粋し、その出典や由緒を付箋などで書き留めていらしたそうだ。
それらをまとめられた本は、〝源氏釈〟という名で世に出され、後に資料としても価値の高い一冊となった。
父上のお話では、箏においても秀抜の技量をお持ちとのこと。
一度でも良いので拝聴できれば……と、ほのかな望みを抱いてしまった。
お話の際、父上が「伊行卿」でなく「伊行殿」と呼称なさる理由を伺った。
それは、3代当主・藤原
✽✽✽
正二位・権中納言でいらした伊房卿は、
当時、北宋の北に位置する
事件は間もなく発覚し、共謀した前対馬守・藤原敦輔殿もろとも、降格・停職処分となる。
降格は2年3ヶ月にも渡り、伊房卿はよほど衝撃を受けられたのだろう。元の地位に戻ることを許されて間もなく、病にて身罷られた──
✽✽✽
日宋貿易が主流の時代。
賢臣と称された伊房卿が公私混同してまで、遼と貿易をなさる理由があっただろうか……
(……〝遼〟……?)
地名で引っかかりを感じた。
〝書家〟が興味を持つ何かが、〝遼〟に──
「──あ!」
閃いた瞬間大きな声が出てしまい、慌てて口を閉じる。
私室とは言いながら、嫡男にあるまじき真似をしてしまった。
──伊房卿が心動かされたのは、モンゴル書道ではなかろうか。
前世の記憶では、確か──2013年、ユネスコの無形文化遺産に登録された書だったはず。
行成卿のおかげで他の書にも興味を持ち始めた頃、世界遺産を紹介する番組で偶然見たのを思い出した。
漢字とアラビア文字を融合させたような、サンスクリット語を縦書きしたような、不思議な書体だった。
一筆書きのように筆を滑らせる際の、墨のかすれまでも美しかったのを覚えている。
完成形も芸術的だが、私は舞うような筆の動きを見ていたいと思った。
……もし、私が何らかの権限を行使できる地位にあり、手の届きそうな所に、例えば──あの欲してやまない書があったとしたら──
『人には、分相応というものがあるのです。決して、それを越えてはなりませんぞ』
玄斎師のお言葉を反芻し、わずかに乱れた呼吸を整える。
……甘い誘惑の先にあるのは、どうやら極楽ではないらしい。
いずれにせよ、職権乱用をなさったことが、伊房卿のお立場を悪くしたのは言うまでもない。
さらに子孫にまで影響を及ぼし、次世代より公卿に昇ることを許されず、四位・五位に留まることになろうとは、お考えにならなかっただろう。
現に当代の伊行様は、従五位下・
三位以上の高官は、公卿にのみ与えられた特権なのだ。
ゆえに父上は、「伊行卿」ではなく「伊行殿」と呼称なさるとのことだ。私も気をつけるよう申し付けられた。
よって、私は「伊行様」とお呼びすることにした。
殿上童の身では、宮内省の方にお目にかかる機会はないだろう。
だが、行成卿に繋がる方と同時期に昇殿できると思うだけで、夢のような心地がする。
〔註釈〕
供養願文:造塔堂、造仏、写経などの際、神仏に祈願する文書。
遼:現在の内モンゴル自治区の東南部。
藤原伊行の年齢について:生年未詳とされています。よって、12歳で元服を前提とし、官歴と没年から推測した年齢としております。
※註釈は敬称略
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます