第三話

 朝餉を終え、近江さんから返答を聞くと、午後ならば良いのでは……とのこと。


 では、午前中に学問を──その前に、義兄上たちが出仕なさるので、見送りに参ろう。



 ✽✽✽



 登庁時刻の少し前に、遣水やりみずの傍で義兄上たちを待つ。


 義平義兄上は東対ひがしのたい、朝長義兄上は西対にしのたいと、それぞれの対屋からそのまま牛車にお乗りになれば良いのでは……と思うが、見送りの言葉が欲しいと、わざわざ庭に寄られるのだ。


 それから東西それぞれの中門ちゅうもんまで歩かれ、牛車に……手間ではないのだろうか──


「鬼武者」


 さらさらと流れる水を眺めながら考えていると、義平義兄上から声をかけられた。


「どうした。具合でも悪いのか」


 顔を上げると、左衛門府武官の出で立ちをなさった義平義兄上が間近にお立ちになっていた。

 温かな左手が私の肩を固定されたかと思うと、首筋に右手の甲をそっと当てられる。


 4.3尺約130センチ弱の私は、5.6尺約170センチを越える義平義兄上を、これほど近くで見上げるのは困難だ。

 義兄上も見おろすのは大変だろう。


「熱はないようだが」

「ご心配をおかけして、申し訳ございませぬ。私は壮健ゆえ、ご安心ください」

「ならばよいが」

「義兄上」


 後ろから、朝長義兄上の艶やかな声が聞こえた。


「朝から逢い引きの真似事とは、感心致しませんよ」

「だっ、誰がそのような……!」


 朝長義兄上のからかうような口調に、真っ赤になられる義平義兄上。


 確信犯の朝長義兄上は、中宮職文官の出で立ちに、わずかに開いた扇で口元を隠され、楽しげに「ふふ」と笑っていらっしゃる。



 〝武〟の義平義兄上と、〝文〟の朝長義兄上。女房さんたちの話では、御二方とも人気があるらしい。


 義平義兄上は「兄貴」と呼ばれ、どちらかと言えば男性に慕われているらしいが。

 朝長義兄上は……


「可愛らしいまなこで、そのように見つめられては、私の心はどうにかなってしまいそうだよ、鬼武者」


 ……甘い……

 ……誠に13歳なのだろうか……


 5.3尺約160センチほどの身長と、こういう時に〝夜〟の雰囲気を漂わせるせいか、実は20歳を過ぎているのでは……と思うことも、しばしばある。

 普段は優美な貴公子で、女性関係は清廉潔白らしいが。


 義平義兄上も15歳という年齢からすれば大人びていらっしゃるが、必要とあらば腹芸のできる朝長義兄上に対し、直情型の傾向はある。



 以前、「気を張ることの多い義兄上が、少しでも肩の力が抜けるよう協力してくれ」と、朝長義兄上に頼まれた。

 私は「普段通りに振る舞えばよい」と言われている。


「ふふ」


 半分とはいえ、血のつながった弟に対して向ける視線ではないような……これも、演技の一環だろうか……と思っていると。


「鬼武者に、いやらしい目を向けるな」

「心外ですね。愛でていただけではありませんか」


 義平義兄上の背中に隠され、朝長義兄上は大仰大げさにため息をつかれた。


「……こほん」


 少し離れたところで控えていた近江さんのかすかな咳払いに、3人ではっとする。刻限時間だと教えてくれたようだ。

 御二方は手早く官服を確認された。


「では、行って参る」

「良い子にしておいで」

「はい。ご無事にお務めを果たされますよう、ご祈念申し上げます」


 義平義兄上は表情を引き締められ、朝長義兄上は私の頭を撫でてふわりと微笑まれ、それぞれの中門へと歩いて行かれた。






〔註釈〕

遣水:庭に作られた水の通り道。

中門:中門廊の途中に設けられている門。

中門廊:東西それぞれの対屋から、南に長く伸びる渡り廊下。

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