彼女が拳を握るのは 2

「ねえ、柏木さん」

「何ですか。話がそれだけなら、私……」

 目の前の先輩の蕩けそうな笑顔を直視してしまった優香は、慌てて視線を下に逸らした。

「恭也。ああいや、生徒会長が、この前の全校集会で君達に話したこと、覚えてるかな」

 不意に発されたその問いに、優香は虚を突かれた。突然何を言い出すのだろう。


 ――この手にあるのは、強き力。

 ――この手を振るうは、強き心。


 しかし、優香の頭には、自分でも驚く程鮮明に、その時の言葉が思い起こされた。

 やけに芝居じみていて、でもそれが、何だかあの、きりりとした先輩の顔立ちに妙に似合っていて、印象に残っていたのだ。

 優香がその時思い出したのは、以前金曜ロードショーで見た、『スパイダーマン』だった。


 With great power大きな力に comes greatは大きな responsibility責任が伴う


 そうだ。私には『力』がある。私には、戦う責任があるはずだ。


 表情を更に硬くした優香に、衛は変わらず穏やかな笑みで続けた。

「あれさ、実は、毎年言われてるんだよ。笑っちゃうだろ。漫画の見すぎだろ、とか、俺も最初は思ったけどさ。まあ俺らの存在が、今は漫画みたいなもんだもんな。とにかく、そういう決まりなのかなんなのか分からないけど、生徒会長はみんな、一年の初めにあの話をするんだよ」

「それが、どうかしたんですか?」


「君はその『力』を、振るうべきじゃない」


 ぴしゃりと、言い放たれた。

 優香は、自分の頭に血が昇るのを感じた。


「私の心が弱いって言いたいんですか!」

 私は『力』に溺れたりしない。

 大事な人を守るために、この『力』はあるんだ。


「そうじゃないさ。俺は最初、勘違いをしてたんだ。それは謝るよ。君は自分の『力』に酔ってるだけなんだと思ってた。自分の『力』を振るう場所を、無理矢理探してるだけだと思ったんだ。

 でも、違った。君は間柴さんのこと、守りたいって言ったね。それは、『強い心』だ。君は友達を守るために、自分だけ危険な場所に行こうとしてる。でも、本当は怖いだろ? いくら超能力に目覚めたからって、ついこの間まで小学生だったのに、いきなり知らない中学校に乗り込んで戦おうなんて」

「……そ、そんなこと――」

「今だって、ほら」


 指さされた先の優香の膝は、ぶるぶると震えていた。

 図星だった。

 怖い。

 当たり前だ。

 図書委員で、書道部所属。それだけで、優香のパーソナリティが、決して本来行動的なものではないことを窺い知れる。

 実際彼女は、今までに喧嘩らしい喧嘩など、殆どしたことがないのだ。

 今だって、こんな場所に呼び出されたと思ったら、知らない男の先輩がいて。

 怖いに決まってる。

 だけど。


「だけど、仕方ないじゃないですか! 私には『力』がある! なら! 戦わなくちゃ駄目じゃないですか! 何かしなくちゃ駄目じゃないですか! 私だって、本当は、私だって……」

 言葉が続かなかった。自分が何を言っているのか分からなかったし、何を言えばいいのかわからなかった。

 先輩は、あくまで優しく、語りかける。


「それも、違うよ。君の心はとても強い。だけど、聞いたろ。この手にあるのは、強き力。この手を振るうは、強き心、ってさ。

 だから、逆なんだ、、、 、、、、

 君の『力』は、とても弱い。

 そんな『力』じゃ誰も守れない。それなら、初めからそんな『力』は振るうべきじゃない」


 ごう。


 何か巨大なものが、空を切る音が響いた。

 校舎の壁が大きく震える。

 優香が右手で空を掻いたようなポーズをとっている。

 その右手は、肘から先が消失していた。

 肘の付け根は、ぼんやりと霞みに覆われたかのようで、切断面は見えない。

 衛は、先程いた場所より、一、二メートル程後ろに離れた場所で膝をついている。

 二人の間に土埃が舞っている。

 もし衛が後ろに飛び退いていなければ、彼は見えない何かの手によって、校舎の壁に叩きつけられていたに違いない。


 荒い息を吐く優香は、血走った目で衛を睨みつけていた。

「馬鹿にして……偉そうに……私を、私を……」

 譫言のように、ぼそぼそと何事かを呟いている。


「優香!」

 紫乃が、悲鳴のような声を上げた。

 自分の名を呼ぶ幼馴染を、優香は同じように睨みつける。

「紫乃……! どうしてこんな人達を連れてきたの。あなたのことは、私が守るのに! スパイなんかに、私のことを!」

「違うの、優香、違うんだよぉ」

「違わない!」

 優香の叫びに呼応するように、大気が震える。


「私! あなたを守ろうと思って! なのに! そうやって、私を!」

「優香! 私は!」

「聞きたくない! あなたも私の敵なんだ!」

 優香の周囲を風が渦巻いていった。

 『空』属性の中でもポピュラーな、空力操作能力。

 引きちぎられた草が、巻き上げられた土埃が、空気を濁していく。


「駄目だよ。柏木さん。それは、弱い心だ」

 ゆっくりと起き上がった衛が、ぽつりと呟く。

 そして――


「御子柴!」

「大丈夫、繋がってる!」


 衛の足が、地面を蹴った。


「馬鹿に、するなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 絶叫が、響き渡った。

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