彼と彼女の役割

 衛は、身を屈めて、一直線に距離を詰めた。

 100メートル、13秒フラット。

 優香が叫び声を上げ、いつの間にか元に戻っていた右手を叩きつけるように地面に振り下ろす。


 ど。

 どどどどど。


 その瞬間、地面が人の背丈程も隆起し、衛に襲いかかった。

 左足で踏み切って跳躍。真横に躱す。校舎の壁に着地した。

 反動を利用し、再び跳躍。

 隆起した地面を飛び越す。

 しかし、土煙の先に優香の姿はなかった。


 衛の背後から、白い手が伸びる。

 瞬間移動。

 『空』属性の希少能力をあっさりと行使し、宙空に姿を現した優香は、長い黒髪を振り乱し、真っ直ぐ、衛の首筋を狙った。

 それを見た紫乃が息を飲む。

 昼休みの記憶。

 人身操作。

 一度触りさえすれば、それで勝負は決まる。


 しかし、その魔手は、振り向くと同時に伸ばされた衛の腕に阻まれた。

 直接手に触れないよう、袖口を交差させるようにガードしている。

「……っ!」

 防がれるとは思ってなかったのだろう。優香の目が驚愕に見開かれた。

 衛はそのまま手首を返すと、優香のブレザーの袖を掴んだ。


「この……っ!」

 掴まれた方と反対の腕を振りかぶる。再び、肘から先が消えた。

 空気の捩れる音。

 衛は掴んだブレザーの袖を、捻り、体を屈めた。

 不自然な体勢から力を加えられ、優香の体がバランスを失う。

 力の奔流は、あらぬ方向へ。

 衝撃がフェンスが打つ。


 屈んだ反動を溜め、衛が掴みかかるように拳を開いている。

 それを見た優香の体が、煙となって消えた。

 その体が、数メートル離れた場所に再び現れた時には、衛はもう駆け出していた。


「来るなぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 両手を振り上げる。

 二の腕から先が消える。

 上半身ごと、振り下ろす。

 大気の渦巻く音と共に、巨大な力が降ってきた。

 圧縮された空気の塊が、大地を叩く。


 轟音。


 衛の姿は、着弾点から数歩下がった場所にあった。

 風圧を浴び、顔を腕でかばっているが、ダメージを負った様子はない。

 再び背後から、優香の腕が伸びる。

 前方へ転がるようによける。

 受身を取って振り返った衛が見たものは、宙に浮く右腕だった。

 

 囮。

 身体分離。『肉』属性。

 一瞬の虚を突き、再び、別の方向から左腕が降り下ろされる。

 横に転がって躱す。

 振り向いた先に、今度は全身があった。


 見下ろす優香と、見上げる衛。

 一瞬の交錯。

 衛の顔は、土煙に紛れよく見えない。

 対する優香の顔には、はっきりと恐怖が刻まれていた。


 沸き上がる感情を振り切るように、震脚。

 膝から下が消える。

 雑草を巻き上げ、土砂の波が衛を襲う。


 衛の体が、再び地を蹴った。


 ◇


 二人を中心に吹き荒れる暴風を、紫乃は愕然と見つめていた。


(すごい……)

 攻めているのは、終始、優香だ。

 しかし、当たらない。

 四方八方から襲い来る千変万化の猛攻を、衛は全て紙一重で防ぎ、躱していた。

 その表情は、普段の部活で見せてくれるおどけたキャラクターとも、今日何度か見せてくれた優し気な顔とも違っていて、紫乃はますます戸惑った。


「奥月先輩、何であんなこと出来るんですか?」

 自分を庇ってその背中に隠してくれている藍に、思わずそう問いかけてしまう。

 藍は目を見開き、二人の戦いを見守っている。

「まあ、普段のあいつからは想像できないかもしれないけどね。ケンカ、けっこう強いのよ」

「いや、でも、何であんなに、ひょいひょい避けて……」

「んー。これは紫乃ちゃんには縁のない話だから、聞いたら直ぐに忘れてね」

 藍は視線を前に向けたまま、そう前置いた。


「能力者の戦闘っていうのはね、この二十六年の間に、殆ど研究し尽くされちゃってるの。ここ数年は、もう新種の能力も発見されてない。私達の妄想の限界、ってことなのかもしれないけど、マニュアルが確立されちゃってるのよ。どれだけ多彩な攻撃でも、能力だけに頼ったものなら、一つ一つにはきちんと対処する方法がある。奥月は、それをこなしてるだけなの」

 地面に手をつけば、下から攻撃が来る。

 腕を宙にかざしたなら、上から。

 姿が消えたら、後ろから。

 慣れた者なら、予備動作だけで十分予測は出来るのだ。


「でも、優香は多重能力者です。何をしてくるかなんて、予測のしようが――」

「その答えも、もう分かってるわ」

「え!?」

 その時、紫乃はようやく気づいた。

 さっき、藍は、『繋がってる』と言った。

 藍は思考伝達能力者だ。

 繋がっている。

 誰にだ?

 藍は先程から、片時も二人から目を離していない。


 まるでそうすることが、自分の仕事であるかのように。



「優香ちゃんの能力はね――」





「万象同化。それが、『ヴィルヘルム・テル』の能力だ」



 三年生の教室が並ぶ廊下の、階段口。

 柱に背を預け、瞼を完全に閉じたかずいが、呟くように言った。


「万象、同化? 私、聞いたことないかも」

 同じように柱に背を預けたしずりが、不思議そうに言う。

 しずりの目線は、廊下の最奥、書道部が活動しているはずの空き教室に向けられていた。


「俺も本で読んだだけだ。確か、四年くらい前に福井県の中学生が発現させている。希少価値で言うなら、多分ウチの学校で一番だろうな」

「多重能力とは、違うんだよね?」

「違うことは違うが、ほとんど同じようなもんだな。実際、前にこの能力が発見された時も、多重能力と勘違いされて話題になったらしい。とは言え、原理は一つだ。あらゆる物体に、自分の存在を同化させ、操ることができる。水でも、土でも、金属でも。彼女の体の一部が時々消えるのはそのためだ。空気に全身を同化すれば瞬間移動もできるし、人の体に同化すれば、その支配権を掌握出来る」


 まるで見てきたように、優香の能力を解説するかずい。

 いや、彼は実際、見ているのだ。

 彼の閉じられた瞼の裏には、今も鮮明に特別教室棟裏の様子が映し出されている。


 御子柴藍の能力――『シェイク・ファー・ハンズ』。

 人の精神に作用する『霊』属性の能力の中でも、極めて高い汎用性を持つこの能力は、単に思考の交換をするだけではなく、藍が見たもの、聞いたもの、触れたものなど、ありとあらゆる感覚作用を、そのまま任意の相手に送信できる。

「戦闘に使うなら、弱点は二つ。一度に複数の対象には同化できない。そして効果範囲は、そこまで広くない」

 これは、藍を介して既に衛に伝えてある。衛が優香の攻撃を尽く見切っているのはこのためだ。


「でも、それって何の『属性』になるの?」

 しずりが不思議そうな声で問うた。

「自分の体を弄ってるってことは、『肉』? でもそれだと、同化は出来ても干渉は出来ないよね?」

 かずいの眼は、閉じられたまま。


「ああ、だから希少なんだよ。万象同化能力は、『星』属性だ」

「ああ、成程」

 それを聞いたしずりの目が、眼鏡の奥で細められた。

日野君と同じだね、、、、、、、、


 その時、しずりの視線の先、空き教室の扉が開けられ、中から一人の女生徒が現れた。

 手には携帯を握り、何事かを囁いている。

 しずりの顔に緊張が走った。

「動いたよ」


 かずいの目が開かれる。

 その瞳に、虚ろな闇を覗かせて。


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