人混みの中の孤独

 柏木優香は、渇望していた。


 時は少し遡り、先週の日曜日。

 彼女は地元の商店街からの家路を、とぼとぼと歩いていた。

 彼女の表情は暗い。しかしそれは決して、黄昏空に忍び寄る夕闇のせいではなかった。


 友達が、出来ない。

 もう入学してから一ヶ月近く経つというのに、優香は、未だクラスに馴染めずにいるのだ。無視されているとか、嫌がらせをされるとか、そんなことはないけど、それもこのままでは時間の問題じゃないかと、不安になってくる。

 携帯の新しい登録件数は、三件。

 それにしたって、入学初日、たまたま出席番号が近かっただけの人とお義理で交換しただけだ。メールも電話もしたことはなかった。


 このままではまずい。

 とは言え、優香は積極的に自分から声をかけられるタイプの人間じゃない。普通、そういう人達は、お互い同じ臭いを感じ取り、収斂するように一つのグループにまとまっていく。しかし運の悪いことに、優香のクラスでは、そういう人達は全員同小で、入学初日には既にグループが確立されてしまっていたのだ。


 優香の同小の子は、はっきり言って自分とは人種が違う。同じ人類なのかと疑いたくなるコミュニケーション能力で、彼女は早々に別の小学校の人とも仲良くなり、すっかりクラスの中心人物だった。

 思い切って、前々から興味のあった書道部に入部してみるものの、同じクラスの子はいない。一応仲良くなった人はいるけど、休み時間にわざわざ会いに行くほどじゃない。

 友達ができない。


 何故だろう。自分が無愛想なのがいけないのか。

 せめて何か能力にでも目覚めれば、話題の中にも入っていけるのだけど(いける、はずだ。多分、きっと)。

 そう、優香にはまだ、能力も発現していないのだ。

 早い人は入学初日に発現させていた。小学生の頃から、ずっと楽しみにしていたのだ。なのに、入学して二週間が過ぎた今、未だにその兆候はない。


 何故だろう。中学生なら、みんな貰えるものじゃないのか。

 私に友達ができないことと関係しているんだろうか。

 友達ができない奴は、中学生失格ということなのか。

 思考は負のスパイラルを辿り、優香の顔はますます暗くなっていった。

 その時だった。


「優香」


 声をかけられた。

 顔を上げると、そこには見飽きるほどに見慣れた顔があった。

「……紫乃」

 幼馴染の同級生だった。手には携帯電話が握られており、顔の横に持ってきている。どうやら誰かと通話中のようだ。

 一言二言喋り、携帯を閉じる。


「久しぶり」

 溢れるような笑みを浮かべてきた。

「うん」

 自然、優香の頬も緩む。

 紫乃とは、小学生時代ずっと同じクラスだった。どこかぼんやりしたところのある彼女は、口数の少ない優香と、馬があった。夏休みなんて、殆ど毎日顔を合わせていたのではないだろうか。

 しかし、中学に入り、クラスが別々になると、少しずつ疎遠になっていった。最近は顔を合わせない日も多い。今日だって、何日ぶりの挨拶だか分からない。


「誰と話してたの?」

 優香が聞くと、

「部活の友達。今度、遊びに行くんだ」

 そんな言葉が返ってきた。

「優香は、友達出来た?」

 TOMODACHIDEKITA? 何を言ってるんだろう、この子は? 日本語で喋って欲しい。

「……マアマア、デキタ」

 日本語を喋れていないのは自分の方だった。


「優香?」

 きょとんとした顔で、こちらを見てくる紫乃。

 紫乃はクラスにも仲のいい友達を作っているのだ。彼女と疎遠になったのも、その辺りに遠因がある。廊下で楽しそうに紫乃とお喋りしている女子を、詮無いこととは知りつつも、ついつい憎憎しげな目で見てしまったことは、一度や二度ではない。

 友達の友達は、敵だ。


 その後は、互いの近況報告など、他愛もないことを喋った。

 授業のこと。能力のこと。クラスメイトのこと。そして、部活のこと。

 紫乃が美術部に入ったのは知っていた。どうやら楽しくやっているらしい。部活の話をする時、少しだけ、紫乃の声が弾んでいたから。


「でね、みんないい人達ばっかりなんだけど、一人だけ、おかしな先輩がいるの」

 楽しそうに、紫乃が笑う。

「男の先輩でね。顔はまあ、普通なんだけど、ちょっと無愛想だし、何だか暗ーい絵描くし、たまに変なこと言うし、ちょっと変わってるの。こないだなんかね、『俺にとって、百メートル走は長距離走なんだ』、なんて言ってさ。おかしいでしょ」

 何だそいつは。大丈夫なのか。


「みんな、ちょっと怖くて近づき辛い、なんて言ってるんだけど、その人ね、たまに、すっごく優しい絵を描くの。風景画だったり、動物の絵だったりするんだけど、見てるだけで、悲しいことなんか忘れちゃう、っていうか、何だか、世界のどこにも、争いなんてありません、っていうか。普段とのギャップがすごくて、どっちが本当の先輩なのか、わかんなくなっちゃうの。不思議なんだ」


 ああ、そうか。

 優香は気づいた。

 いつの間にか、私達は別の生き物になってしまった。

 紫乃の顔は、優香が今まで、一度も見たことがないものだった。

 紫乃の見ている世界と、私の見ている世界は、全然別のものなんだ。

 こんなに近くにいるのに、紫乃の眼は、私じゃない、どこか別の世界を見ている。

 遠い。

 もどかしい程に、遠かった。

 けど優香には、その距離を飛び越える方法が分からなかったのだ。



 次の日の朝、H・Rが始まる前の教室で、優香はぼんやりと、外の景色を見つめていた。

 私の世界には、誰もいない。

 あれだけ仲のよかった紫乃でさえ、私から離れていってしまった。

 彼女は世界と繋がっている。彼女の周りには、同じ世界を共有する仲間がいて、それは私以外の誰かなのだ。


 ふと、手にした携帯を見つめた。

 これがあれば、どんなに離れた人とも、繋がることができるはずなのに、私に繋がってくれる人は、誰もいない。

 教室には、こんなに沢山の人がいるのに、私の世界には、誰もいないのだ。

 私も誰かと、繋がっていたい。

 昔みたいに、紫乃と同じ景色を見つめたい。


 ああ。

 私に、世界と繋がる力があれば……。

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