校舎裏の戦い

彼女が拳を握るのは 1

 特別教室棟の裏手。

 敷地の境界線を区切る柵と校舎とは四メートル程離れており、校舎裏のスペースとしては少々広い。たまに運動部がランニングコースとして使うせいか、背の低い雑草は踏みしめられ、獣道のように幅二メートル弱程地面がむき出しになっているが、それ以外はぼうぼうと雑草の生いるに任せられている。日当たりは悪く、風が吹くと、少々肌寒い。

 

 そこに、四人の男女が立っていた。

 一人は、すらりとした長身に、背中まで伸びる黒髪をさらりと流している女生徒。

 彼女と少し距離を置いて向かい合っているのは、さらに長身の、十人が見れば十人とも美形と答えるだろう整った顔に、にこやかな笑みを浮かべている男子生徒。


 さらに距離を置いて、小柄な二人の女生徒がいる。

 一人はふわふわとした髪を頭の後ろで二つに結った少女。不安げに、長身の女生徒を見つめている。

 もう一人は、先が所々はねたショートヘアに、くりくりとした大きな瞳の少女。こちらは、携帯電話を手に、誰かと通話している(はぁ? まだ美術室? 何してたのよ今まで!? あんた、まさかしずに……あ、一緒なの? ならいいわ!)

 何事か喚き散らした後、乱暴な手つきで携帯を切った小柄な女生徒を遠巻きに見つめながら、長身の女生徒――柏木優香は途方に暮れていた。


(どうして、こんなことになっているんだろう……)


 図書室で本の整理をしていた優香を、幼馴染の少女――間柴紫乃が訪ねて来たのは、数分前のことだった。


 ――優香。話があるの。

 上目遣いに自分を見つめる少女(これは彼女の心情の現れというより、単に身長差のせいなのだが)に、並みならぬ様子を感じ取り、優香は図書委員の委員長に断りをいれて、図書室を出た。

 要件はきっと、昼間の話の続きだろう。

 優香は明日、亘田の生徒会を襲撃する。


(紫乃は私を止めるつもりだろうか)

 昼休みの、呆然とした彼女の顔が思い出された。自分のことを、まるで知らない人のような目で見てくる彼女の視線に、胸の奥が痛む。それでも、優香の決意は固かった。

 生徒会長はあてにならない。明後日には向こうから攻めてくるかもしれないのに、保守的思想に固まって、対策を講じようともしない。

 それとも、たまたま勝ち取った学園最強の肩書きに、胡座をかいているだけなのだろうか。四本の剣を操る能力? そんなものでどうやって最強の能力などと嘯けたのだ。


 この学校は、よほど平和的な学校に違いない。教師も教師だ。『問題児』なんて、普通なら学校に一人いるかいないかだというのに、一学年に二人だと? それにしたって、一人は凡庸な発火能力者だと聞く。そんなものに出し抜かれる教員連中も、よほど平和的な奴らに違いない。

 もしこんな学校に、開発を受けた能力者達が攻めてきたりしたら――。

 考えるだけでぞっとした。


(紫乃を危険な目には合わせられない)


 ここの所は、クラスが離れたせいで疎遠になっていたけど、小学校ではずっと一緒だった、大切な友達。

 私が守る。

 守らなくちゃいけないんだ。

 自分の『力』なら、それが出来る。


 紫乃の後ろに着いていき、導かれた先には、二人の生徒がいた。

 はっとする程の美形の男子に、小柄な女生徒。

「えっと、紹介するね。部活の先輩なの。奥月先輩に、御子柴先輩。二人が、優香に話があるんだって。先輩。この子が、柏木優香。私の、友達」

「初めまして」

「はぁ、初めまして……」

 どうやら話をするのは男の先輩の方らしい。女子の先輩の方は、にこりと微笑んだだけで一歩引いた位置にいる。


 正対した男子の先輩の、その美人顔に思わずどぎまぎする優香だったが、彼が外履きにしている学校指定の体育シューズを見て、顔色を変えた。

 体育シューズの靴紐は、緑色だった。


(二年生……!)

 二年生の中に、亘田中のスパイがいる。

 クラスで知らない人はいないくらい、広まっている噂だ。


(どうして、二年の先輩が……)

「話は、間柴さんから聞いたよ」

 男の先輩が、口を開いた。びくっ、と、優香の肩が震える。

「明日、亘田中に攻め込むつもりなんだって? 俺達は、君を止めに来たんだ」

「止める? どうしてですか?」

 優香は、自分の声が低く震えていることを自覚した。それと同時に、心が冷えていく。

 この人は敵だ。間違いない。


「何で、って、危ないからだよ。間柴さんに相談されたんだ。友達を危険な目に合わせたくない、ってね」

 だからこんな、白々しい笑顔を浮かべてる。

「先輩達には、関係ないです。それに、私なら大丈夫です」

「俺はそうは思わないな。中学生っていうのは、そんなに甘い世界じゃないよ」

 だからこんな、優しそうな声で話す。


「私に動かれると、困るからじゃないんですか。紫乃から聞いているんですよね、私のこと。私の、『ヴィルヘルム・テル』のこと。私、知ってるんです。二年生の中に、亘田中のスパイがいること」

 私の『力』を恐れているんだ。ほら見ろ、動揺した。

「俺達はそういうんじゃないよ。って言っても、信じてくれないだろうけどさ。でも、君を心配してる間柴さんくらいは、信じてあげてもいいだろう?」

 何て薄っぺらなセリフ。そのために紫乃を懐柔したのか。


「私は、戦います。この学校の人達は信用できません。敵が来るのが分かってるのに、黙って待ってるなんておかしい。全部の中学生が戦う力を持ってる訳じゃないんです。ここを戦場にするわけにはいかない。私は、紫乃を危ない目には合わせません。紫乃は大事な、友達なんです」

 私の『力』なら、戦える。

 紫乃は、私が守るんだ。


 すると、男の先輩は、少し驚いたように優香の顔を見た。

 次にその顔に浮かんだのは、まるでテレビか映画の画面の中の俳優が抜け出してきたかのような、美しい、温かな微笑みだった。

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