支払いは男の子の仕事 1

 一方、美術室では。


「例の噂の伝播、本当に意図的な操作があったと思うか?」

「え? そこから?」

 置きっぱなしにされた衛たち三人の絵具を自分たちのものと一緒に片づけながら、かずいとしずりが言葉を交わしていた。しずりの口調は、どこか明るい。対するかずいは、相変わらずの無表情だった。


「うーん。だって、休みの日があったって、少なくとも四日目だよ? 一年生の間でバリエーションがつくくらい広まってる噂が、私の耳に全く入ってこなかった。本当に誰の作為もなかったんだとしたら、ちょっと落ち込んじゃう」

「そうだな、じゃあ次に――」

「意地悪」

「……」

「……次は?」


 ゆすいだ筆を雑巾で拭きながら、かずいが溜め息をついた。

「その操作は、どこまでの意図をもって行われたか」

「どうなんだろうね。でも、噂の操作なんて、よっぽど上手くやらないと思い通りになんかいかないと思うよ? 実際、口止めされてたことだって、私達にはもう伝わっちゃったんだし」

 しずりはパレットを流水に晒し、こびりついた絵の具を親指で擦りながら答える。

「恐らく、長期的な計画じゃないんだろう。多分明日か明後日には、全学年に伝わるんじゃないか。つまり、噂を流した人間は、そこまで徹底した情報操作をするつもりはなかった。せめて数日の間、上級生に噂が伝わるのを防げればよかった。それでそいつの要件は果たせたんだ」

「要件?」


「次。その操作をした人間は、間柴の友達を煽動することが目的だった。真か偽か」

「それは……、ちょっと飛びすぎじゃないかな」

 しずりが眉根を寄せる。

「そんなピンポイントな目的なら、手段が大袈裟過ぎない? それに、優香ちゃんの行動まで、予測できるかな?」


 かずいも少し急過ぎたと感じたのか、少し考える素振りを見せた。絵具を全て片付け、再びテーブルに着くと、しずりの着席を待って口を開く。

「根拠は……そうだな。まず、全てのタイミングが、これ以上ないくらいに最悪だったこと」

「それは、私も思った。総会の前で、まだ一年生は能力の敷地外制限のことも、全中連のことも知らない。あと一週間遅ければ、優香ちゃんも違う考え方をしたかもしれないし、逆に一週間早ければ、優香ちゃんはまだ能力を持ってなかったんだから、そんな危ないことは考えなかったはず。そこまで含めて意図的だったってこと?」


「そう。間柴の友達が――」

「優香ちゃん」

「間柴の――」

「優香ちゃん」

「……」

 かずいはどうやら、女子の名前をちゃんづけで呼ぶのに抵抗を感じているらしい。かと言って、話の端に昇っただけの彼女のフルネームを記憶するほど、彼は他人に関心を持っていない。

 しずりは、にこやかな笑みを浮かべている。


「……優香ちゃんが」

 折れたのはかずいだった。

「能力を発現させたのは、間柴の目を信じるなら、恐らくここ数日のことなんだろう。そして彼女にだけ、やけに具体的な噂が伝わっていた」

「彼女に能力が発現するのを待ってから、一年生にだけ広まるような噂を流した? その上で彼女にだけ、危機感を煽るような噂を追加で吹き込んだってこと?」

 しずりはやはり、疑わしげな様子だ。


「別に、最初から彼女をピンポイントでマークしてた訳じゃないんだろう。それこそ、誰がどんな能力を得るかなんて、予測のしようがない。多分、一年全員の中から、一番利用しやすそうな人選をした結果だったんじゃないか。実際、彼女の能力なら暴走もしやすいだろう」

「随分大掛かりだね」

 橋町中学は一学年、平均二百名程の生徒が在籍している。能力の申告は完全秘匿が原則とされているので、本人が明かさないかぎり特定個人の能力を他の生徒が知ることはかなり難しいのだ。


 そういえば、と、しずりは一転、不思議そうな顔で言う。

「優香ちゃんの能力って、何なのかな? 土石操作に、瞬間移動、空中浮遊に、人身操作。『属性』もばらばらだし、本当に多重能力だと思う?」

「それについては、思い当たる節がある。ただ、今は後回しだ」

「名探偵の、悪い癖」

 しずりの顔には、どこか悪戯っぽい笑顔があった。

「やめてくれ、マジで」

 かずいは心底不快そうに顔を逸らす。


「とにかく噂を広めた人物は、何かしらの方法で、ひょっとしたら感知系の能力か何かで、一年生の中から適材を選び、優香ちゃんに白羽の矢を立てた。最初は彼女にも他の一年生と同じ噂が伝わったんだろう。ただ、その後、噂を立てた張本人から、もっと具体的な話を聞かされた。ひょっとしたら、恭也をわざと下に見せるような言い方をしたのも、そいつなのかもしれない。あいつを少しでも知ってるなら、あんな言い方はできない。ここまでは?」

「うん。プロバビリティの一種ってことになるのかな。ちょっと違う? でもまあ、それなら納得」


「うん。次だ。ではその人物は何者か」

 しばし、沈黙が流れる。

「……え、私が答えるの? うーん、上級生なのは間違いないよね。実行犯は一年生かも知れないけど、それにしたって、噂を作った人は、秘密を知ってなきゃおかしいもの。上級生の誰かが一年生に秘密を吹き込んで、噂をばらまかせた。複数犯ってことになるのかな」

「噂をばら撒く奴に、必ずしも秘密をバラす必要はないだろう。複数犯とは限らない。ただ、どの道この場でそれが誰かは推理できない」

「それもそうだね。じゃあ、どうする?」


 小首を傾げるしずりに、かずいは躊躇いがちに答えた。

「聞き込みしかないな。伝言ゲームの逆再生だ。ただ……」

 そこで再び、言い淀む。

「私達、二年生だもんね」

 しずりが後を継いで答えた。確かに、二年生に対して箝口令が敷かれているものを、二年生が聞き出すのはむずかしいだろう。

 しかし。


「それは、任せて」


 口の端に微かな笑みを含んだままそう言うと、しずりは一年生のグループが固まる作業台へ、とことこと歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る