お話をしましょう 4

 四つの人形が動く前に、かずいは駆け出していた。

 右手、黒板に向かい、教壇の上を駆け抜ける。

 包囲網を形作る前にそれを破られた人形たちがざわざわと蠢き、獲物を追い立てる。

 

 窓際に手を付いたかずいは、こちらを振り返り不敵な笑みを浮かべて腕を組む杏子と、その向こうで不安げにこちらを見るしずりの姿を見た。

 紙人形はかずいの後を追うように教壇の上を走るのが二体と、かずいの正面に迫る一体、残りの一体は杏子の傍に侍っている。


 かずいは再び、右に駆けた。

 机と椅子の並びの間に体を滑り込ませ、その背後に人形の一体が迫った瞬間、脚を止め、机を後ろに押し込む。

 机と壁に挟まれ押し潰された紙人形がじたばたともがく。


 最後にもう一押しして机の角を紙人形にめり込ませたかずいは、次に、一番近くにあった椅子を持ち上げ、肩の前に掲げた。


 ずん。

 その一瞬後、飛び掛かった人形の一体がそれに激突し、重い衝撃をかずいの腕に伝えた。

 そのまま椅子に取りつき暴れ始めた人形を、かずいは椅子ごと投げ捨て、もう一体にぶつける。

 そして、不意に地面に倒れ込んだ。


 ぐしゃ。


 その上を、背後から急襲した紙人形――杏子の傍に侍っていた一体が通り過ぎ、壁にぶつかって潰れた。

 死角からの攻撃を躱したかずいが、腕を突っ張って起き上がる。

 振り返れば、そこには従者を全て失った杏子の姿がある。

 怪訝そうに眉を顰める彼女に向かい、かずいが踏み出した。


 いや、踏み止まり、左真横に飛び退いた。


 一瞬遅れて、体積を半分に減らした紙人形が二体、その場に積み重なった。

 机に押し潰されていたはずの人形が、いつの間にか分裂していたのだ。


「あら?」

 その奇襲をも回避して見せたかずいに、杏子が今度こそ驚きの表情を見せた。

 分裂した人形は積み重なったままざわざわと蠢き、再び一体の人形へと編み直されていく。

 他の三体の人形もそれぞれ立ち直り、改めて床に転げたかずいを取り囲んだ。


 一斉に飛び掛かる。

 その直前に、床を滑るように転げて逃れたかずいと、それを見下ろす杏子の視線が交わる。


 そして。


 ざざ。

 ざざざ。

 蠢く紙の四肢。

 執拗に迫るその魔手。


 避ける。

 転ぶ。

 防ぐ。

 倒れる。

 起き上がっては杏子を狙うものの、紙人形の腕に阻まれ、それを避けては、また転ぶ。

 そんなことが数度繰り返された、その時。


「ストップ」

 杏子の声がかかった。

 紙人形が、ぴたりと動きを止める。どうやら細かい操作はできなくても、オンオフは切り替えられるようだった。

「おかしいわね。あなたさっきから、動き読んでるわよね。でもこの子達に、読めるような思考はないはずなのだけど。……って、ちょっとあなた、大丈夫?」


 不意に語調を変えた杏子の視線の先、かずいはぜいぜいと荒い息を吐き、膝に手をついていた。

 その膝が、がくがくと笑っている。

 顔を上げる力もないのか、杏子の問いかけにも反応する気配はない。顔中から、大量の汗が滴っている。

 気息奄々。

 四字熟語辞典のその項目に、今のかずいの姿が載っていても不思議ではなかった。


「ええっと……」

 杏子が、戸惑いがちにそれを見下ろす。

 断っておくが、かずいは一度も攻撃を食らっていない。


 つまり、かずいは――。


「……あなた、いくら何でも体力なさすぎじゃない?」



 典型的な、もやしっ子なのだった。



 彼にとって、百メートル走は持久走で、反復横跳びはビリーズ・ブード・キャンプのフルコースに相当する。先程の運動は、明らかにオーバーワークだった。

 呆れたような杏子の声にも、返答はない。


「お……の、……は、……………ぃ」

 いや、耳を澄ませば、荒い呼吸の中に、微かに何かを喋っている声が聞こえた。

「ごめんなさい。何を言ってるか、わからないわ」 

 風が吹いても倒れそうなかずいの様子に、杏子が戸惑いの声を漏らす。

「えーっと、どうしようかしら。攻撃してもいいものかしら。私もっとこう、読み合いというか、心理戦というか、詰将棋みたいな勝ち方をするつもりだったのだけど」


 これじゃ弱いものイジメみたいじゃない。

 そう言って悩み出す杏子の横を、一人の少女が通り過ぎた。

 それまで黙って事の成り行きを見ていたしずりが、とことこと歩みを進める。かずいを取り囲む紙人形にも臆すことなく、脇をすり抜けていく。


 そして。

「日野くん。もういいでしょ」

 かずいの顔を覗き込み、そう言った。

 その声は、優しさと労りに彩られていた。

 まるで、はしゃぎ過ぎた子供を諌める母親のように。


「だ……だ、……ま」

「だーめ。もう時間切れ。藍ちゃん達の方は、もう片付いたんでしょ。私達も、早く帰ろ?」

「……て、って……」

「平気だよ。さっきあの人も言ってたよ。ここには誰も来ないって」

「何を話してるの?」

 ぼそぼそと会話を続ける二人に、蚊帳の外に置かれた杏子が、不満げに声をかけた。

 しずりは杏子に向き直り、腹の前で両手を重ねた。その目は伏せられ、視線を合わせない。


「えーっと、さっきの日野くんのセリフなんですけど、こう言ったんです。『俺の能力は、読心能力じゃない。未来予知なんだ』って」

「未来予知?」


 それは、名前を『オーバージョイド』という。

 未来に起きる事象を映像として想起させるこの希少能力が、日野かずいの持つ『力』であった。

 ただし、行使するにあたってはかなりの集中力を要するため、静止した状態であれば十五分ほどの未来までは見通せるものの(それを利用して聞き込み調査の結果だけを未来から持ち寄せることもできる)、動き回りながら見れる範囲はせいぜい二、三秒先が限度だ。


 それでも、戦闘において二、三秒先の相手の動きが分かるのであればかなり有用であるのは間違いない。

 それを使うのが極度の運動音痴でなければの話だが。  


「ああ、成程、そうだったの。本当にあるのね、そんなの。初めて聞くわ。何の『属性』になるのかしら? まあ、それはいいわ。それで、あなた、どうするつもりなの?」

 意外そうな顔をした杏子だったが、直ぐに気持ちを切り替えたらしい。再び、獲物を狙う獣の目で、しずりを見据えた。


 紙人形が、ざわざわと動き出す。

 対するしずりに、緊張の色はなかった。杏子と視線を合わせないように、少し俯いたまま言う。

「すいません。私、あんまりあなたとお話したくありません」

 その物言いに、杏子の顔色が変わった。

「そう。それじゃ――」 

 杏子が何かを言い終わる前に、しずりの口が動いた。


「一応謝っておきます。ごめんなさい」



 ぐしゃり。



「……え?」


 杏子の目の前で、四体の紙人形が押し潰された。

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