髪の毛の怪 1

「かずい! 今どこ!? ええ? まだ生徒会室なの? え、そっちも見つかんないの……? うん。……うん。そうなの。DVDがないの!」


 本館三階、2年F組の教室。

 今にも泣き出しそうな声で、藍がしがみつくように携帯を握り締めている。


 心労に磨り潰されそうになりながらも何とか教室まで辿りついた藍は、蓮から借り受けた懐中電灯を頼りにロッカーを漁った。しかし、中身をぶちまけても、ぶちまけた習字道具入れやら絵具入れやらの中身までぶちまけても、さらには自分の机の中身も全て洗いざらいぶちまけても、目的のDVDは出てこなかったのだ。


(どうしよう……)


 最初、藍には確信があった。

 確かに自分は、借りたDVDをロッカーに入れた。私物の持ち込みは一応校則違反になっているので、出し入れの多いカバンより、ロッカーの奥に入れていた方が見つかる心配は少ないからと、休み時間にそうした記憶がある。

 要は下校の際に回収したつもりが、部活の準備の慌ただしさと、昨日の失態を挽回する方法を模索するのに夢中ですっかり忘れていたのだ。


 しかし、ない。

 考えられる場所は他にない。授業用の絵具と部活用の絵具は別にしているので、放課後はロッカー自体開けてない。

 藍はパニックを起こした。

 勿論借り物をなくしたことについてもそうだが、それ以上に短期的な恐怖があった。

 蓮と響との約束は、『教室に送る』所までだ。約束は果たされた。これ以上、自分が彼らを拘束しておくことはできない。


 このままじゃ、置いていかれる。

 この教室に一人で?

 嘘でしょ!?


「だから、よく探したんだってば! でもないの! とにかく一回こっち来てよ!」

 この時、藍の湿り気を帯びた叫び声が響く教室内で、彼女の恐慌を余所に、蓮と響のテンションは下がりきっていた。

 彼女のはた迷惑な悲鳴によってではない。

 見つけてしまったのだ。

 それは、教壇の隅、床の一部がささくれ立ち、生徒の間で、掃除をするのに邪魔で仕方ないと前々から言われていた箇所にあった。


 それは、長く伸びた髪の毛だった。

 少なくともそう見えた。一瞬だけ目を輝かせ、刺激しないように抜き足差し足忍び寄った蓮が、微動だにしないその物体を不審に思い摘みあげてみれば、果たしてそれは、カツラであった。

 まともに冠れば肩甲骨のあたりまで伸びるであろう黒髪は、触れた瞬間蓮の手に作り物めいた質感を伝え、裏返せば、土汚れに塗れた裏地の繊維が顕わとなった。


 後ろで怪訝そうにする響にそれを投げ与えると、一瞬肩を揺らした後、彼もまた、目に落胆の色を宿した。

「久城。これは……」

「あー、そうだろな」


 これが例の妖怪の正体。要は、これを何か遠隔操作系の能力で操っていたというわけだ。

 これなら『肉』の能力者である必要はない。裏地に付着した土から察するに、『山』の傀儡能力か何かなのだろう。この教室を徘徊していた時にささくれに引っかかり、取れなくなってそれきり諦めてしまったのかもしれない。

 種が割れてしまえば何ということはなかった。

 勿論、能力者本人を追いかける選択肢はある。先程響が感じた気配がこれなのだとしたら、まだそう遠くない範囲に能力者がいるはずだ。

 どうする? と、蓮が問いかける前に。

「……俺は、戻る」

 響は蓮にカツラを投げ返し、のろのろと歩きだした。


(ま、そりゃそうだわな)

 蓮の眉根が下がり、口元には苦笑いが浮かんだ。

 この学校に、響に勝てる能力者はいない。

 一年前、彼が『問題児』としての能力を身につけて以来、それは不動の事実だった。

 それでも、もし本当に化物なんてものがいるなら、少しは退屈しのぎになるかもしれない。二人はそう思ったからこそ、この探索にやる気を出したのだ。

 こんなお粗末なカモフラージュをしてこそこそ学校を這い回る能力者に、わざわざ喧嘩をふっかける理由などあるはずもない。

 蓮は片手でカツラを弄びつつ、響に続いて歩きだした。


 教室の後ろでは藍が何がしかを携帯に叫び付けている。蓮は彼女に近づき、指で肩を叩いた。

「え? きゃぁぁぁああ!!」

 カツラを見せつけ、仰天して文字通りひっくり返った藍のリアクションを一頻り楽しむと、蓮は藍に通話を代わって貰うよう言った。しかし、どうも向こうと揉めているらしい。


「……何でもないわよ! 今久城君に代わるから! ……え? 知らないわよそんなの。落ちてたんだって。だからわかんないってば……あー、待って、分かった。今『目』ぇ繋ぐから、自分で見て」

 どうやらかずいは、このカツラに興味があるらしい。藍は携帯を切ると、「ごめんね、ちょっと待って」と蓮に断り、『シェイク・ファー・ハンズ』を発動させた。藍の能力をよく知らない蓮はきょとんとしている。


 結果から言えば、藍のこの行動は正解だった。

 今宵、藍が無事に家に帰れるかどうかの分岐点は、まさにこの一瞬にあったのだ。


 ――離れろ、藍!


 かずいの怒声が頭に響いた直後、反射的に後ろへ跳ねた藍が見たもの。


 ずぞぞぞぞぞ。


 それは、闇の爆発。

 膨れ上がった髪の毛。

 それに、蓮の右手が呑み込まれた瞬間だった。

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