テレビをつけるのにリモコンの仕組みを知る必要はない
ふわふわとした髪を後ろで二つに結わえた一年生の少女――間柴紫乃が問いかけたその内容に、一同の首が傾げられる。
「なあに、それ?」
代表して聞き返した藍に、紫乃は躊躇いがちに話を切り出した。
「最近、クラスの子達がよく噂してるんです。亘中では密かに能力開発の研究がされてて、こないだついに複数の能力を併せ持つ中学生の開発に成功した、って」
「能力開発?」
やはり訝しげな声で、衛が聞き返す。
「亘中って、やたらと治安がいいので有名じゃないですか。私、いとこが亘中生なんですけど、何かやけに秘密主義っていうか、あんまり学校のこと教えてくれないんですよ。他の人も同じみたいで、だから、余計に変な噂が立っちゃうみたいなんですけど」
「うーん」
思い当たる節があるのだろうか、藍は少し考え込んだ。
一方、衛は明るい口調で言う。
「けど、能力開発なんて、大分前から色んなとこで言われてたろ。それにしたって根も葉もないって、結局下火になってたじゃん。何で今更そんな噂が?」
「周期的なものなんじゃないかな、そういうのって。ほら、新撰組ブームみたいな」
しずりも、特に気にする様子はなかった。
「あー、しずも言ってたもんね、今年は忍者ブームがどうのって」
「そうそう五年生と六年生の絡みが……ってちょっと待って藍ちゃん。その話はここじゃちょっと」
「??」
「噂ってんなら、ウチの学校に髪の毛の妖怪が住み着いて呪いを振りまいてる、とかの方が学校っぽくて良いよな」
「あ、それそれ! 今流行ってるよね。私の友達にも、見た人いるって。なんかね、C組の子が言うには……」
話が逸れ出した(というよりしずりが強引に舵を切った)のを察して、紫乃が慌てたように語気を強めて問いを重ねる。
「じゃ、じゃあ! 先輩達は、多重能力って、あると思います?」
これにはきっぱりと、衛が答えた。
「それはないんじゃない? 能力開発はともかく、能力研究に関しては、もうほとんど行き詰まってるんだろ。そんなんがありえるなら、もっと大きなニュースになるんじゃないの」
「じゃあ、なんでそんな噂が立つんでしょう?」
「そりゃ、見たわけじゃないから何とも言えないけど、そういう風に見せかけるだけなら、方法がないわけじゃないさ」
そう言って衛は、既に洗われたポリバケツをひっくり返すと、底に溜まっていた水を作業台の上に垂らした。少し離れた位置でもう一度ポリバケツを振ると、一度目のものと合わせて大小二つの水溜まりが出来る。
「何するんです?」
不思議そうにそれを見る紫乃に、まあ見てな、とそっけなく言うと、衛はまず小さい方の水溜まりに、右手をかざした。
干上がるようにみるみると水溜まりは小さくなっていき、数秒で消えた。
それがどうしたのだ、と、既に衛の能力を見知っている紫乃は首を傾げる。
次に、衛は大きいほうの水溜まりに筆を立て、左手でそれを支えると、先程と同じように右手をかざした。すると、
ぴしっ。
針の折れるような音を立てて、一瞬で筆の端が凍りついた。
「えっ」
まるで手品を見せられたように、紫乃が身を乗り出す。
衛が左手を離しても、筆は倒れなかった。
「え? ええ!? 何したんですか、今? 凍結能力? でも、奥月先輩、放熱能力者のはずじゃ……。ま、まさか、奥月先輩も……」
「はっはっは。今ごろ気づいたのかね、紫乃君。そうさ、俺こそが、噂の多重能力者だったのだよ!」
「な、なんだってー!」
「奥月! からかわないの」
にやにやと笑う衛を、藍が窘めた。
「だから、言ったろ。見せかけるだけなら、って。トリックだよ、トリック」
「トリックって、でも、どうやって……。あ、わかった、今のしず先輩でしょ。私、しず先輩の能力だけ、見たことないんですよ。奥月先輩が手を出したタイミングで、しず先輩が横から能力使ったんだ!」
どうだ、と息巻く紫乃に、しずりは困ったような笑みを向ける。
「うん、それも、多重能力者に対する一つの答えなの。別々の人たちで、一人の人が能力を使ってるように見せかける。でも、ごめんね。今のは違うの」
「えええ?」
再び途方に暮れる紫乃を見て、衛がおどけた口調で切り出した。
「種明かしといこう。それでは解説の日野先生、お願いします!」
「あん?」
のそりと顔を上げたかずいに、びくっ、と紫乃の肩が震える。
「あー、だから、相転移の気化熱でな……」
「そーてんいのきかねつ」
鸚鵡返しに紫乃が呟く。
「そ。そういうこと」
「……蒼天衣の鬼火熱??」
「なんかかっこいいな!」
「いやいやいや」
「かずい。それだけで分かるわけないじゃない。あんたは一言も二言も三言も足りない、っていっつも言ってるでしょ。私……じゃなくて紫乃ちゃんにもわかるようにちゃんと解説しなさいよ」
ジト目で睨みながら藍が言う。
一方ますます混乱する紫乃に、見かねたしずりが助け舟を出した。
「えっとね、まず奥月君の能力は、そもそも放熱じゃなくて、湿度操作なの」
「え、そうだったんですか!? ずっと勘違いしてました」
「そ。『サマー・タイム』っつってな。まあやってることはドライヤーと変わんないし、普段は区別する必要もないから、いちいち説明もしてないんだけど」
「でも、それでどうやって凍結能力みたいなことを?」
えっとね、と、前置いて、しずりは話し始める。
「紫乃ちゃんも、そのうち理科の授業でやると思うけど、液体が気体になったりすることを相転移っていうのね。それで、その時に必要な熱量のことを気化熱っていうの」
「???」
「多分だけど、さっき奥月君は、水の周りの空気の湿度を、一瞬で高い数字に切り替えたんじゃないかな。湿度っていうのは、空気中に含まれる水蒸気の割合のことでしょ。だから空気が一瞬で水を吸い上げて、その時の気化熱で残った水が凍りついた……んだよね?」
最後が少し自信なさげなしずりに確認の眼を向けられて、衛はきょとんと首を傾げた。
それを見た藍がジト目で言う。
「ていうか、自分の能力なんだから自分で解説しなさいよ」
「テレビをつけるのに、リモコンの仕組みを知る必要はない」
「あんたも分かってなかったんかい!」
「えええ……」
混乱が収まらない紫乃が次の言葉を探していると、不意にかずいが口を開いた。
「打ち水ってわかるか。夏場、道路に水を撒いてるおばさんがいるだろ」
「あ、はい。ちょっとだけど、ひんやりして気持ちいいやつですよね」
「それのすごい版だと思えばいい」
「す、すごい版……」
「要するに、能力ってのはただの『力』なんだ。使い方次第で見えるものも違ってくる。これが多重能力に対する答えの一つ、ってことだ」
「はあ。分かったような、分からないような」
困り顔で言う紫乃だったが、気持ちを切り替えるように、かずいの方に身を乗り出した。
「えっと、じゃあ、とにかく日野先輩も、多重能力者はいないと思ってるってことですか?」
かずいは大して興味がある風でもなく、紫乃に目を合わせないままに言葉を返す。
「そりゃ分かんないさ。存在することの証明は出来ても存在しないことの証明は出来ない」
「えええ……?」
かずいはそれ以上、語るつもりはないらしい。おろおろとそれを見つめる紫乃に、苦笑しながら衛が問いかけた。
「それで、紫乃っち? やけに気にしてるみたいだけど、その亘中の多重能力者ってのが、どうかしたわけ?」
はっとした顔で、紫乃が衛を見た。
「何か気になってることでも、あるんじゃない?」
「それは、その……」
「あ、別に言いたくないなら無理しなくていいのよ? ただ、悩み事なら、誰かに話しただけでも、大分違うと思うし」
藍も反対側から、心配そうな顔を向ける。
三人の様子を、こちらも心配そうに、しずりが見守る。
かずいは、ただ無表情に花瓶を見ていた。
「亘中のことは、本当はどうでもいいんです……」
やがて意を決したように、紫乃は話の口火を切った。
「うん?」
「私の友達のことなんです」
「紫乃ちゃんの? それって、
「はい。その子が、その……」
そこで一度、紫乃の言葉が途切れた。
「その子が、自分も多重能力者だって、言ってるんです」
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