ただのクラスメイト 1

 かつ。かつ。かつ。


 二人分の足音が、暗闇の中に反響している。

 別館を昇る北側の階段。

 日野かずいと、如月絢香であった。

 懐中電灯を右手に持ったかずいの数歩後ろを、気まずそうな顔をした絢香が付いて、階段を昇っている。


「あの、日野先輩」

 絢香が、前を行くかずいの背中を心細げに見つめながら、恐る恐る問いかけた。

「何?」

 かずいの返答はそっけない。その無愛想に挫けそうになる心を奮い立たせながら、絢香は言葉を続けた。

「その、栗原先輩の能力って、確か空力操作なんですよね」

「ああ。『ブロウィン・イン・ザ・ウィンド』だったな。見るのは初めて?」

 かずいが首だけ動かして絢香の方を見たが、やはりその顔は暗がりに隠れ、良く見えない。

「いえ、前にも一度だけ、見たことがあります。ただ、その、何をどうしたのかさっぱり分からなくて……」


 『問題児』としての彼の活躍(?)を絢香が見たのは、先月半ば、生徒会に入って直ぐのことだった。

 ある時、校門前で、彼は他校の上級生に囲まれていた。何がしかの因縁をつけられたらしい。多勢に無勢は明らかであり、隣にいた生徒会の先輩に助けを求めた絢香を、その先輩は苦笑いで押し留めた。戸惑うばかりの絢香だったが、先輩の意図は直ぐに分かった。


 争いは一瞬で終わった。

 いや、あれを果たして、争いと呼んでいいものだろうか。

 まず最初に飛びかかった他校生二人は(彼らはどうやら身体変化の能力者らしく、一人は腕が不自然に隆起しており、もう一人は背中から鉤爪付きの翼が生えていた)響に触れた瞬間不自然な動きで彼の後ろに飛んでいき、その間に別の他校生から放たれた火炎球や礫弾はただ立っているだけの響に掠りもせず、それを放った生徒自身がいつの間にか倒れており、残りの数人は何をするでもなく、気づいた時には既に吹き飛ばされ、あるいはその場で失神していた。


 響自身は、指先一つ動かしていない。

 それは最早出来の悪いコントのようで、呻き声を上げる他校生に目もくれず、悠々とその場を歩み去った響は、絢香の目から見ても確かに化け物だった。


(如月さん。彼には決して、関わっちゃいけないよ。あれが、本物の『問題児』だ)


 鎧袖一触に彼らを薙ぎ払った響の姿と、真剣そのものの顔で注意された言葉は、絢香の記憶に鮮明に焼き付いた。ただ、隣の先輩を含め、絢香の周りに、響が一体何をしたのか理解出来たものは一人もいなかったのだった。 


「あの、それで、さっきの感知能力のようなものは、一体……?」

「『暦風こよみかぜ』」

「え?」

 ぽつりと呟かれた単語に、絢香は頓狂な声を上げてしまった。

 かずいは気にせず、前を向いたまま言葉を続けた。


「これは俺には理解できない感覚なんでよく分からないんだが、特定の物質に干渉して操るタイプの能力者っていうのは、その対象に自分自身を同期させるんだそうだ。

 あいつはさっき、校舎内の空気全体に同期して操れる状態にした上で、それを保った。その状態の空気の中で何か動くものがあると、あいつにはそれが察知できるらしい。屋外だと空気が拡散しすぎて、把握しきれなくなるみたいだけど」

「そんな、使い方が……」

 絢香は思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。絢香の知り合いにも空力操作能力者はいるが、そんな使い方は聞いたことがない。空力操作とは、風を起こすだけのものなのだと思っていた。


「まあ、口で言うほど簡単でもないらしい。響以外に使える奴がいるとは思えないな。だからあいつは『問題児』なんだ」

「………」

 詳しい。

 そして親しげだ。

 かずいの声音に抑揚が全くないため分かりづらいが、台詞だけ文面に起こせば、友達の自慢をしてるように聞こえなくもない。


 絢香はかずいの話には素直に感心しつつも、一方で顔の見えないのをいいことに、その背中に不審そうな視線を投げかけた。

 確か響は、学校全体に対して驚く程の没交渉を貫いていたはず。彼の有する戦力に対して生徒会の危機認識が意外な程低いのも、そこに理由がある。


 では、何故この人は、生徒会の人間ですら知らないような響の能力を知っている?

 綾香の心の中に、かずいに対する警戒心がむくむくと湧き上がっていた。

 彼に関する情報が出回っていない以上、それは響本人から直接聞いたということのはず。つまりそれだけ彼と近しい間柄だということだ。

 

(どうしよう、少し探りを入れたほうがいいんだろうか)

 もしも響の交友関係に生徒会も把握していないラインがあるのなら、それは生徒会役員として把握しておくべきことではなかろうか。


「お、お詳しいんですね、日野先輩」

 緊張に満ちた絢香の問いに、かずいは、歩みを止め、体全体で振り返って答えた。


「一応言っておくけど」


 その硬質な口調に、絢香の肩がびくりと揺れた。

「俺と『問題児あいつら』を、一緒にしないでくれよ」

「え?」

「そりゃ響とは、他の生徒と比べりゃ少しは親しい自覚もあるけど、別に普段から仲良くしてる訳じゃないんだ。勿論、蓮ともな。あいつらとはただのクラスメイト。今日のことは、俺と御子柴にとってもイレギュラーなんだからな」


 その言葉は、暗闇の中で酷く冷淡に響き、絢香に二の句を継がせなかった。

 絢香の思考を先回りしたかのようなセリフ。そして、先程まで会話していた人達を「仲良くしてる訳じゃない」と言い捨てたこと。

(この人は、一体……)

 言葉を見失った絢香の背筋に、冷たいものが走った。

「あ、あの、私、別に、そんなつもりは……」

 かろうじてそれだけを搾り出した絢香の声は、動揺をまるで隠せていなかった。

「ならいい。悪いね」

 かずいはやはりそっけなくそれだけ言うと、それきり黙ってしまった。


 しばし、階段を昇る二人分の足音だけが、校舎の壁に吸い込まれる。

(き、気まずい……)

 前を行くかずいの背中からは、まるで感情が読み取れない。

 絢香の脳内にもやもやとした渦が巻く。


(どうしよう。『問題児』とつるんでるかもなんて、気を悪くしたんだろうか。いやでも私、そんなこと一言も言ってないし……あああでも疑ってたのは事実だし……ていうかどうしよう超気まずいんだけど。何これ。私謝った方がいいの? 何て言って? これで謝ったら疑ってたこと白状するようなもんだし……)

 冷や汗が流れ落ちる。


(御子柴先輩……)


 先程別れた、親切で優しい先輩の顔が思い浮かんだ。


(助けて下さい……!)

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